第10話 辺境の繁栄と、二人の指輪
長く厳しい冬が終わり、北の辺境にも遅い春が訪れていた。
雪解け水が小川となり、黒い岩肌の隙間から、力強い緑が芽吹いている。
「いらっしゃいませ! 素材の持ち込み鑑定は二番窓口へ!」
「『黒鋼の剣』の予約は三ヶ月待ちだ! 並べ並べ!」
かつて「死の地」「ゴミ捨て場」と呼ばれたヴォルク様の屋敷周辺は、今や大陸で最も活気溢れる「鉱石特区」へと変貌していた。
あの古代竜討伐と、魔女様による生中継の影響は凄まじかった。
「折れない剣」と「ドラゴンの素材」を求めて、世界中の冒険者、職人、そして商人たちが殺到したのだ。
工房の煙突からは絶えず煙が上がり、リズミカルな槌音が響く。
それは、この街の心臓の鼓動のようだ。
「ルチア様! 東方諸国の貿易商が、新しい『廃材リサイクル契約』を結びたいと!」
「分かったわ、すぐに規格書を持っていく!」
私は書類の束を抱えて走り回る。
目は回るほど忙しい。けれど、以前の王城での「やらされている労働」とは違う。
私の知識が、私の愛する石たちが、この街を動かしているという確かな実感がある。
ふと、工房の窓から外を見ると、一台の質素な馬車が帰っていくのが見えた。
王家の紋章が入っているが、金箔などの装飾は全て剥がされている。
「……お帰りになられるのね」
先日、国王陛下が直々にこの地を訪れたのだ。
名目は「古代竜討伐の感謝」だったけれど、実態は「土下座外交」だった。
王都の騎士団が逃げ出し、聖剣が折れ、辺境伯が国を救った。その事実は覆せない。
加えて、古代竜の素材を加工できる技術は、この工房にしかない。
国としては、ヴォルク様に頭を下げて「素材を卸してもらう」以外に生き残る道がなかったのだ。
結果、この地は王都の干渉を受けない「特別鉱石自治区」として認められた。
そして、全ての元凶であるジェラルド元王太子は――。
◇
(南方の石切場)
『おい新人! 石運びが遅いぞ! 腰を入れるんだよ!』
『は、はいっ……くそ、重い……!』
風の噂によると、彼は王籍を剥奪され、名前も捨てて平民として働いているらしい。
かつて「美しいメッキの剣」しか持てなかった手が、今は泥と石にまみれ、皮が剥けて血を流している。
エリーゼ様は言っていた。
『石の重さを知ること。それが彼にとって一番の教育よ』と。
自分の力で持ち上げられないものを、見栄だけで持とうとした代償。
彼がいつか、石の重みと労働の尊さを知る日が来れば……その時は少しだけ、鑑定してあげてもいいかもしれない。
◇
「ルチア」
背後から低く名を呼ばれ、私は振り返った。
作業着姿のヴォルク様が立っている。
相変わらず顔には煤がついているけれど、その表情からは以前のような険しさが消え、穏やかな自信に満ちている。
「少し、休憩しないか。……お前に、見せたいものがある」
「はい? 新しい合金の試作品ですか?」
「……まあ、そんなところだ」
珍しい。仕事の鬼である彼が、自分から休憩を提案するなんて。
私はエプロンを外し、彼について行った。
連れて行かれたのは、屋敷の裏庭だった。
かつて私が初めてここに来た時、うず高く積まれた「ゴミ山」があった場所だ。
今は綺麗に整地され、私たちが最初に作った『緋色金』のスクラップや、『黒鋼』の試作品が、記念碑のように飾られている。
春の日差しの中、それらはゴミではなく、歴史の証人として輝いていた。
「懐かしいですね。あの日、ここが私には宝の山に見えたんです」
「ああ。……俺にはただの忌々しいゴミ捨て場にしか見えなかったがな」
ヴォルク様が苦笑する。
彼は立ち止まり、ゴソゴソとポケットを探った。
その動きが、妙にぎこちない。
「ルチア。俺は……不器用だ。気の利いた言葉も言えんし、王都の貴族のようなスマートな真似もできん」
「知ってますよ。それがヴォルク様の良いところです」
「……茶化すな。ガルドとエリーゼに脅されて、三日練習したんだ」
彼は咳払いを一つして、赤くなった耳を隠すように顔を背け、握りしめた拳を私に差し出した。
「これを、鑑定してくれ」
彼の手が、ゆっくりと開かれる。
そこにあったのは、親指ほどの大きさの、白く濁った石ころだった。
ゴツゴツしていて、形も歪だ。
道端に落ちていれば、誰もが蹴飛ばすような石。
けれど。
「……っ」
私は息を呑んだ。
震える手でルーペを取り出し、覗き込む必要すらなかった。
私の『構造解析』の目が、その石の正体を瞬時に見抜いたからだ。
「これは……『竜心金剛石』……?」
古代竜の心臓の最深部。
数千年の間、ドラゴンの膨大な魔力と、超高熱、超高圧力に晒され続けた結果、炭素が極限まで圧縮されて生まれた結晶。
『星核』すら凌ぐ硬度を持ち、永遠に輝きを失わない、幻の宝石。
「討伐した竜の残骸を解体していた時に見つけた。……俺の目には、ただの濁った石ころにしか見えねぇ」
ヴォルク様が、真っ直ぐに私の目を見た。
その金色の瞳が、真剣に、そして少しの不安を帯びて揺れている。
「だが、お前なら。……お前の目なら、この中にある『本物の輝き』が見えるはずだ」
「……はい。見えます。世界で一番、硬くて綺麗な光です」
「そうか」
彼は安堵したように大きく息を吐き、そして一歩、私に近づいた。
「俺は、この石と同じだ。無骨で、泥臭くて、外側は傷だらけだ。中身なんて誰にも見てもらえないと思ってた。……お前に会うまでは」
彼の手が、私の泥だらけの手を包み込む。
大きく、ゴツゴツとしていて、温かい。
無数の切り傷と火傷の跡がある、働き者の職人の手。
「お前が俺を見つけてくれた。ゴミだと思っていた俺の剣を、技術を、人生を……『宝物だ』と言ってくれた」
「ヴォルク様……」
「だから、俺にはお前が必要だ。……俺の隣で、一生、俺という原石を磨いてくれねぇか」
それは、あまりにも彼らしい、不器用で実直なプロポーズだった。
完成された指輪を贈るのではなく、「原石」を渡し、「共に磨いていこう」と言う。
幸せを与えるのではなく、二人で汗をかいて幸せを作っていこうという誓い。
視界が滲む。
私は眼鏡を外した。
涙で見えなくなる前に、彼の不器用で愛おしい顔を、しっかりと肉眼で見たかったから。
「……はい。喜んで」
私は笑顔で、ボロボロと涙を流しながら答えた。
「私、石拾いが趣味ですから。……貴方のような素敵な原石、もう二度と離しません」
「ははっ、そいつは頼もしいな」
ヴォルク様が笑い、私を力強く抱き寄せた。
鉄と、火と、日向の匂い。
私が世界で一番好きな、安心する匂い。
彼は私の左手の薬指に、そのゴツゴツした『原石』をそっと乗せた。
「指輪にする加工は、これから二人でやるぞ。……世界最強の指輪にな」
「ふふっ、そうですね。この硬度だと、加工難易度はSランクですよ? 覚悟してくださいね」
「望むところだ」
私たちは笑い合い、そして春の柔らかな日差しの中で、長く口づけを交わした。
そのキスは、どんな完成された宝石よりも甘く、確かな温度を持っていた。
◇
数年後。
北の辺境は「職人の聖地」として栄え、その中心には一組の夫婦が営む工房があった。
そこには今日も、多くの人々が訪れる。
「ここに来れば、どんなガラクタでも宝物に変わる」
そんな噂を聞きつけて。
「ルチア! 新しい素材が入ったぞ! 鑑定頼む!」
「はい、あなた! 今行きます!」
私はエプロンの紐を締め直し、愛する夫と、石たちが待つ工房へと走る。
私の名前はルチア・ヴァルカン。
かつて「ゴミ拾い令嬢」と呼ばれ、全てを捨てられた女。
でも今は。
世界で一番幸せな、「宝探しの達人」だ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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