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月面着陸

作者: 雉白書屋

 月面着陸を目標に掲げた宇宙飛行士の訓練は想像を超える苛烈さであった。施設の敷地内をひたすら走らされ、各種筋力トレーニングを行い、酸欠になるまで鏡に向かって大声で自分自身を罵倒させられた。時に電流を浴びせられることもあった。

 応募者は数千名にも上り、(当然、冷やかし気分の者も含まれていただろうが)その中から選ばれた数十名も、厳しい訓練に耐えきれず次々と脱落していった。ここで生き残るには体力の他に精神力も必要とされた。

 宇宙ベンチャーブームが到来し、民間企業による宇宙ロケットの開発が進んでいる現代。民間に先を越されてたまるかというメンツの問題からか、政府は全力を挙げて月を目指しているようだ。また、この国だけでなく、他の国でも月面着陸の計画が進められているらしい。政治的な事情もあるのかもしれない。

 だが、その辺の事情はおれにとってはどうでもいいことだ。金なし学なし、まともな親なし、ろくでもない人生を歩んできたおれにもチャンスがあるというのなら、どこが打ち上げようと気にしない。そこが月だろうが、火星だろうが、あの世以外ならどこへだって行ってみせる。

 おれとて男子だ。幼い頃、宇宙飛行士になることを夢見たことがある。もっとも、成長し現実というやつに打ちのめされ、「上から見下ろしやがって……」と月を恨めしく思ったこともあった。憧れはすっかり消え失せ、今もそれは変わらない。おれが月を目指すのは、人生を一発逆転させるためだ。宇宙飛行士の報酬もそうだが、地球に戻った後の話がおいしいのだ。テレビインタビューから始まり、本の執筆。講演会にグッズ製作。エアマットだなんだ棒演技のアスリート御用達のCMに出演し、適当な企業とコラボし、さらにジムやカフェなどの事業を展開し――


「お前みたいなバカには本は書けないだろ」


 橋沼がへらへら笑いながらおれにそう言った。


「ちっ、うるせぇ、橋沼。バカはお前だ。インタビュー形式だよぉ。喋ってりゃ向こうが文字に起こしてくれるんだ。あとは編集をちょちょいのちょいときたもんだ」


「どうだか。お前もよくわかってねぇじゃねえか」


「うるせえなぁ」


「へっへっへ、お前らのやり取りも今日で見納めかぁ」


「ああ、こいつが落ちてな」「ああ、こいつが落ちてな」


 宇宙飛行士選抜の発表の場。教官を待つ間、おれたちはいつものように喋り、大いに笑った。不自然なくらいに。ここにいるのは、おれと同じような頭が足りない体力馬鹿ばかりだが、全員緊張しているのが丸わかりだった。


「はははははっ、あ! 教官殿!」


「教官!」「教官殿!」「おはようございます!」「ええと、いいお日柄の服ですね!」「おはようございます!」


「ああ、楽にしなさい」


 教官が部屋に入ってくると、しゃがんでいた奴もビシッと立ち上がって、全員マッチ棒みたいに体を硬くした。


「えー、では、さっそく発表といこうか。番号を読み上げるから、よく聞いておくように。自分の番号はわかっているな? そうだ、服についているやつだ。では、発表する。4、7、15、22、24、35、40――」


 おれの番号は、あっ、呼ばれた。呼ばれたぞ。呼ばれた! 名を呼ばれた者は「おおっ」と声を上げ、信じられないといった顔をした。教官があまりにも淡々と発表するものだから面を食らったのだ。しかし、徐々に喜びが込み上げてきた。ああ、そうだ。おれは宇宙飛行士になったのだ。

 教官が去った後、合格者同士で涙を流しながら抱き合い、また落ちた者とも握手を交わした。その中にはおれが嫌い、またおれを嫌っていた奴もいたが、ざまあみろなどとは思わなかった。不思議なもので、これまでの緊張状態から解放されたせいか、おれの中に紳士的かつ、子供のようなピュアな心とロマンチズムが蘇ったようだ。

 その後、数日間の基地外の自由行動が認められた。いくらかの手当てが支給され、おれはラーメンに寿司にそれから女も食った。

 

「……おれはな、月に行くんだ」


「それって危険じゃないの?」


「ああ、かなり金をかけて作ったロケットらしいが、それでも万が一ということもある。だが、戻って来たら、お前と、お前と……」


「あ、時間です。延長する?」


「いい、雰囲気が壊れた」


 と、愛を囁く相手が風俗嬢ではなく、恋人か妻なら格好がついたが、まあそもそも一週間と経たずに帰ってくる予定だから、映画のような感動はないだろう。

 与えられた数日間はあっという間に過ぎ、いよいよロケット打ち上げの時が訪れた。


「……それでは諸君らの勇気を称えるとともに、無事を祈る。私からは以上だ。では総理。お願いします」


「ええ。えー、皆さん。無事、この日に間に合ってよかったと思わずにはいられません。あ、えー、皆さんの苦労、それに勇気には――」


 お偉いさん方がリレー形式でつなぐ長ったらしい話は宇宙服を着こむ前にして欲しかったものだが、欠伸は出なかった。緊張しているのか、少なくとも退屈していないことは間違いない。

 おれは青空を見上げ、今はまだ隠れている月を探した。今から行くんだぞ。お前に会いに、と、またロマンチズムが現れた。だが、恋人がいないなら月をそれに見立てるのもいいかもしれない。


 ――スリー


 ――ツー


 ――ワン


 宇宙船に乗り込み、カウントダウンと凄まじい揺れに心震え、おれたちはあっという間に地球を飛び立った。

 そして、月に到着したおれたちは、宇宙船から我先にと相手を押し退けて降り立ち、月の表面の感触や重力の違いに驚きながら、月の上を歩き始めた。


「偉大なる一歩! 二歩! さーんぽ!」

「ははははは! あまりはしゃぐなよ」

「しかし、宇宙ステーションに寄らずに、直接月に来られるとは。まったく科学の進歩というのはすごいな」 

「それらしいことを言って、お前も実ははしゃいでいるんだろ?」

「全員そうだろ。これがはしゃがずにいられるか? 俺らは今、月にいるんだぞぉぉぉぉぉ!」


 と、馬鹿さ加減は地球にいた頃と何も変わらず、むしろみんな調子づいていた。


「しかし、最初の指示がまさかなぁ……」

「何だ? 不満か?」

「十二歩! 十三歩!」

「確かにな。ほら、あれ言いたかったし。地球は青かったとか」


「二番煎じは意味がないだろう。それに今言えばいいじゃないか。後ろに地球があるんだから」

「二十四歩! 二十五歩、二十六歩!」

「まあな。で、もうそろそろかな」

「そういえばどうなっているんだろうな?」


 月の裏側は。そう、おれたちはゾロゾロと月の裏側に向かって進んでいた。それが最初の任務なのだ。


「えーっと、はちじゅ、八十九だっけ?」

「いつまで数えてるんだよバカ」

「そうそう、もう着い――」


 月の裏側に到着したおれたちは息を呑んだ。てっきり一番乗りかと思ったのだが、そこには大きく、文字が掘られていたのだ。


「まったくなんてこった。アメリカの仕業か? 地球から見えないからって、こんな世界遺産に落書きするような真似をしやがって」

「奴らには風情ってもんがないんだよ。月を見上げる風習がな」

「お前もなかっただろ。しかし、なんて書いてあるんだ?」

「英語じゃ……なさそうだな。アラビアか?」

「お前、読めない文字は全部アラビア語だな」

「なんにせよ、英語じゃないなら奴らが書いたんじゃないのか?」

「いや、自作自演かもしれん。怒りを向けさせ、戦争を引き起こそうと」

「飛躍しすぎだバカ。陰謀論者か」

「だが数字は読めるぞ。えーっと……」

「二千……あ! おれわかった! これ、今日の日付だ!」


「そんな馬鹿な……」

「いや、たぶんそれで合ってる。もう一つの数字はわからないが……」

「げっ、嫌なこと思い出した」

「何をだ?」


「ほら、借金の――」


 と、喋っていたおれたちの体を巨大な影が覆った。

 そして、見上げたその瞬間、吸い上げられるようにおれたちの体は月から離れ、暗闇に飲み込まれていった。

 だが、そのおかげで一瞬だが月に掘られた文字、その全体が見えた。むろん、読めはしなかったがおれには意味が分かった。

 月の裏側には月の貸出期間とその莫大な料金が書かれていた。

 そして、おれたちはたぶん、利息分だったのだ。

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