第9話 王太子の襲来と、砕け散った黄金の聖剣
「……できた」
工房の静寂の中、ヴォルク様がポツリと呟いた。
目の前にあるのは、剣というより、夜空を切り取ったような「現象」そのものだった。
刀身は『星核』由来の漆黒。光を一切反射せず、吸い込むような深淵の色。
柄には『雷帝の枯れ枝』が使われ、ヴォルク様が握ると青白い雷光が走って魔力を循環させる。
そして、鍔には『黒竜の爪』が使われ、圧倒的な強度で刀身を支えている。
『星喰みの魔剣』。
私たちが名付けた、最高傑作だ。
「重さはどうですか?」
「ああ。……エリーゼの魔法がなけりゃ、床が抜けてるな」
ヴォルク様が軽々と持ち上げるが、実際には小山一つ分に匹敵する質量がある。
刀身に刻まれた『重力制御』の術式が、持ち主への負担だけをゼロにしているのだ。
敵に叩きつけた瞬間、その質量は解放される。
ズズズズズ……!!
その時、今までで一番大きな地響きが工房を揺らした。
遠くから、空気を引き裂くような咆哮が聞こえる。
ついに、奴が来たのだ。
「グオオオオオオオオオッ!!」
「……お出ましだな」
ヴォルク様が剣を背負う。
その顔が、職人の顔から戦士の顔へと切り替わった。
「行くぞ、ルチア。俺たちの『答え』を叩きつけにな」
◇
私たちは辺境の砦へと急行した。
砦の上からは、絶望的な光景が見えた。
北の山脈から、黒い雲のような影が押し寄せてくる。
全長百メートルを超える巨体。
ダイヤモンドよりも硬いとされる、白銀の鱗。
そして、大地を焼き払う灼熱の息。
『古代竜』。
神話の時代から生きる、生きた災害。
「ひっ、あんなの勝てるわけがない……!」
「終わりだ、国が滅びるぞ!」
砦の兵士たちが震え上がり、逃げ出そうとしている。
無理もない。生物としての格が違いすぎる。
その時だった。
場違いなほど軽快なファンファーレが鳴り響いた。
「退け! 道を開けろ!」
「ルミナリス王国第一王子、ジェラルド殿下のご到着だ!」
王都からの近衛騎士団が現れた。
その中心に、白馬に跨ったジェラルド殿下がいた。
戦場には不釣り合いな、純白の礼服。後ろには「従軍画家」まで連れている。
「殿下!?」
私が声を上げると、殿下はこちらに気づき、フンと鼻を鳴らした。
「遅いぞ、ルチア。そして辺境伯。……貴様らがモタモタしているから、余がわざわざ出向いてやったのだ」
殿下は純白のマントを翻し、これ見よがしに腰の剣を抜いた。
シャラァァン……!
美しい音が響く。
黄金に輝く刀身。柄の根元には拳大のルビーが埋め込まれ、太陽の光を浴びて眩いほどに煌めいている。
王家に伝わる『黄金の聖剣』だ。
「美しい……」
「あれなら、竜もイチコロかもしれない!」
何も知らない兵士たちから希望の声が上がる。
けれど、私の顔は一瞬で青ざめた。
(ダメ……! あれは剣じゃない!)
私の『構造解析』には見えてしまう。
黄金の輝きは、ただの厚塗りメッキ。
中身の鋼材は経年劣化でスカスカ。
何より、柄の根元に埋め込まれた巨大なルビーが致命的だ。
『応力集中』。
刀身と柄の接合部という、一番負荷がかかる部分を削って石を埋めている。
あんなもの、衝撃が加わった瞬間に――。
「殿下! おやめください! その剣の構造では、竜の鱗どころか岩も切れません!」
私は思わず叫んだ。
たとえ私を捨てた相手でも、構造力学を無視した自殺行為は見過ごせない。
しかし、殿下は私を嘲笑った。
「黙れ、ゴミ拾い女。貴様の曇った目には、この聖剣の輝きが見えぬのか? これは美しさによって魔を払う、至高の一振りだ!」
殿下は馬の腹を蹴った。
「見ていろ! 余がこの竜を討ち、伝説の英雄となる瞬間を! 画家よ、今の角度を描いておけ!」
「殿下!?」
制止も聞かず、殿下は単騎で竜に向かって突撃していった。
後ろの近衛騎士たちが「えっ、本当に行くの?」という顔で立ち止まっている。彼らも見捨てる気だ。
古代竜が、足元の小さな虫に気づき、ゆっくりと首をもたげた。
その眼球だけで、殿下の身長ほどもある。
「はああああっ! 消え失せろ、醜き獣よ!!」
殿下は恐怖を美学で塗りつぶし、竜の足元へと肉薄した。
そして、黄金の聖剣を、竜の爪先に向かって全力で振り下ろした。
ガギィィィン!!
硬質な音が響く。
一瞬、時が止まったように見えた。
次の瞬間。
パキィン……キラキラキラ……。
虚しい音を立てて、黄金の刀身が根元(ルビーの埋め込み部分)からポッキリと折れ、空を舞った。
回転しながら地面に落ちた切っ先は、泥にまみれて輝きを失った。
「……は?」
殿下が、折れた剣の柄を握りしめたまま硬直する。
竜の鱗には、傷ひとつついていなかった。
金メッキが剥がれ、ただ汚れただけだ。
「な、なぜだ……? 余の聖剣が……一番美しく、高価な剣が……」
古代竜が、鬱陶しそうに鼻を鳴らした。
そして、巨大な前脚を、虫を潰すように振り上げる。
「ひっ、あ、あぁ……!」
殿下が腰を抜かし、馬から転げ落ちる。
美しい白の礼服が泥で汚れるが、そんなことを気にしている余裕はない。
圧倒的な「質量」と「死」が、頭上から迫ってくる。
「たす、助け――」
ズドォォォォォン!!!!
大気が爆ぜるような轟音が、戦場を揺らした。
地面が陥没し、土煙が舞い上がる。
「……へ?」
殿下が恐る恐る目を開ける。
自分がミンチになっているはずの場所に、黒い影が立っていた。
ヴォルク様だ。
彼は背中の大剣を抜き放ち、竜の踏みつけを「剣の腹」で受け止めていた。
「グ、ルル……?」
竜が困惑したように唸る。
自分の体重数千トンに加え、落下の衝撃。
それを、人間一人が受け止めているのだ。
いや、違う。ヴォルク様の剣が発する「重力場」が、竜の質量と拮抗しているのだ。
「……軽いな」
ヴォルク様が不敵に笑う。
首の血管が浮き上がり、足元の地面はクレーターのように陥没している。
けれど、彼は一歩も引いていない。
「見た目だけのメッキ剣じゃ、爪楊枝にもならねぇぞ。……下がってろ、王子」
ヴォルク様が気合いと共に剣を押し返す。
『重力反転』。
ドォォン!!
不可視の衝撃波が発生し、山のような巨体の竜が、まるで風船のように後方へ弾き飛ばされた。
「なっ……!?」
殿下が口をパクパクさせている。
ヴォルク様は剣を構え直した。
漆黒の刀身が、魔力を吸ってブオンと唸る。
「ルチア! 弱点は!」
私は砦の上から叫んだ。
眼鏡がズレるのも構わない。
「首の付け根! 三枚目の逆鱗の下です! ですが、多重魔法障壁が展開されています!」
「エリーゼ!」
「はいはい、お安い御用!」
空中に浮遊していたエリーゼ様が、『雷帝の杖』を掲げる。
杖の先端で、紫電が狂ったようにスパークする。
「『重力崩壊』・フル出力!!」
杖の先から放たれた黒い雷が、竜の障壁に直撃する。
バリバリバリッ!
魔法反射能力を持つ竜の障壁が、重力の歪みに耐えきれずにガラスのように砕け散った。
「道は開けたわよ、ヴォルク!」
「おうよ!!」
ヴォルク様が地面を蹴る。
その跳躍は、まるで砲弾だった。
一瞬で竜の頭上へと到達する。
「グオオオオッ!」
竜が口を開け、灼熱のブレスを放とうとする。
だが、遅い。
ヴォルク様は空中で大剣を振りかぶった。
『星核』の超質量。
『黒竜の爪』の強靭さ。
『雷帝の枯れ枝』の魔力伝導。
そして、ルチアが見出した「素材の真価」。
その全てが、一点に収束する。
「『星砕き(スター・ブレイカー)』!!!」
黒い閃光が走った。
ズ……バァァァァァァァン!!!!
音速を超えた衝撃波が、雲を吹き飛ばす。
竜のブレスごと、その首が両断された。
いや、断ち切られたのではない。圧倒的な質量によって、接触面が消滅したのだ。
ドスゥゥゥン……。
山のような巨体が、地響きと共に倒れ伏した。
古代竜は、何が起きたのか理解できぬまま、絶命していた。
静寂。
誰も言葉を発せなかった。
ただ、黒い剣を担いだヴォルク様だけが、竜の屍の上に立っていた。
「……すげぇ」
「一撃だ……あんな化け物を……」
やがて、わっと歓声が上がった。
砦の兵士たちが、帽子を投げて喜び合う。
私はへたり込んだ。
膝が震えている。怖かったからじゃない。
私たちの作った剣が、神話を超えたのだという事実に震えているのだ。
「……待て」
その歓声を遮るように、震える声が響いた。
泥だらけになったジェラルド殿下が、ふらふらとヴォルク様に歩み寄る。
その目は、恐怖ではなく、浅ましい欲望で濁っていた。
「そ、その剣……」
殿下は、ヴォルク様の持つ『星喰みの魔剣』を指差した。
「その黒い剣……素晴らしい威力だ。余の聖剣が折れた今、代わりの武器が必要だ」
彼は手を差し出した。
「よこせ。辺境伯。それは未来の王である余が持つにふさわしい。王家の宝物庫に入れてやろう」
(……は?)
私は耳を疑った。
命を救われた直後に、恩人の武器を奪おうとするなんて。
しかも、あんなに「汚い」と罵っていた黒い剣を。
ヴォルク様が、冷めた目で殿下を見下ろす。
「断る」
「なっ……!? 王命だぞ! 貴様、余に逆らう気か!」
「お前には扱えん」
ヴォルク様は剣を地面に突き刺し、手を離した。
ドスン、と地面が揺れる。
「拾えるものなら、拾ってみろ」
「は、馬鹿にするな!」
殿下は剣の柄を掴み、ふんっと力を入れた。
しかし、剣はミリとも動かない。
それどころか、殿下の顔が赤くなり、血管が浮き出るだけだ。
「な、なぜだ!? 貴様は片手で持っていたではないか!」
「エリーゼの魔法でお前が持てるようにしてやったとしても、お前には無理だ」
ヴォルク様は私を見た。
私は頷き、砦の階段を降りて、二人の元へ歩み寄った。
私は殿下の足元に落ちている、折れた黄金の聖剣の破片(金メッキのゴミ)を拾い上げた。
そして、静かに告げた。
「無理です、殿下」
「な、なんだと?」
「この魔剣の素材は、貴方が『ゴミ』と呼んで捨てたものばかりですから」
私はヴォルク様の横に並び、その腕に手を添えた。
「赤錆びた鉄。泥まみれの石。腐った木。……貴方が見向きもしなかった『汚いもの』たちが、本物の輝きを手に入れたんです」
私は真っ直ぐに殿下を見据えた。
もう、眼鏡で隠す必要はない。
「見た目だけで価値を決め、中身を見ようとしない貴方には……この剣の声は一生聞こえません」
「き、貴様ぁぁ……! よくも余に恥を!」
殿下が顔を歪め、私に掴みかかろうとした。
「はい、カット! いーい画が撮れたわよー!」
空から明るい声が降ってきた。
エリーゼ様が、水晶玉を持って降りてくる。
「……え?」
「今の戦い、王都の中央広場に『超広域・幻影魔法』で生中継してたの」
エリーゼ様が悪魔的な笑顔でウインクする。
「殿下がカッコつけて突撃して、剣がポッキリ折れて、腰を抜かして、命の恩人の剣を泥棒しようとして、持ち上げられなくて、元婚約者に論破されるところ……ぜーんぶ、国民全員が見ちゃったわねぇ」
「な、な、なにぃぃぃぃ!?」
殿下が絶叫し、その場に崩れ落ちた。
これで彼の「英雄譚」どころか、次期国王としての威信も完全に終了だ。
ヴォルク様が呆れたように笑い、私の肩を抱いた。
「性格悪いな、魔女殿は」
「あら、最高のエンターテインメントでしょう? 入場料を取りたいくらいよ」
私たちは竜の屍と、社会的に死んだ王子を背に、凱旋の歩みを進めた。
その背中は、どんな宝石よりも誇らしく輝いていた。




