七月七日の夜によろしく
人は一生のうちで、二人の運命の人に出会うらしい。一人目は「失うこと」を、二人目は「愛すること」を教えてくれるらしい。前にSNSで見た。
だとしたら、今私の目の前にいるこの人は、一人目? 二人目?
もし、この人が一人目なのだとしたら、私たちを待っているのは、別れ。待って待って、そんなの絶対にいや。こんなにも愛しているのだから、別れる未来なんて許さない。
けど、もしこの人が二人目なのだとしたら、一人目は誰? 私はこの人に愛することを教えてもらっている気でいるけれど、全身全霊でこの人を愛している気でいるけれど、違うの?
失うことを知らないままでもいいから、この人を私の二人目の運命の人にしてください、と神様にお願いした。今日は雨の七夕。ちょっと頼りないかな。
私の二人目の運命の人(仮)とは、四月に出会ったばかり。出会って五秒で恋に落ちた。それは向こうも同じだったみたいで、あっという間に恋人になっていた。愛情たっぷり、お互いしか見えないくらい、持ち合わせたすべての愛を彼にささげた。彼もまた、私にすべてをくれた。
絶対に彼と一生を添い遂げよう、そう思っていた。
それなのにある時から、彼に近づく女の子は全員敵に思えた。自分に自信がないことからくる不安を、彼を束縛することで埋めようとした。自分に足りないものを彼に補ってもらおうとした。もちろんそれは彼の首を絞める行為だってわかっていたのだけれど、不安には勝てなかった。
私の理不尽なわがままを受け入れてくれる彼に愛情を感じていたし、私もまた、わがままな本当の自分をさらけ出せるほどに彼を信頼し、愛しているのだと、そう信じていた。
私たちを繋ぐものは、いつの間にか愛情ではなく依存へと変わっていた。共依存はよくない関係だと分かってはいたけれど、お互いにそうならいいじゃん、と思っていた。
束縛しあって、お互いの理想を求めあって、どんどん苦しくなった。大好きな人と一緒にいるのに、独り占めしているのに、日を追うごとにその苦しさは、温かかった恋心を凍らせた。そして、それは壊れてしまった。
私は、壊れた恋心を直そうと必死になった。恋心のかけらを必死になって集めた。終わらせたくない、だって私たちは、二人目の運命の人同士なんでしょう? 壊れた恋心だって、直せるようにならなきゃ、運命の人だなんて名乗れない。直せないってわかっていたけれど、諦めることが他のどんな選択肢よりも残酷に思えた。彼はそんな私に「もういいよ。」とだけ言った。それだけで、すべてに気付く必要があった。
私たちは、別れることを選んだ。最後の最後まで、お互いを大好きだと勘違いしたまま、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、お互いの幸せを願い、別の道を歩き始めた。背を向けるその瞬間まで、「もう一度やり直そう。」と言いたかったけれど、ぐっとこらえた。私には、彼を幸せにすることはできないと、わかっていた。でも、本気で幸せにしてあげたいと思っていた。できることなら、彼が幸せになったとき、彼の隣にいるのは私であってほしかった。悔やんでも悔やみきれない。一生後悔すると思う。
失うことっていうのは、そういうことなのかな。彼と別れて半年後の私は、ふんわりとそんなことを思っていた。二人目だと思っていた彼は、一人目だった。私たちならそんな法則ぶち破れると思っていたけれど、そんなこともなかったみたい。
彼と過ごした時間を振り返ってみると、かなり楽しかった。春はお花見に行ったし、夏は海で遊んだ。秋には山登りをしたり美味しいものをたくさん食べたりしたな。冬はイルミネーションを見に行ったし、手作りのチョコレートをあげたな。喧嘩をしたときは、好きなお総菜を買ってきて一緒に食べて仲直りしたな。どんなイベントも彼と過ごした時間と重なるから、これから他のだれかと過ごすようになったときに思い出してしまったりするのだろうか。もし、彼にもそんな瞬間が訪れるのなら、その度に傷つくことがありませんように。また、七夕の夜に願いをこめた。今日は晴れているから、きっとご利益あるよね。
さようなら、運命の人。あなたが一人目の運命の人で良かった。でも本当は、最初で最後の人になってくれたらって、思っていたよ。
ありがとう。さようなら。
今年も、七月七日の夜に願いをかけました。今年は晴れでした。