▲▽■の星
地球から遥か遙か彼方。
何億光年先の、加えて地球人が認知できないほどの未来にある星がそこにありました。
その星には満遍なく夜とすら呼べない闇が広がっていました。
上空は大粒の砂嵐に覆われていて、その下の幾分かマシな嵐の中で生物たちは暮らしていました。
便宜上"生物"と呼びましたが、果たして其れらを生物と称していいのかは分かりません。
白くやわらかい円柱型の胴体からは8本の触腕が生えていて、全てが器用な手であり足でした。
円柱の上には円形の物体が乗っており、一見頭のようです。そこから金属光沢のあるツノが木のように生えていますが、これは彼らの感覚器官です。
彼らは常にその星を歩いて大量の石のようなものを移動させています。
砂嵐は小石を大量に巻き上げて星にばら撒きますが、そうすると不思議なことに偏った場所に小石が溜まっていくのです。
この星の生物はその溜まった石を星に偏りが出ないように並べ直しているのです。
その行為になんの意味があるのかは分かりません。
ただただ、石を拾って石をまた置いていく。その繰り返しです。
彼らは意思疎通のための言葉を持ちません。
しかし、彼らは石を置く場所と石の溜まり場についてを伝え合っています。
言葉はありませんが、彼らは通じ合っていました。
彼らは誰ひとつとして無駄なくただ働いてその星を維持していました。
その動きは生物的というよりも、機械的であり、あるいは星を一つの生物とみなした時の細胞のひとつひとつのようでした。
彼らは時折増えたり減ったりします。
寿命が近づくと、ツノ以外が少しずつ縮んでいき、やがてツノは落ちます。
すると本体はあまりに軽くなっていますので、嵐に巻き上げられて上空を漂います。
そして、小石と共に体はバラバラに分解されて地表に落下します。
その姿はさながらマシュマロの死体でした。
マシュマロの死体のようなそれらは、時間が経つと少しずつ大きくなり円柱のような姿になります。
そして、それを察知した他の"彼ら"は落ちていたツノをどこからか持ってきて円柱に刺します。
するとみるみるうちに円球の頭部が完成し、8本の触腕が伸びて仕事を始めます。
マシュマロの死体はばらばらになったそれぞれが独立して成長しますし、ツノは落ちた拍子に折れていることがあります。
元はひとつだった体から、2体、3体の"それ"が生まれることがあります。
一度にたくさんの"それ"が寿命を迎え、一時的に総数が少なくなることもあります。
その循環に周期はあるような、ないような、よく分かりませんでした。
さて、彼らは光沢のあるツノ以外はまったくの白でした。
どんなに汚れた石を運んでもその体はくすみひとつつきませんでした。
そんな中、ある日突然真っ赤な個体が生まれました。
真っ赤な個体について、初めは誰も気に留めていなかったのですが、だんだんと「彼は違う」という認識をし始めました。
そしてなにより、真っ赤な個体は白いものたちと意志の疎通ができず、そのために石の少ない箇所から多い箇所へ偏らせていました。
つまり仕事ができませんでした。
白い生物たちはある時とつぜん赤い生物を袋叩きにしました。
それからさまざまな工夫があった後に、赤い生物は宇宙に投げ捨てられてしまいました。
赤い生物の元いた星はとても大気が薄かったので、宇宙に放り出されても体には何の影響もありませんでした。
初めのうちはばたばたと抵抗していましたが、やがて諦めてただただ宇宙を漂いました。
起きているのか、寝ているのかも分かりません。
そもそも、白い生物たちは寿命以外で活動を停止することはありませんでしたから、休息が必要のない体なのかもしれません。
赤い生物は、ある時何かにぶつかりました。
この生物はとても柔らかいので、ぶつかった相手も、自分も大きな怪我をすることはありませんでした。
ぶつかったのは、球体型の宇宙船でした。
宇宙船の中から、地球人とよく似たシルエットの生物がやってきて、赤い生物を船の中に引きずり入れました。
赤い生物は無抵抗でした。
宇宙船の中には多数の生き物がいました。
「▲▽■の星のひとだ」
「いや、▲▽■の星のひとならば真っ白なはずだ。これは赤い」
「きっと赤いから追放されたのだろう」
生物は口々にしゃべりましたが、赤い生物は言葉を持たないので何を言われているのか全く理解できませんでした。
なんなら、思考という行為すら今芽生えました。
「▲▽■の星の住民は言葉を持たないから、意志の疎通ができない。どうするんだ?」
一番体の大きな生物がいいました。
すると生物たちは一斉に、球体のヘルメットを被った生物を見ました。
きっと彼がこの宇宙船で一番偉い人なのでしょう。
「いや、彼らは言葉を捨てただけなのだ。また拾えば僕らと同じように生きていける」
ヘルメットの生物は赤い生物の触腕を優しく撫で、それからツノを優しく拭いてくれました。
それから、腰につけていたポシェットから音叉を取り出して、ツノを優しく叩きました。
────コォォ────……ォォン…………。
優しい音が船内に広がりました。
その瞬間、赤い生物は"理解"しました。
彼らもまた母星に居場所がなくなった生き物で、だからこそ宇宙を旅して暮らしているのだと。
脱力していた触腕に力がこもり、ヘルメットの生物に縋りつこうとします。
それを見た他の生物が、赤い生物が襲い掛かろうとしているのだと勘違いして引き剥がそうとしました。
「大丈夫、彼は少し"心"を覚えただけだから」
ヘルメットの生物はそういいながら赤い生物を抱き寄せて頭を撫でていました。
その光景はまるで親子でした。
それから、赤い生物は「オルクス」という名前を与えられました。
ヘルメットの生物は他の生物から「ボス」と呼ばれていたのでオルクスも彼をそう呼ぶことにしました。
本当の名前はもう少し長くて、その後半を切り取った呼び名が定着したのだとボスはオルクスに言っていました。
ボスはみんなの前でヘルメットを取ることは決してありませんでした。
なので誰もボスの素顔を知りませんでした。
でも、誰もボスの素顔に興味を持っていませんでした。
オルクスは船内での生活を始めてから、しばらくは毎朝他の生物たちの顔を触腕で優しく撫で回していました。
撫で回す順番は決まっていて、「ウェイ」「カノプス」「フォブス」「ベリ」「ディスノミア」「カロン」「ウンブラ」それから最後にボスでした。
尤も、ボスはヘルメットを外しませんから、凹凸のないつるつるした面を触腕が滑るだけでした。
オルクスには例の星の白い生物たちと同じように視覚というものを持ち合わせていなかったので、彼らの存在を触って覚えようとしたのでした。
もちろん耳もありませんでしたが、声の振動はツノで感じることができたので、そうして彼らの声と言葉を少しずつ覚えていきました。
特にボスは睡眠の前に言葉を少しずつ教えてくれたので、オルクスはみんなが驚くスピードで言葉と意思表示の方法を覚えていきました。
もうすっかり船員として馴染んだ頃、宇宙ステーションを発見しました。
船はまよわず宇宙ステーションの滞在審査を受け、すぐに許可が降りたので船を着岸させました。
「ボス、船をメンテナンスしてもらおうと思うんだけどいいかな」
操縦士のカノプスと副操縦士のカロンがボスに言いました。
「そうだね、今回は随分長旅だったから一度見てもらおう」
オルクスは何の話をしているのか全くわからず首を傾げていました。
すると船内で一番体の大きなベリがオルクスの触腕を掴んで船の外へ連れ出しました。
「ここは楽しいところだぜ。ご飯は美味しいし、新しい音楽が買える」
音楽はオルクスも大好きでした。
船内にあった音楽データはもう全て覚えてしまうほど聞いていました。
ベリに連れていかれるままに、オルクスは音楽ショップに入りました。
オルクスには視覚がありませんが、ふんわりとどこに何があってどんなものなのかは少しは分かるようになっていました。
音楽ショップには細い柱がたくさん並んでいて、ひとつひとつにヘッドセットが何種類か付いていました。
ベリはオルクスのツノにあう形のヘッドセットをつけてあげて、音量も少し小さめに調整してあげました。
「ここを押すと再生されて、ここを押すと次の曲。気に入った曲があったらこのボタンを押すんだ」
ベリはオルクスの触腕を握って柱のボタンや画面を押して教えてくれました。
オルクスはすぐにこの素敵な柱に夢中になりました。
そしてオルクスにとってはあっという間の時間でしたが、ベリがお腹を空かせるのに十分な時間が経ちました。
ベリはオルクスが気に入った曲を全て購入して、音楽データが入った薄型のチップを受け取りました。
「ここは食堂。色んなものが食べられるぜ」
食堂にはボスをはじめ船員は全員集まっていました。
それぞれ好きな食べ物を注文して食べます。
オルクスはボスと同じスムージーを注文しました。
オルクスは運ばれてきたスムージーに触腕を浸しました。
こうするのが彼にとっての食事でした。
そして、みんなが口々に喋るのを聞くのがとても好きになっていました。
みんなはすっかりお腹いっぱいになって、お酒を飲んで千鳥足になった船員もいます。
店を出るとボスの勧めでみんな真っ直ぐホテルに向かいました。
ボスが言うには、全員が泊まれる広い部屋がなかったので2~3人で分かれることになりました。
仲の悪い船員はもちろんいませんが、それでも多少は付き合いの長さや気の合う者がおりましたからすんなりと部屋わけは決まりました。
そして、一番新参者のオルクスはボスと同じ部屋になりました。
オルクスは内心とっても喜んでいました。
2人が入った部屋は真っ白な部屋で、大きなベッドが二つ少し間をあけて並んでいました。
壁の一面が窓ガラスになっていて、その先にはこの宇宙ステーションの母星であろう青い大きな星が見えました。
「きれいだね」
ボスはオルクスに話しかけますが、オルクスにはどれほど綺麗かまでは分かりませんでした。
ただなんとなく、青いのだろうということわかりました。
オルクスはふとベリに買ってもらった音楽チップをボスに見せました。
ボスはポシェットから携帯音楽プレーヤーを取り出し、チップをセットして再生ボタンを押しました。
様々な声が折り重なる絹のヴェールのような響きが部屋を満たしました。
その中で2人は青い星を眺めていました。
オルクスはボスの手に触腕を絡めながらボスにあることを伝えました。
『くちがほしい』
ボスはそれに応えず、しばらくオルクスの触腕を優しく撫でていました。
それからゆっくりと語りかけました。
「口は災いの元だよ、オルクス」
オルクスは首を傾げるような仕草をして見せました。
ボスは困ったようにオルクスを抱き寄せました。
オルクスもそれに甘えるように全ての触腕をボスに絡めました。
「昔話をしてあげよう。2人きりじゃなきゃできない昔話を」
ボスはオルクスと共に柔らかいベッドに寝そべりました。
「昔々。同じような見た目を持つ生き物しかいない星がありました。
決して豊かとは言い難い星であり、争いの絶えない星でした。
彼らはいつしか疲れ果てて、大きな争いを終わらせたかったのですが、ちょっとした行き違いや聞き間違いから彼らの間には決して修復できない大きな溝が広がってしまいました。
そして彼らの争いのせいで星から昼が消えてしまいました。
すっかり手遅れになってしまってから、彼らは気がつきました。
この目が、この耳が、この口が、どれかひとつでもなければ良かったのではないか。
いや、穏やかに生きていくのにどれひとつも必要はないのだ、と。
そもそも何かを傷つけるような硬い手足も、兵器を作る器用な指も、全てあるべきではなかったと。
そうして、まず言葉を捨てた。
それから必要最低限の感覚器官を残して全て捨て去った。
ただ仕事を効率よく進めるためだけに意思疎通の手段も主観を持たないように進化した」
オルクスはその話を聞きながら、何となくボスのヘルメットを優しく撫でていました。
「分かるね、オルクス。それが君の母星の歴史だ」
オルクスの心は別に何も動かされなかったので、ボスのヘルメットを撫でるのをやめませんでした。
「けれど、彼らが選んだのは退化というものだ。
そして、どれほど時間がかかっても何も本質は変わっていなかったのだ」
ボスはポシェットからあの音叉──いいえ、オルクスと同じ光沢を持つツノの破片をとりだして、オルクスのツノを優しく叩きました。
────コォォ────……ォォン…………。
あの優しい音が音楽と合わさって部屋に広がります。
オルクスは理解しました。
自分は見た目の違いと、他者と劣っている部分があったので捨てられたのだと。
「オルクス、その腕はなによりも優しい腕だ。
その赤色はどんな恒星より鮮やかで美しい色だ」
オルクスは何もかなしくありませんでした。
このようにボスが自分を優しく包んで自分を讃えてくれますから、それで十分でした。
けれど、オルクスは諦めませんでした。
『くちがほしい』
ボスは苦笑しました。
「口を手に入れるのはとてもつらいと思うよ」
『うたいたい』
「じゃあ耳も要るね。自分の声を聞かなきゃ歌えてるか分からない」
『めもほしい』
「欲張りだな」
『ボスもでしょう』
ボスは罰が悪そうに顔をそらしました。
それからベッドの上にどっしりと座ってオルクスと向き合いました。
そして、ボスはヘルメットを外して、オルクスに触らせました。
「後からやめるはできないから、よく考えて」
オルクスはボスの顔の凹凸をやさしくやさしく撫で続けました。
とても羨ましいと思いましたが、オルクスの心はとても暖かい気持ちでいっぱいでした。
お読みいただきありがとうございました。
思いつくまま一発書きしたので深い意味はないです。