水浴びに影
路地裏から出て、町外れへと向かう。
スカルブリンのお陰で寂しくなったお金を稼ぎたいところだが、先に川で汚れを落とすことにした。
体は清潔にしておいた方が良いらしい。綺麗にすると少しの汚れも気になるようになるからあまり好きじゃない、というか面倒だ。
でも綺麗にしていれば声もかけられやすいかもしれないと思い、最近はよく入るようにしている。だが習慣にはなっていないのですぐに忘れてしまうのだ。だから臭いなんて言われてしまった。少し傷付いた。
街道を外れ、木々の間を抜けていく。人の気配を感じなくなってゆき、心の枷が緩くなる。こうやって自然の中で一人になると、気が張っていた事がよくわかる。小さな友人の、人に見えないという特性が本当に羨ましい。奔放に生きているように見えるし、それがまた楽しそうなのだ。
そういえばスカルブリンは水浴びをしているのだろうか。行けと言われるだけで共にしたことはない。入っているところを見たことが無い。でも臭いがしたことはない。
思い起こしてみるが、そもそも汚れていると思ったことすら無かった。
まさか小人は水浴びしなくても清潔なのだろうか。今度聞いてみたい。
そんなことを考えている内に川に着いた。
街外れに流れる川はとても綺麗で、透明で底までよく見え、川面は光を反射してキラキラと輝いている。流れが緩やかなので小魚達ものんびり泳いでいる姿が見える。
なんとなく木陰で脱いでから、川へと入る。魚たちが逃げて行く様子を見ながら肩まで浸かって大きく息を吸い、ゆっくりと長く息を吐く。力が抜けて、とても気持ちいい。
息を大きく吸い込み頭を全部見ずに浸して思いっきり頭をゴシゴシ洗う。
顔を水面に出して毛先までゆすいでから、軽く全身の肌も擦り汚れを落としていく。スカルブリンに川に入っていないことを直ぐに見抜かれてしまったのは、髪の臭いが原因ではないかと思ったので、もう一度じっくりと洗う。汚れてくすんでいた髪色が、綺麗な黒になったことを確認して終わった。
入るまでは面倒だが、こうやって汚れを洗い流すと入って良かったと思う。この時間だけは、何も考えずにゆったりと過ごすことができるのが良い。
暫く目を閉じて水の流れを感じていると、背後から草を踏みしめるような音が聞こえた。振り返ると見覚えのある男が立っていた。
「こんなところで何をしている」
燃えるような赤い髪、簡単な鎧に少し汚れた旅装。間違いなく今朝案内をしたばかりの好い人、の筈なのだが、顔が無表情で少し怖い。声も低かった。まるで喧嘩を始める前の声のようだ。
ただの水浴びだと返事をしようと口を開いたところで、男の顔が一気に険しくなる。
「屈め!!」
叫ぶと同時に男がこちらへ向かって跳んだ。そのあまりの速さに驚いて咄嗟に目を閉じ身を屈めた途端、肩を掴まれ固いものが顔にぶつかった。同時に大きな水の音と、後ろから聞いたことがない音が聞こえた。
凄く凄く、恐ろしいものである気がした。
今、絶対に振り向いてはいけない。絶対だ。
でも、目は開けて良いだろう。何故ならおでこに固いものが当たっていて、まるで守ってくれているかのように、体がほんのり温かいものに包まれていた。
ここならきっと安心なのだ。
そう自分に言い聞かせながら目を開けると、直ぐに目に入ったのは茶色い鎧。見上げれば男の顔がすぐ近くにあった。
男が真剣に見つめる先、それは背後にある。振り返っても良いのだろうか。
わからない。
でも、知っておく必要はあるのではないか。
意を決して振り向くと、赤くなった川面に人のような形をした水色の物体が浮かんでいた。浮かぶものはピクリとも動かない。
「大丈夫か?」
じわじわと広がる赤が血だと気付いて硬直していたら気遣ってくれた。覗き込んで来る目の優しさに安心する。
体はうまく動かないままだが何とか意思を伝えたくて頷くが、震えが酷くて上手く伝えられている気がしなくて何度も頷く。結局出来た気はしなかったが、男には通じたようだ。
「じゃあ岸まで歩けるか?」
またこくこくと懸命に頷いて、共に岸へと向かう。
背中に添えられた手に勇気を貰い、気になってまた振り向くと、少しずつ下流に流れていっていた。
アレはなんだ。
人に見えるが人じゃない。あんな色の肌をした人を見たことがないし、あんなヒレみたいなものを生やした人も見たことはない。
動いていたのだろうか、アレは。動いていたのだとしたら何故動かないのか。あの赤はやはり血なのか。であれば、この優しそうな人はアレを。
そう思っても、何故か男から離れようと思えなかった。頼れる人だと、なんとなく感じるのだ。
自分は状況が何も分からず、きっと何も出来ないのだから、大人しく従うしかない。
少なくとも、音もなく、声掛けもなく、静かに後ろから近付いて来ていたのだろう、人のようで人ではないアレに比べれば、遥かに信用できる。
「怖いのだろう。あまり見るな」
言われて男の顔を見上げるが、上流の方を見つめていて目は合わなかった。
でも、声は優しい。背中の手も。
「死んだの」
生き物の死なんて、沢山見てきた。腐った死体だって、滅多に無いが、見掛けた。死体なんて、怖くない。
少し、気になるだけだ。
「ああ、死んだ」
あっさりと、当たり前のように聞こえた。
人が人――と呼べるかは不明だけれど――を殺すのは初めて見た。いや、見てはいないが、音を聞いた。あんなに近くで。すぐ後ろで。
「そっか」
それ位しか言える言葉が無かった。
信用できると判断した男が近くに居てくれるとはいえ、恐ろしい事が起こったばかりで頭に靄がかかったように何も考えられない。
震えてもつれそうになる足でなんとか岸に上がると、出来得る限り速く服を置いている木陰へと隠れた。
覗き見ると、男は再びアレに近付いていく。見ていられず目を逸らした。
震える手で、服のポケットに入れていた小さな布切れを掴んで体を拭いた。急いで服を着てローブを纏う。いつもの服を見に纏うだけでこんなにも安心するとは。裸がどれだけ心細いかを知った。