第二章 幸子さんとの出会い
初めての訪問は、緊張とわずかな期待を胸に。
古林かすみは、利用者・藤本幸子さんと向き合って行く。
堅苦しい空気の中、少しずつ距離を縮めていく
第二章 幸子さんとの出会い
翌日の午前十時。
かすみは、大きめの旅行鞄と介護用具の入ったバッグを持って、藤本家の玄関前に立っていた。
木造二階建ての家は、外壁の白い塗料がところどころ剥げ、軒下には風鈴が揺れている。小雨上がりの空気がまだ少し湿っていて、畳の匂いが外まで漂ってくるようだった。
「失礼いたします。ケア・フロント大阪の古林です」
引き戸を開けると、細い廊下の奥から、はっきりとした声が飛んできた。
「そこに上がって、居間に来てちょうだい」
声の主は、藤本幸子。
居間の襖を開けると、幸子は座布団にきちんと正座していた。
白髪を後ろでまとめ、薄いグレーの着物を身にまとっている。瞳は黒曜石のように澄んでいるが、その光は鋭い。
「あなたが、かすみさん?」
「はい、本日からお世話になります。古林かすみと申します」
かすみは深く頭を下げた。
「まあ、座って。…あら、その鞄は?」
「住み込みでお世話いたしますので、生活用品を持ってきました」
「そう。…悪いけど、私は他人と暮らすのは好きじゃないの。細かいことにうるさいけど、気にしないでやってくれる?」
「もちろんです。むしろ、教えていただけると助かります」
幸子の眉が、ほんのわずかだが緩んだように見えた。
昼食の準備を始めると、台所には年季の入った急須や、手に馴染んだ包丁が並んでいた。
「お茶はこの急須でね。茶葉は二杯まで、湯は少し冷ましてから」
「はい、かしこまりました」
言われた通りに湯を注ぐと、部屋にふわりと深い香りが広がった。
昼食は、冷蔵庫の残り物で煮物を作った。
一口食べた幸子は、箸を止めて言った。
「味付けは…悪くない。少し濃いけど」
「次からは、もう少し薄めにしますね」
「そうしてくれると、私の体にも優しいわ」
その夜、かすみは客間の布団に入りながら、小さく息をついた。
壁の向こうからは、幸子の部屋の時計の針の音が、一定のリズムで響いてくる。
——まだ壁はある。でも、この幸子さんはきっと心を開いてくれる。
次回は8月12日投稿予定です。