(二)
三日月の夜に、リーナルは生まれた。奇しくも西の辺境で、父が『歴史に名を残す』偉業を成し遂げた時と同じくして。
臣下、そして城下の民たちは歓喜して正統なる王の御子を"三日月姫"と讃えた。
その頃、王の側室には一人の男子があった。名をクラウ、当時御年十五。父と共に、イーハへ出向いていたという。誰しもが彼が王族の後継であると信じていた中で起きた、皮肉な祝事であった。
側室の子と、正室の子。それだけであれば互いの才を見極め王が後継を決める。しかし、リーナルの誕生は神の祝福であると大司教が宣言したことで、事態が変わった。
文武に長けた兄は優しく、幼いリーナルには事情が飲めなかった。
理解したのは五歳の頃、弟のソラスが生まれた時だ。大司教による祝福が無い事に、彼女は首を傾げた。そして、兄へ問うた。
兄は答えた。教えてくれた。
「二十年前の『平定』、それこそが血にまみれたものだったのよ」
遠き西の平原の事など、都に住まう人々が自ずから見聞しにゆくこともない。
その頃は国の情勢も不穏で、商人も東方との交易を中心としていた。誰もが西を気にしながら、現実からは目をそむけていた。
ヴァルフィルトの御神ラー・イーンの教えは、全てが等しく人へ恵みは与えられるというものが本筋である。
『全ての部族に、等しき裁きを。争いを止めぬ蛮族達に、等しき教えを』
モルフィス大司教の一声で、惨劇は始まった。
全ての部族の首領たちの首が斬りおとされ、抗う者もまた同じように処された。
淡々と剣を振るう父の姿に、クラウは震えを抑えられなかったと言っていた。
凄惨な光景に、イーハの民たちも凍りついたという。
「事実を捻じ曲げ祝祭とし、生まれた姫には三日月の二つ名をつけたわ。あの日の事を、忘れさせないように……」
「そんな……リーナル様、そんなことって」
「知ってから、どうするのが良いかずっと考えたわ。十の年で王位継承権を返上し、私の名は王家から消した。それで済むと思ったのよ」
「国は、アンタを担ぎあげる気でいたんだろうな。弟君に関して完全に放置だったのがよくなかったわな」
「ソラスは未だ子供よ。それがどうして、兄上と…… そうね、あの子はケトと同じ年よね」
「は、はい、王宮で幾度か、お目にしたことが……。わたしとは違って、聡明そうな」
母をリーナルと同じくするソラス王子もまた、美しい金髪の持ち主で、しかし冷ややかな瞳が人を拒絶しているようにも感じた……とは、ケトに言えようもない。王の片腕として政務を取り仕切っているクラウ王子は、既に王の風格すらあるように見え、比べるまでもないと……ケトはまた、誰にも言えない思いを抱いている。
「言ってやれ、小賢しいってな。まぁ、姫さんもあの年頃は、そんなもんだったか。血筋じゃ仕方がないな」
「ヴァンさん、わ、わたしはそんなこと! ……あの、ずっと気になっていたんですが。ヴァンさんは、諸国放浪の……傭兵なんですよね」
「あぁ。それが?」
「どうしてこんなに、この国の内情にお詳しいのですか? リーナル様の……その、異名のことも、御存じだったのでしょう?」
「ははは、そんなことか。簡単だ。俺が詳しいのは、何もヴァルフィルトに関してだけじゃない。諸国連合、その先の東国まで渡ってる」
「東国まで!」
傭兵の答えに、ケトは目を丸くした。
東の大国の脅威へ備えるべく『マグトゥレド諸国連合』は存在するが、小国の寄せ集めなのでとかく国境が多い。連合内でも仲違いをしている国もある。どれほどの旅を、この男は重ね、生き抜いてきたのだろう!
"黒き剣のヴァン"、その称号はケトが知るよりよほど大きなものだったのだ。それほどの剣士であれば、王族とのつながりが深いことも納得がいく。
長い事、重用されてきたのだろう。
「だから、ヴァンさんだったんですね」
「うん?」
「我が国の王家にも信頼の厚い御方であれば、リーナル様が即決されたのも、納得がいきます」
「あぁ……えぇ、まぁ、そうね」
大笑いしている男の脇腹を肘で鋭く突きながら、リーナルは言葉を濁した。
城下で噂が立ち、王宮内でも問題視されるようになった頃には発端という吟遊詩人の姿は見当たらず――ヴァンが居た。
十中八九、この男が絡んでいるのだと、リーナルは感じたのだ。
風来坊の根なし草、気づけば居るし気づけばいない。兄クラウも彼を信頼しているようだが、それこそ怪しかった。
兄と弟が険悪であるこの時期に、西方の不穏な噂。
ヴァンを、王都においていてはいけない。しかし、彼ほどの――腕を持ち性格の曲がった男を動かすには、王国騎士団の名ですら難しい。
そうであるならリーナル自身が動けばいいと、そう考えたことは……さすがに誰に明かすこともできなかった。
大人しく着いてきたヴァンの真意は、やはり判らない。
ヴァンを連れてリーナルが西へ行くことこそが狙いだったのかもしれない。
それでも今、自分に選びとれる道は限られていたのだ。
そんな胸の内を誤魔化すように、努めてリーナルは声を上げる。
「信じちゃだめよ、ケト。この男の言うことなんて、三分の四は法螺なんだから」
「過ぎてんぞ」
「過ぎてるでしょう?」
「悔しかったら、お前もヴァルフィルトから出ればいい」
「誰も、そんなことは言っていないわ!」
「じゃあ王家から抜けておいて、どうして騎士団に入った?」
「……それは」
軽いやりとりで済ませるつもりが、反撃にあって口ごもる。ヴァンは満足げに笑みを浮かべ、リーナルの肩を叩いた。
「ふ、まぁいいさ。この国を出たくなったら、俺はいつでも手助けしてやるよ」
「誰がそんなこと! さぁ、休憩は終わりよ。ケトも、荷物を纏めて。フォモールの首領に、話を聞かなくちゃ。行くことはもう、伝えてあるから」
イーハ平原、フォモールの集落。
『血まみれの三日月』が潜む洞窟に、一番近い場所。
恐らくは――そこに何かが、潜んでいる。
五年前に過ごした時は、昔のことなど知らない風に、騎士団を手厚く迎え入れてくれた。
騎士団の修練と銘打った平原への滞在は、年ごとに集落を変えている。
しかし、いずれでも団員が襲われるといった話は聞かないし、集落の者へ危害を加えたということも聞かない。
イーハと王都は、『平定』以降、確かに平穏を保っているように見えていたのだ。
*
*
吟遊詩人が歌う。
三日月の夜、竜が踊る 踊る
ひとつ踊りて、災いの鱗が落ちる
ふたつ踊りて、患いの鱗が落ちる
みっつ踊りて、西へと沈む ひとびとの血をすすり、血にまみれた鱗が落ちる
三日月の夜、竜が踊る 踊る
「陰険」
歌と舞いが終わり、広場に集っていた人々も三々五々と散ってゆく。
それらを見届けてから、吟遊詩人が本音を漏らした。
「さんざん歌って、言うことじゃないわね」
舞い手である女が彼に立ち並び、小さく笑った。
「歌なら、君が歌えばいい。僕が楽をやるから」
「イヤよ。本当は舞うのもイヤ。むしろ、アタシが楽をやるからあなたが舞えばいいのに」
「男の舞い手は……聞かないなァ」
「歌も舞いも、どうせ誰も気にしちゃイナイのよ。好きなのはウワサ。おハナシ。飽きちゃった」
深いため息をつき、栗色の髪をかきあげる。
「君は、歌も舞いも好きなんだね」
「昔のことだわ」
「でも、舞ってくれるじゃないか」
「あなたの声が好きなのよ」
「はは。ありがとう」
日で褪せた金の髪を持つ、褐色の瞳の青年は穏やかに笑った。
「本当に。ありがとうございます、ファリド様! レイティアねえさま!」
そんな二人のやりとりを見届けていた少女が、感極まった風に手を叩いた。最後まで残っていた観客である。
「本当だったら、わたくしもヴァルフィルトの城下街で、お二人の姿を観たかったです……竜の歌に舞い、怯える民衆たち……なんて素敵なんでしょう!」
「いっそ突き抜けて清々しいね」
「そういうコなのよ」
黒髪を肩まで伸ばし、フォモールの伝統的な飾り糸を編み込んでいる娘は、澄み切った瞳で吟遊詩人と踊り子を見上げていた。
「レイティアねえさまを初めてお見かけした時、女神様かと思ったの! 月明かりに照らされて、とっても美しい舞いでした」
「アリガト。ミュウくらいよ、アタシを見てくれるのは」
「僕は?」
「それでね、それでね、今日、ついに王国から騎士団がやってくるのよ!」
「へーぇ。さすがだね」
「黙殺?」
女同士の会話に加えてもらえず、吟遊詩人は肩をすくめた。
しかし、彼女らの企みに、自分が巻き込まれていることは確かなのだ。
まったく、どうしてこうなったのだろう。
ファリドは、この国の生まれではない。遥か遥か遠い南方の、今は亡き砂の国の血を引いている。……と、言われて育った。
祖国の手掛かりを得たいがために吟遊詩人として放浪しているところで、舞い手のレイティアと出会ったのだ。
かつては歌姫として酒場で名を馳せていたそうだが、病によって美声は失われた。
舞いの心得もあるというから、自分の歌に合わせて踊ってくれないかと頼んでみた。それがなかなか、相性がいい。
生きる楽しみが無いというのなら再び見つければいいのではないか――……青年が話を持ちかけようとした時、既に彼女は売約済みだったのである。
相手はミュウ=フォモール。
イーハ随一の部族・フォモールの首領の娘。