第8話 ダンジョン・デート
「……くっさ!! 鼻が曲がるわ!」
エリーゼ様が鼻をつまんで叫んだ。
私たち一行は、松明の明かりを頼りに、薄暗い坑道を進んでいた。
「何よこれ! 腐った卵と古漬けを混ぜて煮込んだような匂いは!」
「『特製魔物除けアロマ(刺激臭マシマシ)』です」
私は腰に下げた香炉を揺らしながら涼しい顔で答えた。
中には、硫黄の粉末と、発酵させた香草、そしてアンモニア成分を含んだ鉱石を砕いて混ぜてある。
「このダンジョンの魔物は嗅覚が鋭いんです。この匂いを充満させれば、本能的に『危険』と判断して寄ってきません」
「理屈は分かるけど、味方の鼻も壊滅するわよ……!」
文句を言いながらも、エリーゼ様は感心していた。
実際、道中には凶暴な『ロックリザード』や『ケーブバット』の気配があったが、私たちに近づく前に蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
「俺は嫌いじゃねぇぞ、この匂い」
先頭を歩くヴォルク様が、つるはしを担ぎながら笑う。
「火山の噴気孔に近い、硫黄と鉄の匂いだ。実家の工房を思い出す」
「ヴォルク様、それは感覚が麻痺しているだけかと……」
そんな軽口を叩きながら、私たちは地下深くへと潜っていく。
気温がどんどん上がっていく。
肌を刺すような熱気。ここは活火山の真下なのだ。
「……止まれ」
不意に、ヴォルク様が足を止めた。
彼が左手を広げ、私とエリーゼ様を制する。
ゴゴゴゴゴ……ッ。
地響き。
遠くからではなく、足元からだ。
「じ、地震……!?」
「捕まってろ!」
ヴォルク様が叫んだ瞬間、私たちの足場の岩盤が大きく崩れ落ちた。
「きゃあぁぁっ!?」
体が宙に浮く。
下は奈落の底――ではないけれど、数メートル下の鋭利な岩場だ。落ちればタダでは済まない。
ガシッ!!
強い衝撃と共に、落下が止まった。
私の体は、空中でガッチリと抱き留められていた。
「……無事か、ルチア」
すぐ耳元で、低い声がした。
目を開けると、そこにはヴォルク様の広い胸板があった。
彼は片手で突き出した岩の縁を掴み、もう片方の腕で私を抱きかかえて、宙ぶらりんの状態になっていた。
「ヴォ、ヴォルク様!?」
「チッ、脆い地盤だ。……しっかり掴まってろよ」
彼の腕に力がこもる。
鋼のような筋肉が、私の体を守るように包み込んでいる。
近い。
魔物除けの悪臭なんて吹き飛ぶくらい、彼の汗の匂いと、鉄の匂いが鼻をくすぐる。
そして、ドクン、ドクンという力強い心臓の音が、私の体にまで響いてくる。
(すごい音……ヴォルク様も緊張しているんだわ)
戦闘態勢に入った戦士の心拍数だ。
まさか、私と密着しているせいでドキドキしているなんて、この時の私は露ほども思わなかった。
一方で、ヴォルク様は眉を寄せていた。
(……軽い。軽すぎる。ちゃんと飯を食わせてるはずなのに、まだこんなに細いのか)
そんな心配をされているとも知らず、私は彼の腕にしがみついていた。
「よい、しょっと!」
ヴォルク様は腕力だけで体を引き上げ、私たちを安全な岩棚へと着地させた。
続いて、浮遊魔法でふわりと降りてきたエリーゼ様が、ニヤニヤしながら口笛を吹く。
「ヒュー、ご馳走様。若いっていいわねぇ」
「……茶化すなババア」
「あら、わざと風魔法を使わずにおいた私の気遣いに感謝しなさいよ?」
ヴォルク様は顔を赤くして私を離した。
私も慌てて離れる。腰の道具ベルトがカチャリと鳴った。
「す、すみません、重かったですよね……」
「……羽みたいだった。帰ったら倍食わせるから覚悟しろ」
彼はぶっきらぼうに言って、スタスタと先へ歩き出した。
その背中が、なんだかいつもより頼もしく見えて、私は頬が熱くなるのを感じた。
◇
崩落現場を越え、さらに潜ること一時間。
私たちはついに「最深部」へと到達した。
そこは、広大なドーム状の空間だった。
壁一面に、青やピンクに輝く水晶がびっしりと生えている。
マグマの光を受けて乱反射し、まるで宝石箱の中にいるようだ。
「綺麗……! ここが神代の地層ね」
エリーゼ様が感嘆の声を上げる。
彼女はキラキラと輝く巨大な水晶の山に駆け寄った。
「見て! これ全部、高純度の魔力結晶よ! これだけあれば、杖の一本や二本……」
「ダメです、エリーゼ様」
私は冷静に告げた。
「それは『囮』です。見た目は綺麗ですが、魔力を吸うだけで放出しない『吸収結晶』です。杖にしたら、エリーゼ様の魔力を吸い尽くして枯渇させますよ」
「えっ、怖ッ!?」
エリーゼ様が慌てて水晶から手を離す。
「じゃあ、どれが本命なのよ? こっちの金色の鉱脈?」
「いいえ、それはただの黄鉄鉱(偽金)です」
私は『構造解析』の目を全開にし、広大な空間をスキャンする。
派手な輝きに惑わされてはいけない。
本物は、いつだって地味な顔をして隠れている。
(……あった)
私は空間の中央、マグマ溜まりの近くにある「黒ずんだ岩山」を指差した。
「あれです」
「は? あれ?」
エリーゼ様が目を点にする。
そこにあるのは、煤けたゴミの塊のような、ボロボロの岩だった。
「あれこそが『星核』の原石です。大気圏突入時の衝撃と、数千年のマグマの熱に耐えるため、極厚の断熱殻を形成しています」
私は確信を持って歩き出す。
ヴォルク様が、油断なく剣の柄に手をかけて付いてくる。
「……ルチア、離れるなよ。嫌な気配がする」
「はい」
黒い岩山の前に立つ。
近くで見ると、その岩肌からは、一切の魔力が感じられない。
あまりにも「無」だ。
それはつまり、内部の超高密度のエネルギーが、外に一滴も漏れ出していないという証拠。
「ヴォルク様、お願いします。つるはしで表面を」
「おう」
ヴォルク様が巨大なつるはしを振りかぶった、その時だった。
ゴゴゴゴゴゴ……!!
黒い岩山の周囲にあった「地面」が、盛り上がった。
いや、地面じゃない。
「グルルルルゥゥゥ……!!」
岩盤が組み上がり、巨人の形を成していく。
身長五メートルはあるだろうか。
全身が銀色に輝く金属質のボディ。
「鉱物生命体……! しかも、全身が純度100%のミスリル製かよ!」
ヴォルク様が叫ぶ。
『星核』を守るガーディアンだ。
ゴーレムは私たちを排除すべく、丸太のような腕を振り上げた。
「下がってろ!」
ヴォルク様が前に出る。
黒剣を一閃。
ガィィン!!
甲高い音と共に火花が散る。ゴーレムの腕に浅い傷がついたが、斬り落とせない。
「硬ぇ! それに魔力が滑る!」
「援護するわ! ……『紫電』!」
エリーゼ様が杖を振るう。
紫色の稲妻がゴーレムを直撃するが、銀色のボディが電気を地面へと受け流してしまう。
「嘘でしょ!? 私の雷撃が効かない!?」
「ミスリルは魔力を拡散させる性質があります! 直接攻撃魔法は効きません!」
私は叫びながら、ゴーレムの動きを観察した。
必ず弱点があるはずだ。
どんなに硬い鉱物にも、結晶の継ぎ目(へき開面)があるように。
このゴーレムも、熱を逃がすための「排熱孔」が必ずある。
(解析開始……構造スキャン……)
私の視界の中で、ゴーレムの銀色の体が、幾何学的なラインの集合体に変わる。
魔力の流れるパイプ。
駆動系。装甲板。
そして――。
「……見つけた!」
胸の中央。分厚いミスリル装甲の下に、わずかに魔力の密度が低い一点がある。
あそこが「核」への冷却ダクトだ。
「ヴォルク様! 胸の中央です! 逆三角形の装甲の、ちょうど頂点の部分!」
「あそこか!」
ヴォルク様が攻撃を回避し、体勢を整える。
「でも、装甲が厚すぎるわ! 剣で斬り込むには時間が足りない!」
「一点突破です! ヴォルク様、私の『解体用ハンマー』を使ってください!」
私は腰のベルトから、先日ヴォルク様が作ってくれた『竜爪のハンマー』を引き抜き、彼に投げ渡した。
黒剣よりも質量があり、一点に衝撃を集中できる形状。
『黒竜の爪』の硬度なら、ミスリルを砕ける!
「いい道具だ!」
ヴォルク様は空中でハンマーを受け取ると、ニヤリと笑った。
「エリーゼ! あいつの足を止めろ! 雷じゃなくて物理でだ!」
「分かってるわよ! ……『重力鎖』!」
エリーゼ様の魔法が、ゴーレムの周囲の重力を数十倍にする。
ドォン!
見えない鎖に縛られたように、ゴーレムの動きが止まる。
一瞬の隙。
ヴォルク様が地面を蹴り、高く跳躍した。
「砕けろォォォッ!!」
渾身の力を込めた一撃。
『竜爪のハンマー』が、ゴーレムの胸の急所を正確に捉えた。
ズドォォォォォン!!!!
轟音。
ミスリルの装甲がひしゃげ、蜘蛛の巣状に亀裂が走る。
衝撃波が内部へ浸透し、隠されていた「核」を粉砕した。
「ガ、ァ……」
ゴーレムの動きが止まる。
次の瞬間、巨体は音を立てて崩れ落ち、ただのミスリルの山へと戻った。
「はぁ……はぁ……。硬い野郎だ」
ヴォルク様が肩で息をしながら、ハンマーを私に返してくれた。
「ナイス判断だ、ルチア。お前の目がなけりゃ、長期戦で潰されてた」
「ヴォルク様の一撃のおかげです」
私たちは拳を合わせる。
そして、守り手が消えた「黒い岩山」へと向き直った。
ヴォルク様がつるはしを振るう。
カァン!
分厚い岩の殻が割れ、中から「闇」が溢れ出した。
「え……?」
眩しい光ではない。
それは、光を吸い込むような漆黒の結晶体。
その奥底で、無数の星のような光の粒子が瞬いている。
まるで、夜空そのものを結晶にしたような物質。
『星核』。
「……綺麗」
私は思わず息を呑んだ。
これこそが、私が求めていた最高級の素材。
見た目の美しさだけでなく、その内包するエネルギーの純粋さに、魂が震える。
「へぇ、宇宙をくり抜いてきたみたいね」
エリーゼ様も感嘆している。
ヴォルク様は、慎重にそれを革袋へと収めた。
ずしりと重い音がした。
「よし、確保だ。……これで、竜を殺す剣が打てる」
素材は揃った。
『雷帝の枯れ枝』。
『星核』。
そして『黒竜の爪』。
あとは、これを形にするだけだ。
ズズズズズ……。
再び、地響きが起こった。
今度は、もっと大きく、もっと近い。
頭上からパラパラと岩屑が落ちてくる。
「……マズいわね」
エリーゼ様が天井を見上げて、表情を硬くした。
「地脈の波長が変わった。……お目覚めよ。『古代竜』が」
タイムリミットだ。
私たちは顔を見合わせた。
「戻るぞ! ここからは時間との勝負だ!」
ヴォルク様が叫び、私の手を引いて走り出す。
その手は熱く、力強い。
私たちは走り出した。
最強の武器を作り、迫り来る厄災を迎え撃つために。




