第2話 辺境への片道切符と、森の鍛冶師との出会い
ガタガタと、車輪が荒れた石畳を噛む音が響く。
王都を追放されてから二週間。
私が乗った安物の乗合馬車は、鉛色の空の下を進んでいた。
「さ、寒い……」
隙間風が吹き込む車内で、私は薄手のショールをきつく巻き直す。
吐く息は白い。
王都とは違い、ここはもう冬のような寒さだ。
窓の外の景色は、一変していた。
緑豊かな平原は消え、黒い岩肌と、雪交じりの荒野が続いている。
空気中に漂うのは、微かな硫黄の匂い。
同乗している行商人たちは「不吉な色だ」「早く戻りたい」と怯えている。
けれど、私の目は輝きを抑えられなかった。
(すごい……! あの岩肌の断層、教科書通りの見事な褶曲だわ)
降り積もる灰色の粉。
あれはただの汚れじゃない。良質な火山灰だ。
ミネラルを豊富に含んだ、最高の土壌改良剤になる。
道端に転がる石ころ一つとっても、王都のそれとは密度が違う。
ここは、大地が生きたエネルギーを噴き出している場所。
私の胸が高鳴る。
懐には、あの『竜輝石』がしっかりと収まっている。
この子も、故郷の気配を感じて温かくなっている気がした。
その時だった。
――ズズズンッ……!!
地響きとともに、馬車が大きく跳ね上がった。
御者の悲鳴が寒空に裂ける。
「ま、魔物だぁぁぁ!!」
馬車が急停止し、乗客たちが将棋倒しになる。
私は窓から外を覗き込んだ。
街道の真ん中、アスファルトのような硬い地面を突き破り、巨大な影が隆起していた。
岩石に擬態した甲殻を持つ魔獣、『ロックイーター』だ。
「ヒヒィーン!」
馬がパニックを起こして暴れる。
護衛として雇われていた二人の冒険者が、剣を抜いて飛び出した。
「くそっ、こんな街道に出るなんて聞いてねぇぞ!」
「やっちまえ!」
彼らの剣は、王都で流行りの「流線型シルバーソード」。
柄には綺麗な青い宝石が埋め込まれ、刀身は鏡のように美しく磨き上げられている。
彼らは勇敢に魔獣へと斬りかかった。
――カィィンッ!!
硬質な音が響く。
次の瞬間、空を舞ったのは、魔獣の首ではなく――折れた剣の切っ先だった。
「な……っ!?」
冒険者が目を見開いて硬直する。
当然の結果だ。私は奥歯を噛み締めた。
(気温氷点下の環境で、あんな炭素含有量のバラついた合金を使えば……!)
「低温脆性」。
一定以下の温度になると、金属がガラスのように脆くなる現象だ。
王都の温暖な気候しか想定していない、見た目重視の剣が通用するはずがない。
「グオォォォォ!!」
ロックイーターが咆哮し、丸太のような前脚を振り上げる。
武器を失った冒険者たちが尻餅をつく。
逃げ遅れた馬車の中に残されているのは、私だけ。
(逃げなきゃ)
頭では分かっているのに、足がすくむ。
私の手には武器なんてない。
あるのは、懐の『竜輝石』だけ。
これを囮に投げれば、鉱石を食べる魔獣の気を逸らせるかもしれない。
でも。
(嫌……!)
私は石を強く抱きしめた。
家族にも、婚約者にも捨てられた。
私に残された唯一の希望を、こんなところで失いたくない。
魔獣の影が、私を覆い尽くす。
私はギュッと目を閉じた。
――ドゴォォォォォンッ!!!!
空気が爆ぜるような轟音が、鼓膜を叩いた。
いつまで経っても、痛みは来ない。
恐る恐る目を開けると。
目の前に、巨大な背中があった。
燃えるような赤髪。
丸太のような太い腕。
熊の毛皮を無造作に羽織ったその男は、私の身長よりも遥かに大きな「鉄塊」を担いでいた。
いや、よく見るとそれは大剣だ。
ただし、装飾など一切ない。
黒く煤け、表面はザラザラで、まるで建築資材の鉄骨のようだ。
その足元には、粉々に粉砕されたロックイーターが転がっていた。
斬ったのではない。
その圧倒的な質量で、叩き潰したのだ。
「……チッ。また刃こぼれか」
男が低く、地響きのような声で呟く。
彼は鉄塊のような剣を一瞥し、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「王都から取り寄せた『最高級鋼材』も、この程度か。脆すぎて話にならん」
彼は冒険者たちを一睨みして追い払うと、馬車の方へ振り返った。
鋭い金色の瞳。
獲物を狙う猛獣のような眼光に、私は思わず息を呑む。
王都の貴族たちが「野蛮な熊男」と恐れる理由が分かった気がした。
「おい。怪我はないか」
ぶっきらぼうな問いかけ。
私は慌てて馬車から降り、スカートの裾を掴んで一礼した。
「は、はい! 助けていただき、ありがとうございます!」
「……ふん。悲鳴ひとつ上げないとは、肝が据わっているな」
男は私の顔……ではなく、私の泥だらけのブーツと、荷物の少なさをじろりと観察した。
「王都から来た追放者か。名前は」
「ルチア……ルチア・アースマインです」
「俺はヴォルク・ヴァルカンだ」
ヴォルク・ヴァルカン。
この北の地を治める辺境伯。
そして、私の最後の希望。
彼は壊れた馬車の車輪を見ると、大きなため息をついた。
「これじゃあ先には進めんな。……乗れ。屋敷まで送ってやる」
彼は指笛を鳴らし、巨大な黒馬を呼び寄せた。
そして、私の返事も待たずにひょいと持ち上げる。
まるで米袋のような扱いだった。
◇
ヴォルク様の屋敷は、火山の麓、黒い森の奥深くにあった。
「屋敷」と呼ぶには、あまりにも無骨だった。
高い塀に囲まれたそこは、巨大な要塞か、工場のようだ。
いくつもの煙突からは黒い煙が立ち上り、絶えず金属を叩く重い音が響いている。
「汚い場所だ。期待するなよ」
門をくぐりながら、ヴォルク様が言った。
確かに、王都の煌びやかな離宮とは雲泥の差だ。
庭には手入れされた薔薇などなく、枯れた雑草と、黒ずんだ資材が乱雑に積まれている。
けれど。
(……え?)
馬から降ろされた私の視線は、庭の隅にある「ゴミ捨て場」に釘付けになった。
そこには、雨ざらしになった金属片や、泥まみれの岩石が無造作に山積みされていた。
ヴォルク様の言葉通りなら、これらは「鍛冶の失敗作」や「不要な瓦礫」なのだろう。
でも、私には違って見えた。
「……嘘」
私はふらふらと、その山に吸い寄せられた。
足元に転がる、赤錆だらけの鉄くず。
これはただの錆じゃない。
『緋色金』の酸化被膜だ。熱伝導率が極めて高い、幻の金属。
その隣にある、苔むした灰色の岩。
これは『ミスリル銀』の原石だ。魔力を通すと青く発光するはず。
さらに奥にある黒い塊は……硬度10を超える『アダマンタイト』!?
「おい、そっちはゴミ捨て場だ。汚れるぞ」
背後からヴォルク様の呆れた声がする。
彼は私が、あまりの汚さに絶句していると思ったのだろう。
「掃除が行き届いてなくて悪かったな。王都のお嬢様には耐えられんだろうが――」
「あの!」
私は勢いよく振り返った。
眼鏡がずれるのも構わず、彼に詰め寄る。
「こ、これを……この『ゴミ』の処分は、どうなされるおつもりですか!?」
「あ?」
ヴォルク様が、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。
「……何を言ってるんだ? それは俺が叩き損じたクズ鉄と、鉱山から出た邪魔な岩だぞ。そのうち埋めるか捨てるかする」
「捨ててはダメです! もったいない!」
私は興奮して、早口でまくし立てた。
「あの赤錆びた鉄は、適切な還元剤を使って1300℃で加熱すれば、最高のバネ材になります! そっちの岩も、酸で洗えば魔力増幅石として使えます!」
「……は?」
「お願いです、ヴォルク様! 私をここで働かせてください!」
私は両手を組んで懇願した。
追放された身で、こんなことを頼むのが厚かましいのは分かっている。
でも、目の前に国宝級の素材が「ゴミ」として雨に打たれているのを見過ごすなんて、もったいなさすぎる!
「宿代の代わりに、私がこの資材の山をお片付けします! 掃除でも分別でもなんでもしますから!」
ヴォルク様は、金色の目を丸くして私を見下ろしていた。
やがて、困惑したように頭をかいた。
「……変わった女だ。ドレスや宝石じゃなく、こんなものを欲しがるとはな」
彼は鼻を鳴らし、背を向けた。
「好きにしろ。どうせ捨てるつもりだったゴミだ。……ただし、怪我しても知らんぞ」
「ありがとうございます!!」
私は満面の笑みで叫んだ。
ヴォルク様が、一瞬だけ背中を震わせたように見えた。
(やった……!)
私は振り返り、宝の山を見上げる。
ここなら。
この場所なら、私は「私」らしくいられるかもしれない。
懐の『竜輝石』が、ドクンと温かく脈打った気がした。
「さあ、お片付けの時間よ」
私は袖をまくり上げる。
追放令嬢の、泥だらけで最高に輝かしい新生活が、今始まる。




