落語声劇「臆病源兵衛」
落語声劇「臆病源兵衛」
台本化:霧夜シオン@吟醸亭喃咄
所要時間:約25分
必要演者数:4名
(0:0:4)
(3:1:0)
※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。
よって性別は全て不問とさせていただきます。
(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)
※当台本は元となった落語を声劇として成立させるために大筋は元の作品
に沿っていますが、セリフの追加及び改変が随所にあります。
それでも良い方は演じてみていただければ幸いです。
●登場人物
源兵衛:とにかく臆病な男で、夕暮れ時になると夏でもかまわずに
戸も障子もすべて閉め切り、蚊帳まで吊ってその中で布団にくる
まって夜を過ごす。おかげで夜ははばかり(トイレ)にも行けな
い。だけど助平。
…というか、夏にそんな事してたら熱中症にならんかな?
八五郎:源兵衛の友人。
兄ぃと共謀して臆病な源兵衛を脅かして、目を回すのを肴に酒を
呑もうと悪い趣向を考え付く男。
兄貴:八五郎、源兵衛の兄貴分。
八五郎の誘いに乗って源兵衛を脅かそうと企む。
寺男:多分、不忍池ということなので、不忍池辯天堂のことではないだろ
うか。池を荒らしている八五郎を注意しただけなのに、鬼に間違わ
れる。1セリフのみ。
酔っぱらい:仲之町へ呑みに行っていた男。いい気分で酔って歩いていた
が、源兵衛と八五郎のせいでとんだドッキリに。
3セリフのみ。
男1:根津へ女を買いに行っていた二人連れの片方。1セリフのみ。
男2:根津へ女を買いに行っていた二人連れのもう片方。1セリフのみ。
男3:根津で八五郎が出会った男。地獄か極楽か問われ、女郎買い的な
意味で極楽と答える。1セリフのみ。
女性:八五郎が根津で出会った女性。おそらく女郎だと思われる。
2セリフ。
老婆:八五郎が根津で出会った、鶏を絞めてさばいている老婆。
いくらなんでも、もろ肌脱いでるのはやりすぎでは?
4セリフしかないが、オチを言う役なのでとても重要。
●配役例
源兵衛・寺男・男2:
八五郎:
兄貴・酔っぱらい・男1・男3:
老婆・女性・枕:
枕:昔と今とでは、あらゆる点でいろいろ違っておりますが、なかでも
照明、灯りでございますな。これが大変に進歩いたしました。
日が落ちて夜になりましても、街灯やらネオンやらが周囲を明るく
照らしている。さらに平成中期にはLEDなるものが登場し、
よりいっそう明るくなりました。
ま、世の中が明るくなってもまだまだすべてを照らすには至りません
な。組織団体、人の心しかりでございます。
ところが明治より昔なんてのは街灯すらありゃしませんから、
月が出てなかったらもう真の闇、たとえ目と鼻の先に誰かいても
分からないというぐらいなもんです。
息遣いとかで分かるだろなんて野暮は言いっこなしで。
そんなわけですから、昔は大人であっても夜が怖いなんて人はすいぶ
んとあったようで。
八五郎:ちわー、こんちわー!
兄ぃいますかい!
兄貴:おう、八じゃねえか。
こっち上がんなよ。
八五郎:どぉ~も。
いやぁ暑かったねえ今日は。
日が暮れてようやくホッとしたよ。
いやぁあんまり暑いんでね、仕事に出たって頭の芯がぼーっと
しちまって仕事にならねえ。
しょうがねえからいい加減で仕事を切り上げてね、
家へ帰って余ってた酒ェ呑んで、カーッと寝ちまった。
で、日が暮れるってえと起きてくるって塩梅なんだね。
仕事しねえから家にゃ一文の銭も入れてねえ。
おかげでかかあが文句ばっかり言ってやがんだ。ははは。
だからこうして涼みがてら出てきて、兄ぃんとこに寄ったってわ
けで。
兄貴:そうかい、俺んとこだって同じだよ。
まあ上がんな。ちょうど一杯やり始めたとこなんだ。
どうだい、おめえも呑みなよ。
八五郎:ぅほほっ、そうですかい?
こりゃどうも、恐れ入りやすねェ。
じゃ、ご相伴にあずかって!
兄貴:冷やだけどかまわねえかい?
八五郎:ええもう、あっしァ冷やの方がよろしいんで。
じゃ、頂戴いたしやす。どうも。
んっ…んっ…
いやァ結構ですねえ!
兄貴:ほれ、肴もあるから遠慮なくやりな。
八五郎:こいつァありがてぇ!
肴までいただけるなんて、おっ、鯉の洗いじゃありやせんか!
結構でござんすねえ、へへ!
んむ。
【二拍】
うん!シャキシャキと歯ごたえが良くっていいやね!
…おや?
そこに掛かってるかたびら、いいですねェ!
兄ぃのですかい?
兄貴:おう、まあな。
薩摩上布ってやつよ。
八五郎:へえェいいなあ!
あっしもそういうのを着て歩いてみてェもんだなあ!
兄貴:なあに、それほどのモンでもねえがな。
そういや、源兵衛の奴もそんなこと言ってやがったなぁ。
八五郎:へえ、源兵衛もですかい?
そりゃあそうでしょう、誰だって欲しがりますよそりゃ…って、
え、源兵衛が来たってまさか、日が暮れてから来たわけじゃねえ
でしょうね?
兄貴:いや、昼頃に来たよ。
八五郎:ははは、そりゃそうでしょうね。
あの野郎が暗くなってから来るわけがねえや。
兄貴:そういや噂には聞いてたがよ、そんなに臆病なのかい?
八五郎:臆病も臆病で、あんな臆病あるもんじゃねえや。
このクソ暑いのに日が暮れるってえとね、みぃんな戸を閉め切っ
ちまうんで。
で、聞いたところによりゃ、その上さらに蚊帳を吊ってその中で
布団を頭から引っかぶってガタガタガタガタ震えてやがってるっ
てんだね。
兄貴:おいおい、そりゃ相当なもんじゃねえか。
八五郎:今ここに来る時もね、家の前を通ってきたんだ。
そしたら、まだ辺りがすっかり暮れてるわけでもねえ、
ぼんやり薄明るくって子供らがまだ表で遊んでやがるのに、
すっかり戸を閉め切ってちまってんだ。
きっと中で震えてやがるに違えねえよ。
しかも、あれだけ臆病だってのに助平ときてやがる。
いやあ、あんな助平はありゃしませんよ。
ちょいと銭が入るってと、すぐに女を買いに行っちまう。
兄貴:ほお、源兵衛がそんなに助平とはなあ。
吉原に出入りしてるとこなんざ想像できねえなあ。
八五郎:いやいや、吉原なんてそんないいとこへ行きゃしませんよ。
根津とか深川とか、世間でもって地獄なんて言いますよ。
ああいうとこへ行って、「昼遊びの源兵衛」なんて呼ばれてます
ね。
兄貴:ははは、昼遊びの源兵衛たぁよく付けたよ。
確かに夜は行けねえだろうからな。
八五郎:そうだ、兄ぃにご馳走になりっぱなしじゃ悪いから、
ご趣向って事で源兵衛の奴を今から呼びましょう。
兄貴:呼ぶ?ははは、なに言ってやがる。
あんな臆病が来るわけがねえ。
八五郎:ところが来るんですよ。
さっきも言った通り、源兵衛は女好きだ。
あっしはあいつの女の好みを知ってるんでさ。
年が24、5でもって、色の白いぽっちゃりとした一重まぶた、
目尻がクッと上がってるような女が好みなんで。
兄貴:ほお、源兵衛は年増好きかい。
八五郎:まぁそういう女が兄ぃの遠縁にいるって事にしてね、
野郎の事を見初めて一晩ゆっくり話をしたいと言ってるんだが、
ちょいと来てくんねえか、とこう話を持ち掛けるんで。
野郎の事だ、すぐに来ますよ。
それで兄ぃ、源兵衛連れてきたらすぐにあっしに何か一つ用を
言いつけておくんねえ。
それで外へ出たふりをして、あっしは台所に先回りする。
そしたら野郎を台所へよこしてくださいよ。
ガタガタガタガタ震えながら野郎が来たところを、
あっしがうわーっと脅かす。
野郎がきゃーっと目を回したのを見て、そいつを肴に一杯やろう
って話でさ。どうです?
兄貴:なるほどな、そいつはおもしろそうだ。
よし、じゃ、ひとっ走り行ってきてくれ。
八五郎:へへへ、ご座興ご座興!そう来なくっちゃ!
悪い相談がまとまったってやつだ。
それじゃ、ちょいと行ってきやす!
【三拍】
はあぁ、これだよ。
このクソ暑いのに戸をいう戸を閉め切りやがって。
何してんだかね。
【戸を叩く】
おぉい!
【戸を叩く】
源兵衛の!
【戸を叩く】
源兵衛ェ!!
源兵衛:うぅぅ…ど、どなたでございますか…!
八五郎:おう、俺だ俺だ!八だ!
源兵衛:は、八五郎さんですか…!?
こ、こんな遅くに、何の大声でございましょう…?
八五郎:いや遅かねえよ。まだ日が暮れてそんなに経ってねえじゃねえか
。
ちょいと用があってな。
すまねぇけど、これから兄ぃんとこまで来てもらいてえ!
源兵衛:じょ、冗談言っちゃいけません…!
こんなに暗くなってから兄ぃのとこなんて行けやしませんよ…!
明日の朝早くにうかがいますから、そうおっしゃって下さい。
八五郎:明日じゃダメなんだよ。
ちょいとわけがあるんだ。
話があるからここ開けてくれよ。
源兵衛:とと、とんでもございません…!
うっかり開けたら、何が入って来るかしれません…!
そこで聞こえますから、どうぞそこでおっしゃって下さい…!
八五郎:しょうがねえな…実はよ、兄ぃの遠縁にあたる、
年のころは24、5でもって色の白い、ぽっちゃりとしてて
一重まぶた、目尻がこうクッと上がってる乙な女がいるんだ。
これがどっかでお前の事を見初めたらしいんだな。
で、一晩ゆっくり源兵衛さんと話がしてみてえと、こう言うんだ
よ。
明日になると里へ帰らなくちゃなんねえから、今晩じゃなきゃ
いけねえってんでね、俺が片棒担いでおめえを呼びに来たと、
こういうわけだ。
だから一緒に、兄ぃんとこまで来てくれ。
源兵衛:ぇ、えぇ…?
年のころは24、5で、色の白いぽっちゃりとした、一重まぶた
で目尻の上がった、そういう女があたしに会いたいと、
そういうんですか?
あ…行きます。
八五郎:お、来てくれるかい?
源兵衛:ぃ、行きます、行きますけどね…
一人じゃ怖くて行けないんです…!
八五郎さんも一緒に行ってもらいたいですが…!
八五郎:お、おぅ、乗り掛かった舟だ。
一緒に行ってやるよ、な。
源兵衛:っそっ、そこ、動かないでくださいよ、いいですか…!?
動いちゃいけませんよ、動いちゃ…!
いま、開けますから…。
【ゆっくり怯えながら戸を開ける】
大丈夫ですか…?
何かいやしませんか…?
八五郎:大丈夫だよ、なんもいやしねえ。
俺がいるだけだよ。
源兵衛:っは、はい…いま、しまりをしますから…。
う、動かないで下さいよ…いいですか…!
っあ”ーーーーッ!
八五郎:っな、なんだよ!?
源兵衛:動いちゃいけないって、言ったじゃないですか…!
八五郎:まだ三分も離れてねえよ!
源兵衛:ぃっいいですから、こっち、こっち来てくださいよ…!
うっうぅぅ…ぅぅうう…!
八五郎:なんだよおい、そんなに怖がるこたぁねえだろ。
って着物を引っ張るなよ、破けちまう。
なんだか俺まで気味が悪くなってきたよ…。
源兵衛:ぅぅう…こ、怖い…。
八五郎:大丈夫だって!
ほら、もう兄ぃんとこまで来たぞ。
兄ぃ、行って来やした!
源兵衛の野郎連れてきやしたよ。
兄貴:おう来たか。
よぉ源兵衛、よく来たなあ。
こっち上がんな!
源兵衛:【人がいるので怯えてない】
あぁどうも兄ぃ、昼間はお邪魔様でございました。
うぅ…!あぁ…!
兄貴:っど、どうした?
源兵衛:【また怯えだす】
戸や障子が…開けっ放しでございます…!!
兄貴:そりゃそうだ、暑くてしょうがねえんだから。
開けっ放しとかなきゃいけねえだろ。
源兵衛:!ひっ、うぅ…!
兄貴:今度はなんだよ…。
源兵衛:ぶ、仏壇の扉が開けっ放しでございます…!
兄貴:いいじゃねえかそれくらい。
~~わかったわかった、閉めてやるよ。
ほれ、これていいだろ。
源兵衛:ぁぁはは…恐れ入ります…。
兄貴:よし、じゃ駆け付け一杯やんな、ほれ。
源兵衛:ぁっ、じゃ一杯、頂戴いたします…。
んっ…んっ…ぷはぁ…。
あ、それで、その…あたしに会いたいという方は、どこにいるん
でございます?
兄貴:あ?あぁそれがな、今ちょいと使いに行ってるんだ。
すぐ帰って来るからよ、一杯やって待ってな。
源兵衛:えっ使い?この暗い中を!?一人で!?
いい度胸なすってる方ですねえ…まるで夜叉みてえな女だ。
八五郎:あ、そうだ兄ぃねーー
源兵衛:【↑の語尾に喰い気味に】
ひゃあああ!
脅かしちゃいけませんよ八五郎さん!
八五郎:おめえが脅かしてんじゃねえか、源兵衛の。
いやね、酒が足りなくなるといけねえから、店が閉まらねえうち
にちょいと買い足してこようかと思いやしてね。
兄貴:おぅそうかい。
じゃあ済まねえが、行ってきてくれ。
源兵衛:ええぇ!?八五郎さん行っちゃうんでございますか!?
そりゃあちょっと、気味が悪いなぁ…。
八五郎:兄ぃがいるから大丈夫だろ。
源兵衛:兄ぃは前にいるでしょ。
後ろに誰もいなくなっちゃうじゃないですか。
八五郎:臆病もここまで来ると感心だな…。
大丈夫だって、すぐ戻ってくるからよ、な?
源兵衛:わ、わかりましたよ…早く帰って来て下さいよ?
怖くてしょうがないから…んっ…んっ…。
あ、兄ぃすいません、怖くてしょうがねえんで、もう一杯いただ
けますか…?
兄貴:おういいぞ…って、あ、こりゃ惜しい事したな…
さっきので呑み切っちまった。
あ、いや、まだあったな。
台所行きゃ流しの下に一升徳利があってな、その中にまだ二、三合
残ってるはずだ。
ちょいと取って来てくれ。
源兵衛:ぇっ…あ、あたしが行くんですか…?
兄貴:そりゃあおめえが呑むんだから、おめえが行かなきゃダメだろ。
源兵衛:いやだって…台所は真っ暗ですよ。
兄貴:いいじゃねえか、暗くたって。
怖ぇと思ったら灯り付けりゃいいじゃねえか。
源兵衛:灯りつけたらなんか出た時に、よく見えて余計怖いですよ。
兄貴:それじゃどうしたって怖いんじゃねえか…。
いいから行ってきな!
源兵衛:っわ、わかりましたよ…。
ッ怖いな…怖いな…。
だ、台所は…ここだな…うん。
な、流し…うう…真っ暗だぁ…たしか下に…
!あ、あった。
兄ぃ、ありました!一升徳利、ありましたよ!
八五郎:【声を落として】
へへへ…兄ぃがうまくやったね…。
やっこさん、ガタガタガタガタ震えてやがるよ。
ようし、この白い布をかぶって……そらァッ!
源兵衛:!!!ッッぎゃあああああぁぁぁーーーッ!!!
くっ来るなあぁぁぁぁ!!!
八五郎:う、うぉっちょっ、そんなに振り回しっ、うげっっ!!
源兵衛:うあぁぁぁぁッはぁ、はぁ、はぁ……
兄貴:お、おい、なんだ今の騒ぎは!?
どうした、源兵衛!
源兵衛:た、大変でございます兄ぃ!
ゆ、幽霊っ、幽霊殺しちゃった…!
兄貴:はァ?幽霊殺したぁ?
っておい、こりゃ八の野郎じゃねえか!
源兵衛:ぇっえっ、は、八の野郎って…八五郎さんの幽霊を殺したって事
は…八五郎さん二度死んだって事なんですか…!?
兄貴:そうじゃねえよ!
おめえが怖がりだからってんで、ひと芝居うったんだよ。
それで八が脅かそうとしたら、おめえが徳利で殴って殺しちまった
んだ。
源兵衛:こ、こここ殺しちゃったって…あたしは知らなかったんです…!
兄貴:あたしは知らなかったっておめえ、そりゃ世間では通用しねえぞ。
お上んとこへ行って、「なぜ殺したんだ」「あたしを脅かそうとし
たから殺しました」なんて、こんなバカな事は通らねえ。
源兵衛:と、通らないったってあたしは、ほんとに知らなかったんです…
!
じゃ、じゃじゃどうすればよろしいんですかぁ…!
兄貴:そうだなあ、この八の死体を人目につかねえところに捨ててくるん
だな。
源兵衛:あ、あたしが捨てるんですか…!?
兄貴:そうだよ。
しょうがねえよ、やっちゃったものは。
このまんまじゃいけねえから、元結をさばいてやって…あ、そうだ
。
おい、紙と硯を持ってこい。
源兵衛:か、紙と硯って、何に使うんですか…?
兄貴:あ?こうやって三角に折ってな、三角の所に「死」という字を逆さ
まに書いてよ、おまんまの粒でもっておでこにこう貼り付けるんだ
。
あ、それと俺のかたびら持ってこい。
源兵衛:は、はい。
兄貴:八の野郎、欲しがってやがったからな。
せめて冥土の土産に着せてやろうじゃねえか。
こいつも供養ってやつだ。
…これでよし。
おい、そこにつづらがあるから持ってこい。
源兵衛:つ、つづらなんかどうするんです?
兄貴:早桶の代わりだよ。
この中に入れるから、おめえ頭のほう持て。
源兵衛:【途中から泣き笑い】
あ、あぁぁ頭のほうぉおぉおっはっはっははは……死んでる…!
兄貴:おめえが殺したんだよ。
源兵衛:っか、噛みつかれる…!
兄貴:噛みつきゃしねえよ。
いいか、しっかり持ってろ。
よっ…こらしょ……よいしょっ、と…!
ようし入ったな。
ほら、どっか捨てて来い。
源兵衛:捨ててこいって…、どこへ捨てて来ればいいんですか…!
兄貴:そうだな…ここらあたりだったら、上野の不忍池のほとりにでも
捨ててくるんだな。
源兵衛:ぁ、あ、あたし一人で行くんですかぁ…!?
兄貴:あたりめえだろ、おめえが殺したんだから。
このままだといずれ、縛り首か遠島か…そんなの嫌だろ。
ほれ、しっかり背負って…行ってこい!
【二拍】
源兵衛:う、うぅぅ…怖い…暗い…怖い…暗い…、
酔っぱらい:うぅ~い、仲之町で引っ掛けてェ…っとォ!?
源兵衛:うぅぅわわわああぁぁ!!?
ででで出たあああぁぁぁあ!!
酔っぱらい:ぺいッ!ちきしょう!
なんでェあの野郎、いきなり人にぶち当たりやがっといてェ
!でけェ声出しといて逃げやがった。
…うん?なんだあ?
こりゃあ、つづらか?
ははぁ、さてはあの野郎、泥棒だなア?
どっかで盗んできやがったのを俺にめっかったからって、
放り出して逃げやがった、ちきしょうめ。
中にゃ、何が入って…
八五郎:うぅ…なんだ、ここは…せまっくるしいとこに閉じ込められてん
ぞ…どれ…!
酔っぱらい:!!ぎゃあああああああぁぁ人だァァァァ!!!
【二拍】
八五郎:な、何だァ今のは…!?
でけェ声出しやがって、俺の方が驚いたよ。
にしても…あれ?
俺ァいったい、どうしちまったんだ?
何でこんなことになってんだ?
たしか、源兵衛の野郎を脅かそうとして台所に隠れてて、
いざ目の前に出たら…あっ!
そうだよ、野郎に徳利でぶん殴られたんだった!
けどそれからどうなったんだ…って、俺が着てんのかたびらじゃ
ねえか!
なんで着て…っておでこになんか付いてんな…おおッ!?
っこ、これっ、三角の、死んだときにやるっ、っお、俺、っし、
死んじまったのか!?
冗談じゃねえあの野郎ぉぉ…!
何してんだよぉぉ…!
…待てよおい、死んだとなるってえとここは地獄かい、それとも
極楽かい?
生きてる時ゃろくな事しなかったから、地獄だろうな…。
えれぇことになっちまったよ…。
ん?こっちに池があるな…でけえ池だ…っ、血の池地獄か…!?
いや待てよ、…あっ、蓮の花が咲いてら。
極楽だよこりゃあ…!
よぉし、あの蓮の花の上で成仏しようじゃねえか!
ってあれ、これ、乗れねえぞ?
たいていっ、絵の中じゃ蓮の花にっ、乗ってるもんなのにっ…!
寺男:こらァッ!そこで何をしておるかァッッ!!
八五郎:うわわわッッ!
はぁ、はぁ…な、何ださっきのは…あっ、きっと鬼だ…!
じゃやっぱり地獄か…。
男1:いやぁ、どうだよええ?
世間じゃあそこの事を地獄だって言うけどよ、
よく探しゃあ、あれだけの極楽だってあるんだぜ?
男2:なぁるほどなあ、地獄極楽紙一重って言うけどよ、
地獄の中でもあんな極楽があるんだな!
八五郎:…どっちなんだよ、わからねえじゃねえか。
あぁ、だんだん明るくなってきちゃった。
それにずいぶん賑やかになって来たよ。
人が大勢いやがんね。
あの、すいやせん。
ここは、地獄でしょうかね?極楽でしょうかね?
男性3:何をおっしゃいますかね。こんな極楽はまたとありはしませんよ。
八五郎:極楽!極楽かあ、ありがてえありがてえ…!
あー、綺麗な女の人が並んでるよ。
きっと弁天様だな、いやぁありがてえありがてえ。
弁天様、弁天様!
女性1:な、なんだいいきなり?
弁天?なんの事だい?
八五郎:ここは極楽でございますよね!
女性1:何を言ってんだい、地獄のまんまんなかだよ。
八五郎:地獄!?
やっぱり地獄かよ…えれぇ事になっちゃったなおい。
【二拍】
はあぁ…どうしたもんかね…ってうぉっ!
老婆:ふんっ…!ふんっ…!
ずいぶんイキが良かったけど、こうなっちまえばおしまいさね…!
八五郎:ひいぃ…もろ肌脱いでしなびたおっぱいしたババアが、
白髪振り乱しながら鶏絞めて、
羽むしってやがる…鬼婆だァ…!
や、やっぱり地獄だァ…!
老婆:誰だい、そこにいるのは!?
八五郎:ひいい、ご、ごごご勘弁を!
た、食べないでェ…!
老婆:はあ?なに言ってんだいお前さん。
とって食うわけないだろ。
なにか用かい?
八五郎:うぅぅ…おばあさん、やっぱりここは地獄でございますか?
老婆:なに言ってんだい。
娘のおかげで、極楽さね。
終劇
参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)
五街道雲助(六代目)
※用語解説
・一文
現在の価値でだいたい42.5円。
・薩摩上布
沖縄県宮古・八重山の諸島に産する上質の麻織物。
苧麻を手紡ぎにして織ったもの。
もと琉球からの貢納物で、薩摩藩が販売した。
・根津
東京都文京区にある地名で、根津神社や古い街並みが残るエリア。
・深川
東京都江東区の町名。
現行行政地名は深川一丁目および深川二丁目。以前の亀住町、万年町、
冬木町一丁目、和倉町一丁目に当たる。
・三分
五センチほど。
・かたびら
帷子とは、主に夏に着る裏地のない単衣の着物のこと。
特に麻で仕立てられたものを指すことが多い。
また、経帷子のように、死装束として故人に着せる
白い着物も帷子と呼ばれる。
・早桶
棺桶の粗末な物。
・遠島
刑罰の島流し。この場合は喜界島とか八丈島とか。