02 複雑な家庭環境。
(元カレ……いや今カレの家の電話番号……覚えてないや)
中学生の彼は、まだ携帯電話を持っていなくて、私はいつも家に電話をかけていた。
詰んだな、と思ってしまう。
「仁那? なんか難しい顔しているけれど、どうかしたの?」
給食を食べている間、どうしようかと思っていたら、隣の渡辺リカが話しかけてきた。
親同士が仲がいい。親と言っても、母親同士。そして同じハーフ仲間なのだ。
アジア系の外国人の血が流れているからか、リカは長身である。バレー部で活躍している。二年の途中からバレー部の部長にもなっていたっけ、確か。
逆に私は小柄なのよね、低身長である。私も高身長遺伝子欲しかった。
そんなリカとは、田辺関係でちょっと喧嘩したこともあったっけ。リカが田辺への想いを暴露するもんだから、私は一生口利かないことにしたのだ。その暴露事件はまだ起きていないので、普通に話しかけてくるのは、結構不思議な気分だ。
「いやぁ~……カレシと別れようと思って」
「え!? 別れるん!? え、てか、カレシって誰だっけ」
あまりにも会わないから、私も話題に出さないので、リカもよく覚えていない今カレの存在よ。
「北中のテニス部の子。小学校が一緒だったの」
「あ、そうだったね。で? なんで別れるん?」
「何かあったの?」
リカと逆の隣にいる奥間紗代ちゃんも、興味津々にパンにかじりつきながら尋ねてくる。
「いやさぁ、小学校の頃は休みの度に遊んでいたけれどさ、中学に入ってから部活もあって遊べないし、そもそもあっちから全然連絡くれないからさ。付き合っている意味ないなぁ、って」
「「ああ~」」
なるほどの相槌が打たれた。
「全然連絡くれないの?」
「うん。いつも私から電話してる」
携帯電話も持っていないからしょうがないのだろうけれども。
……ん? 携帯電話に登録しているかな。携帯電話……とポケットを探ってしまったが、中学校に携帯電話は持ってきてはいけないことを思い出して、諦めた。私も携帯電話を持っていない時期かもしれない……。
んー、どうしよう。今カレの電話番号。
他に知っている人……。あ、いつも一緒に遊んでいた友だちに聞いてみよう。
「でも好きなんじゃないの?」
リカにそう言われても、二十年前の好きって気持ちを思い出せない私に答えづらい質問だった。
黙秘を使います!
「……牛乳、いる?」
「え? いらない……」
「……そっか」
私の隣の席の小林くんが、おずおずと牛乳パックを差し出してくれたが、私は断る。
中学時代は飲んでいたけれど、未来ではほとんど牛乳って飲まなかったんだよね。お腹下すから。おかわりはいいや。
「いや、もらっとけよ。失恋祝いにさ」
リカの隣の田辺が、自分の牛乳パックを私の机の上に置いてきたが、すかさず返しておく。
「気持ちだけもらっとくよ。小林くんも田辺も、ありがとう」
ニコッとだけ笑って、牛乳の失恋祝いをお断りしておいた。
なんだ、失恋祝いって。ふざけてんのか。
「てか、新田ってカレシいたんだな」
「うん、いたー。もうフる」
「じゃあフリーになった祝いに乾杯」
「何それ、変なの」
なんのノリかはわからないけれど、リカ達も牛乳パックを持ってしまったので、私も仕方なく牛乳パックを持ち上げて乾杯をした。
午後の授業も乗り越えて、放課後。
今カレの電話番号を知っているであろう友だちを探しに、一年生のクラスを一つずつ覗き込んだ。友だちのクラスも記憶にない。私の記憶力は、雑魚である。
「あ、菜穂」
「仁那? どうしたの?」
私よりも小柄な生徒を見つけて、手を振って呼べば来てくれた。
彼女の肩にはテニスラケットがあって、それを見て思い出した。
(しまった……私も女子テニス部だった……!!)
ただし、絶賛幽霊部員中。とんだ不良生徒である。
「あー、部活前にごめんね。あのね、辰也の家電の番号覚えてない?」
「え? 辰也の家電なら、カノジョの仁那の方が知ってるでしょ」
忘れたんだよ……二十年も前だからさ。
不審げに見られてしまったので、苦笑をしながら「ド忘れした」と言っておく。
「んー、多分これで合ってるはず」
斎藤菜穂は、メモ帳を取り出してそこに書いてくれた。
「ありがとう! 助かるよ。あ、菜穂にも言っておくね。辰也とは別れるから」
「え!? なんで急に!? あんなに好きでいつも電話してたくせに……」
ドン引きされたから、この時期の私の今カレ大好き加減は知りたくない。
「あと部活も退部届出してくるわ」
「え? 辞めちゃうの?」
「うん、幽霊部員を続けても迷惑だしね」
菜穂がいるから入った女子テニス部だったが、どうにも運動部は性に合わなかったし、女子テニス部には私のことを嫌っている女子生徒もいるから、居づらいものだった。毎日顔を出すのも無理だし、参加も出来ない。辞めた方がいいだろう。
一度目の私は、ずるずる引きずって、二年生まで幽霊部員だった。やり直した今、すっぱり辞めてしまった方がいいだろう。
菜穂は悲しげだったが、引き止める言葉は言わなかった。
「じゃあね」と部活に行く菜穂を見送って、私は教室に一度戻る。
革鞄とスクール鞄の二つを持って、職員室に向かった。
女子テニス部の顧問の先生……名前なんだっけ? 顔も朧気である……でも体系はメタボだってことは覚えていたので、なんとか辿り着いて「女子テニス部を退部したいのですが」と声をかけられた。
「やっと来たか」と言われたが、それは一度目でも同じ反応だ。幽霊部員ですんません。
一身上の都合により退部、ということを記入して退部届を提出した。
「お世話になりました」と頭を下げて、職員室を出た。
続いての問題に直面した私は、校門前で足を止める。
(私の家……どこだ……!?)
この時期の私の家がわからない問題。
候補は三つ。どの時期から引っ越したのか、記憶になかった。私の記憶力は、雑魚である。
(ええい、しらみつぶしだ!)
先ずは、目の前と言っても差し支えない、近所のマンション。確かここの203号室が家だった。このマンションの一回には、内科の病院がある。いつもお世話になったなぁ。懐かしい。
スクール鞄に入っていた鍵を使って、203号室に入ろうとしたが、鍵穴に入らなかった。
(すでに引っ越したあとか……!!)
次の候補は、少し遠い。中学校を真っ直ぐ離れて、通っていた東小学校を横切って、さらに真っ直ぐ進んで踏切を超えた、またさらに先の真新しいマンション。新築だったはず。
(出来れば、ここじゃないことを願いたい……)
でも時期的に多分ここが今の家だと思うから、げんなりした。
エントランスに入って鍵を回してみれば……扉は開いた。ここだ。205室が、私の家だ。
気が重くて、ため息を溢してしまう。
私が結婚願望があまりなかった大きな理由。
このマンションは……継父というのが正しいのかわからないが、とりあえず母の結婚相手が買った部屋である。
母は、元々シングルマザーで私を生んだ。実の父親は、海外から来ていたアジア系の人だった。母と関係を持って私を身ごもったが、実の父親には母国に結婚しなくてはいけない人がいたから、泣く泣く別れたという。
小説の題材になりそうなネタだったが、どうにも実の父親や母親をモデルにしたモノは書く気力はなかった。
そんなシングルマザーの母が結婚したのが、二人の弟と一人の妹の父親だ。
彼は私のことも愛する約束で母と結婚したのだが、いざ自分の子どもが出来ると私が疎ましくなったようで、私にとっての祖母に預けろと言い出した。そのことで夫婦仲は最悪になり、今現在別居となっている。
母は末の弟を連れて、叔母のところにいることになっているが……。正直言って、母はもう新しい人がいる。
ぶっちゃけ、現状からすれば母の浮気だ。浮気なんて最低行為だろうけれど、冷遇された私の立場からすれば、母が新しい人に行ってしまうのはしょうがないと思った。
なら早く離婚してくれ、とも思うのだが、母には子どもが四人もいるのだ。養育費の問題もあって大変だろう。
結局、私は弟と妹と同じく、血の繋がらない父親をこのマンションに暮らしている状態だ。
一応、再構築のチャンスを与えて、私も一緒に面倒見させて様子見期間、みたいな。表向きはそうなっているのだ。
鍵を差し込めば、カチャリと開くことが出来た。やっぱり、この家である。
「おかえり、お姉ちゃん」
「あー、ただいま」
妹が顔を出してきたので、イマイチな反応をしてしまう。
二十年後には、絶縁状態の妹がいる。
妹は、とんだ我儘娘だ。父親に甘やかされたこともあり……そうそうこの時期だ。この時期の金銭管理が最悪のせいで、金銭感覚がバカになっていたのだっけ。
私は妹と同じ部屋にある自分の机に鞄を置いてから、引き出しに入れている財布を取り出した。
中を見てみれば、二万円が入っている。やっぱりか……。
母が別居でいないので、家事をやる人がいない家。
父親は解決策に、お金を渡した。「二週間に一度にお金を渡すから食事は自分で買いなさい」と言って。
いきなり大金を渡されても、毎食自分の食事を買うということまでは教えてもらえなかった私達は、好き勝手に散財した。当時流行っていたカードゲームを買ったり、友だちにおごったり、漫画や小説を買いあさったり。お腹が空けば買い食いはしたが、食事は様子を見に来る母がなんとか用意してくれていた。
そんな金銭感覚が狂う子ども時代を送った妹は、見事に金銭面でトラブルを起こし続けた。大学に行くと言って聞かない妹は奨学金があるから大丈夫と言い張ったが、途中で退学。奨学金の返済も母に丸投げした。
新しい職に就きたいからそのセミナー代を私に出してほしいとプレゼンしたから、その時お金に余裕があった私は懐広く貸してあげたのだが、結局新しい職も上手くいかなく、少しずつ返すこともしない妹に見切りをつけて縁を切ったのである。
この頃に、ちゃんとしたお金の使い方を教えてもらっていれば……。
私と弟はまだマシなのに、なんで妹だけ狂ったままだったんだか。
「奈緒。ご飯、買いに行こう」
「? うん、行く」
まだ小学生の妹・奈緒は素直だった。いい子いい子と、頭を撫でてしまう。キョトンとする奈緒。
この頃はお姉ちゃん大好きっ子だったんだよね。
意地悪で「飛び降りてやる!」と言ったら、号泣して「やめてお姉ちゃん~!!」と必死に抱き着いたっけ。私は意地悪なお姉ちゃんでもあった。
「青介も、ご飯買いに行こう?」
「え~? んー」
「ほら、行こう」
リビングで宿題でもしていたのか、弟の青介にも声をかける。
父親が悪く吹き込んだ影響で「本当のお姉ちゃんじゃないくせに!」と言って喧嘩もしたこともあったが、まだ反抗期には早いから素直についてきてくれた。
スーパーはすぐそこなので、到着。
夕ご飯に弁当を買って、明日の朝ご飯のために卵や鮭を買っておく。
私達兄妹は、この時期、おざなりな生活をしていた。ご飯がなければないで、一食抜いても問題ないと思っていたのだ。母が来てご飯を用意してくれたら、その時に食べるだけ。
一度目は料理も教わっていなかったが、私がやっておこうか。
「ねぇ、青介」
「何、姉ちゃん」
「お父さん、仕事何してるっけ?」
「え? パチンコでしょ」
「……そうだよね」
スン、と顔から感情が抜け落ちた。
何故だがわからないが、父親はこの時期はもう仕事を辞めてしまっていたのだ。
そしてパチンコに入り浸っている。相当お金は貯めているようだから、私達に二週間に一度は大金のお小遣いを渡してくれるけれども、パチカスに違いない。
「ねぇ、ちゃんとご飯を用意して食べよう?」
「どうしたの? お姉ちゃん」
「ご飯は大事って話。ちゃんと食べないと勉強も出来ないぞ」
「え~?」
私の言葉に怪訝そうな顔になる兄妹を見て、私は笑っておく。
小説を書く前に、このおざなりな生活は改善しておこう。この兄妹の教育のためにも。
そのうち、私も出ていくことになる家だが、その前にしっかりこの兄妹にはお金の使い方を教え、毎食食べることと掃除をすることを習慣にしてもらわないといけない。
パチカスの父親も掃除しないから、ゴミ屋敷同然になるのよね、確か。
見かねた母が親権を取って離婚を成立させ、四人兄妹揃って母と暮らすことになるのは、私が中学三年生になった頃だったはず。
しかし、そんな複雑な環境に屈しないぞ。
私は小説を書くんだ。
マイホームで悠々自適に書けた生活には程遠いだろうけれど、いい環境を整えて見せる。
そして夢の印税生活を勝ち取るために、小説を書くんだ。
この時代には、もうある『小説家になりましょう』の小説投稿サイトに、投稿するんだ。