第一話
その占い処は、都会のざわめきが届かない路地裏にあった。
古いレンガの壁に、アーチ型の窓、雰囲気を壊さないちょっと重そうな扉。都会らしからぬたたずまいが看板のようなものだ。
扉が開き、一人の女性が入ってきた。
落ち着かない指先でバッグの紐を握りしめている。
「あの、予約してあるんですけど……彼氏のことで……相談したくて」
わずかながらに震える声は、周りに誰もいなければ泣き声に変わっていただろう。
この占い処を経営している占い師の綾瀬きららは、依頼人である女性に柔らかく微笑み、席を示す。
向かいの椅子に落ち着いた女性から、さらに詳しく話を聞く。
「これが彼の生年月日なんですけど……。最近、急に連絡が途絶えたり、会う約束も反故にされたりするんです。友達が、彼が別の女性と歩いてるところを見たとか言うし……浮気してるんじゃないかって思ってしまって」
受け取ったメモをもとに、きららはパソコンで彼氏のホロスコープを作る。
見ると、金星と天王星が鋭い角度を取っている。
愛情の金星と急激な変化を告げる天王星。このふたつが組み合わさって示すものは、恋愛の突発性、自由への衝動……
「彼は……」
きららは静かに答え始めた。
「一目惚れとか多そうですね」
依頼人の女性は目を見開く。
「一目惚れ……ですか?」
「ええ。彼氏さんは金星と天王星が強くて、いろんな女性に目移りしてしまうんですよ」
女性は顔を引きつらせながら、しばらく黙った。それってつまり、相手は一人とは限らないんじゃ……そんなことを考えていそうだ。
「……じゃあ、やっぱり浮気なんですね……」
「浮気かどうかを先に決めようとするから、苦しくなっているのでは? 浮気の可能性はゼロじゃないけど、つなぎとめることは可能ですよ。天王星は飽きっぽい星。慣れてくるとどうしてもよそに目が行ってしまう。だから、彼氏さんを飽きさせないようにすればいいんですよ」
女性は少しだけ肩の力を抜いた。
「希望を持ってもいいでしょうか……」
女性の言葉に、きららは微笑む。
「もちろん。あなたにも求める恋のカタチがあると思いますが、彼氏さんは本人ですら予測できない恋を生きている。その折り合いをどうつけるか、ですね」
女性は深く息を吐き、「ありがとうございます」と頭を下げた。
支払いも終えて帰り際、女性は入ってきたときから気になっている壁際にちらりと目を向ける。
鑑定机から少し離れた壁際にはソファーが置いてあり、一人の男性がソファーに身を沈めるようにしながらのんびりコーヒーを飲んでいる。
彼氏の浮気疑惑に心ここにあらずではあったが、視界に入るものはちゃんと認識していたようだ。
「あの、すみません。あちらの方は……?」
「ああ。うちの空気を静かにしてくださる方です」
「おっとぉ。俺には空気“静”浄機能でもついていたか」
男性はコーヒーカップを持つ手を少し上げながら軽く会釈をした。我が物顔でコーヒーを飲んでいるが、コーヒーもコーヒーカップももちろんこの占い処の備品である。
依頼人の女性は不思議そうに首をかしげながら会釈を返し、占い処を後にした。
「どうして達輝さんは、いつもここにいるんでしょうねえ?」
「あれ? ここ俺んちじゃなかったっけ?」
「違います」
久遠 達輝。
何かときららの占い処に入り浸っている男性だ。
年齢はきららよりいくらか上か。
いつもたいていコーヒーを飲みながら壁際のソファーに座っている。本を読んでいたり、スマホをいじっていたり、ひどいと寝ていたり。何をしに来ているのか皆目わからない。
ラフなスーツ姿が多いが、仕事はどうしているのか。ただ、鑑定の邪魔をすることはない。本当にそこにいるだけだ。
パソコン画面のホロスコープを閉じながらため息混じりのきららに、達輝は続ける。
「可能性はゼロじゃないっつってたけど、彼女の話聞いてる限り、どう考えても黒だろ彼氏」
「うーん……浮気してるとは思うけど、断言するわけにもいかないでしょ。でも嘘つくわけにもいかないし。鑑定はシビアだけど、これでも親切な方よ、私」
「んじゃま、そういうことにしとこうか」
「恋って、相手の速度に合わせるのが難しいと、それだけで不安になるものだもの」
と言うきららに、シビアな割に詩的だなと達輝は思った。
外で風が強く吹いた。
きららは次の予約を確認し、達輝はコーヒーを片手にスマホをいじる。
そこに流れる空気は、外の風よりずっと穏やかで、どこか軽やかだ。
ここは占い処『アトリエ久遠』。
都会の喧騒を横に置き、人が人と向き合う場所である。




