愛の歯
ひだまり童話館、開館8周年記念祭参加作品です。お題は「8の話」ですー。
よろしくお願いします。
学校の帰り道、公園に怪しい人がいるのを見つけた。なぜ“怪しい人”とわかるかというと、顔が紫色だったから。
寒くて顔色が悪いというレベルではない。人体の皮膚にはあり得ないほどの紫色をしているその人は、まるで映画に出てくる異星人のようないで立ちで、真っ黒の全身タイツに真っ黒のマント。手袋と長靴は紫色。さらに頭にはビヨンと角が二本飛び出ていて、それを囲むように金色の王冠を被っている。
「怪しすぎる」
脳内で言った言葉は、佐紀の口から、ついポロリと出てしまっていた。
その声に気づいたのか、その人は佐紀の方を向くと、大きな口をめいっぱい開いてニッコリと笑い、こちらにやってきた。
「佐紀ちゃん!やあやあ、待っていたんだよ」
「はあ?」
佐紀は驚いて目を見開いた。
なぜ、この怪しい人(…人というか、おじさん?)は佐紀の名前を知っているのか。そして声をかけてきたのか。
これだけ怪しければ、ランドセルの防犯ブザーを鳴らしてもよさそうなものだけれど、いや、防犯ブザーどころかとっとと走って逃げなければならない場面だというのに、佐紀は衝撃のあまり、動けないでいた。
「学校帰りだね、おかえり」
「あの」
まるで近所の顔見知りのおじちゃんのように近づいてくるけれど、こんな人近所にいただろうか。いや、あり得ない、紫すぎる。
「本当はお家で待っていようかと思ったんだけど、住所を控えてくるのをわすれちゃって、はは、こういうのをドジっ子というのだな」
「・・・」
違うだろ。
少なくとも“子”ではないだろう、という声は口から出ない。
「いやいや、学校帰りに公園に寄り道なんて、いかんな。はは、呼び止めて悪かった。あ、そうそう、これこれ」
紫の人はそう言いながら、可愛いラッピングのビニール袋を佐紀に手渡そうとした。
「え、と」
「佐紀ちゃん、甘い物好きだろ?キャンディとかチョコレートとか、すっごく美味しいよ。寝る前に食べなさい」
「え・・・?」
それだけ言うと、紫の人は佐紀の手にそのお菓子の袋を置いて「じゃ、またね」と言って去って行った。
「な、なに、あれ」
しばし呆然と立ち尽くす佐紀だったけれど、紫の人が振り返った後ろ姿を見て、噴き出した。
「尻尾もあるんだ」
そうじゃない。
笑うところ、そこじゃない。
でも、佐紀には、その三角の尻尾が妙に納得のいくものだった。
手に乗せられたお菓子の袋をどうしたものかと思いつつ、とりあえずそのまま持ち帰った。
「ただいまー。って、ママいないか」
だいたい平日は佐紀の方が先に帰って来るから、母親はいない。
この時間は佐紀は一人。
習い事のない日は一人でおやつを食べて、宿題をやったり、時々友だちの家に行ったりするけれど、だいたいは家で本を読んで過ごしている。
はずだった。
「あ~ら、おかえりなさ~い」
「・・・まだいたの」
佐紀は驚きもせず、自分の部屋から出てきた人、足まで隠れる白いワンピースを着た、体中が白塗りのその人を見るとため息をついた。
佐紀が、公園のところで紫の人を見た時、パニックを起こさなかったのは、この白い人のおかげかもしれない。
なにしろ数日前、この白い人がいきなり佐紀の部屋にやって来て「おめでとうございま~す!」と言ったのが始まりだった。
こんな変な人が自分の部屋に現れたのに、家族はみんな気づかず、どうやら自分のほかには見えていないということが分かったところだった。
でも、夢ではない。
と思う。
まあ、夢でも現実でも、どっちでも構わない。子どもというのはわりと超現実的なことでもすんなり受け入れられたりするものだから。
「あったりまえじゃな~い。今回、第二小臼歯が抜けるまでお世話するわ~」
「いらんて」
「何言ってるのよ~。小さなころから、歯が抜ける時はちゃーんとお世話してきたでしょ?ね、佐紀ちゃんの親知らずが生えそろうまでお世話するのが私のし・ご・と」
「だからさー」
「あっ、ちょっと!!」
佐紀が、反論しようとしたところで、白い人は佐紀の手にお菓子の袋が乗っていることに気づいた。
「ナニコレ、どうしたの!?」
「え、公園で、知らない人?に貰ったんだけど」
「ダメよ!知らない人に貰ったものなんて、食べたら絶対ダメなのよ。特に寝る前は絶対よ!」
今まで白い人は、わりとほんわかした話し方をしてきたし、佐紀の生活態度には口を出さなかった。勿論、母親が用意しておいたおやつを食べることも何も言わなかった。
それなのに、お菓子を持ち帰ったらすごい剣幕だった。
「うん、別に、食べようと思ってないけど」
「あ、そ、それなら良いのよ。うん、で、なんなの、これ?」
白い人は佐紀から袋を受け取ると、それを開けて机の上に中身を出した。
紫の人が言ったとおり、中には飴やチョコレートが入っていた。見たことのない、外国製のお菓子らしく、ドギツイ色をしている。
「うわあ、すごい色だね」
「ダメよ、ダメ!こんなの食べたら虫歯になっちゃうわよ。ちゃんと歯が育たなくなるんだから」
白い人は歯の専門家らしい。
なにしろ佐紀の前に現れたのだって“歯のお世話”をするためだというのだ。ちょうど佐紀の左右の歯が二本ぐらぐらしてきて、もう抜けそうだなと思った時に現れたのがこの白い人。
佐紀の歯を抜くのを手伝ってくれるらしい。
この白い人が手伝ってくれれば、ちゃんと次の歯が生えてきて、歯並びもうまくいくとか。
そして、この人は“親知らず”が生えそろうまでは、世話に現れると言うのだけど、佐紀はそれがちょっと嫌だった。
「べつに、知らない人からもらったお菓子を食べようとは思わないけどさ。でも何なの?私がおやつ食べるのがいけないの?」
佐紀は今まで、白い人がいきなり部屋に現れても、嫌な顔をしなかった。
そりゃ、ちょっとは驚いたけれど、佐紀のために現れたとわかったから、まあ、邪険にしなくても良いかなとは思っていた。
ただ昨日の夜、ぐらぐらしている歯を抜こうとしてきた時には「やめて」と言ったけれど。
白い人は少し困った顔をした。
そして謝ろうと口を開きかけたところで、部屋の中にドカンという大音量と男の人の声が鳴り響いた。
「ちょっと待ったあー!」
お菓子が散らばっている勉強机の上に、なんとあの紫の人が現れた。
一度目を瞑り、目を開けて確かめる佐紀。
うん、いる。
やっぱり、全部夢かな——
「あ、どうも、おじゃまします」
紫の人は、すぐに机から降りた。
「来たわね、虫バイキング!佐紀ちゃんにお菓子を渡したのはお前ね!」
「はっはっは、いかにも!佐紀ちゃんにぜひ、おいしい~お菓子を食べてもらいたくてね。やあ、佐紀ちゃん、先ほどはどうも」
紫の人は“虫バイキング”というらしい。
佐紀は噴き出したくてたまらなかった。
虫歯、ばい菌、キング・・・どれだ。
「ふふっ、おじさん、虫バイキングって名前なの?」
佐紀が笑ったので紫の人もとい虫バイキングは嬉しそうに目を細めた。
「そうとも、ワタシは王様、虫バイキングである!」
えっへんと胸を張る虫バイキングの頭を、白い人が後ろからはたいているが、気にしない。
「佐紀ちゃん、こんな人の言うこと聞いちゃダメよ」
「おじさん、そんな名前じゃ、おじさんから貰ったお菓子は食べられないよ」
「が、ガガーン!」
口に出した効果音に合った顔をした紫の人と、にんまりとする白い人。
「だって、虫歯のばい菌の王様ってことでしょ?虫歯になるって言ってるようなもんじゃん。食べたくないよ」
「い、いやいやいやいや、ちょっと待て、何か誤解してる、うん、佐紀ちゃん、何か誤解をしてるねえ」
虫バイキングはおろおろと手を振って、そして机の上のキャンディをひとつ摘まみ上げた。
「これはね、普通のキャンディだよ。美味しいキャンディ。佐紀ちゃんだってキャンディ、食べたことあるだろう?それと何も変わらない普通のキャンディだよ。王様がくれたからって虫歯になるわけじゃないんだよ」
「そうなの?」
「いーえ!違います!佐紀ちゃん、虫バイキングのキャンディは虫歯を作るためのキャンディですよ。騙されないで、絶対食べちゃだめなのよ!」
「だから、食べないって」
「ガガーン…」
興奮度合いからいくと、白い人、紫の人、一番落ち着いてるのが佐紀となっている。
「私知ってるよ。おじさん、さっき、寝る前に食べてねって言ったでしょ?私に虫歯になって欲しいの?」
「違うんだ。王様はね、佐紀ちゃんの声を聞いたんだよ。だから助けに来たんだ」
「助けに?」
「昨日の夜、この白い女に歯を抜かれそうになって怖くて嫌だって言っただろう?」
「言ってないわ!」白い人が反論する。
「お前さんは黙ってろい!」
「うん、言った。だからまだこの人がいるんだけど」
「な、嫌な思い、したな?」虫バイキングは優しい声で佐紀の頭を撫でた。「それに、親知らずも生えてこないでほしいんだよな?」
「えっ、ちょっ」白い人が愕然とする。
「お前さんはすっこんでろい!」
「言ってないけど、なんで知ってるの?」
佐紀は、親知らずが生えないで欲しいと、確かに心の中で思ったけれど、口には出していない。
「王様はね、歯のことならなんでもわかるんだよ」
「いーえ、黙ってればなんだか良い人ぶってるけど、違いますからね!佐紀ちゃん、騙されちゃだめですよ。この虫バイキングは虫歯の子どもが減ったからって、虫歯普及運動をしているだけですからね」
白い人が言うと、虫バイキングはチと舌打ちをした。
「お前たちは、虫歯のことを悪く思い過ぎだ。良いか、虫歯は愛情だ。愛情がなければ虫歯は生まれない。現代の子どもたがは虫歯にならないのは、つまり愛情が不足しているんだ。可哀想じゃないか!こんな小さなお菓子くらい、いつ食べたって良いだろう!?」
「そういうのは愛情とは言いませんー。そんなの、分別のつかない子どもにしか通じませんー」
白い人の正論に虫バイキングはダメージを食らった。
「くっ、じゃあ、そうだ、離乳食!離乳食だって、出来あいの物ばっかりになっちまった。愛情のある母親だったら自分のお皿から、柔らかくつぶしたものを赤ん坊にあげるべきだろう。子どもが熱くないように先に母親が味見をしたりするのが普通じゃないのか?そんな簡単な愛情すら、今の子どもたちは知らないんだ」
離乳食をあげることがどうして虫歯になるのかわからず、佐紀は首を傾げた。
「ママたちはお仕事をしてて忙しいからしょうがないんじゃないの?」
「ほら、そこだ!子どもに手をかけるのは母親にしかできないことだ。それが愛情だ。母親と同じ箸やスプーンを使うことで菌が移るが、な、愛情がなければ虫歯になれないんだ。愛されている子どもが虫歯になるのは仕方がないことなんだぞ。もし虫歯になったら歯医者さんに行けば良いだけなのにな」
「はい、違いまーす!」絶好調の虫バイキングを遮って白い人が手をあげた。
「出来合いの物を使ったって何の問題もありません。むしろそのほうが栄養価や味もちゃんと年齢に合わせたものがあげられるから安全です。それにスプーンの共有で虫歯の菌が移るってわかってるからスプーンを替えてるんですぅ。それこそ、子どものためを思って違うスプーンを使うんだから、こっちのほうがずーっと愛情なんですぅ!」
「ぐっ、くそう、でも、でも」
虫バイキングはこれ以上何も言えなかった。
白い人が勝ち誇った顔をしている。
「あのね、何か食べたら歯を磨く。寝る前は食べちゃダメ。そうすれば、おじさんのくれたアメを食べても虫歯にはならないと思うんだけど、どう?」
この中で一番賢いのは、小学生の佐紀である。
珍妙な格好をしている紫と白の人は、神妙な顔をして大人しくなった。
「でも、それじゃあどうして、佐紀ちゃんは”親知らず“が生えてくるのが嫌なんだい?」
虫バイキングがソっと聞いた。
白い人は何か言いたそうではあるけれど、佐紀の顔を見るだけだった。
「親知らずって、生えてきたらパパとママに会えなくなるんでしょ?」
佐紀は賢い小学生だけれど、まだ子どもで、正しい知識はなかった。
だけど佐紀にとっては重大な問題だった。
親知らず、などという恐ろしい名前の歯がいつか生えてくる。その歯が生えれば、その名の通り、親を知らない、または親は知らない状態になったりするのじゃないか。佐紀にはそれがとても怖いことだと思った。
だけど、白い人は、良く噛んで食べて、ちゃんと歯を磨いて、正しい時期に歯を抜けば、正しく歯が生えてきて、親知らずもちゃんと生えてくると言う。
親知らずなんていらないのに、白い人が佐紀のお世話をしたら“親知らず”が生えてきてしまう。
だから佐紀は歯を抜かれるのが嫌だと思ったのだ。
「佐紀ちゃん、すまん。確かに虫歯が多い子は親知らずが生えにくい。だけど、虫歯があっても親知らずが生えないとは約束できない」
虫バイキングはガクリと肩を落とした。
そこで白い人が優しく言った。
「あのね、親知らずって変な名前だけど、お母さんたちに会えなくなるって意味じゃないのよ。昔この名前がついた時は、そういうこともあったのかもしれないけど、今は皆長生きでしょう?だから大丈夫。ただ、親が知らないうちにその歯が生えるって意味はあるみたいよ。それにね、別名“知恵歯”って言って、その歯が生えてくるころにはみんな分別がついて素敵な大人になってるって言うのよ」
「そうなの?」
「そうだ。それに外国では“愛の歯”と呼ぶところもある。虫歯は愛情だが、親知らずは愛そのものだ!」
虫バイキングが良いことを言った。
それで佐紀は笑顔になった。
「愛の歯?」
「そうよ?ね、親知らずが生えても怖いことなんてないわ」
「うん、わかった。じゃあ・・・いただきます」
安心した佐紀は机の上の飴を持つと、ひとつずつ白い人と紫の人に手渡して、そしてみんなでそれを食べた。
「うん、おやつは心の栄養だな」
「そうよね。食べたら歯を磨けば良いだけだわ」
「はあ、もう虫歯菌は絶滅するかもな、ハハ」
「そんなにすぐには絶滅しないわよ。それに、口の中の問題は虫歯だけじゃないんだし」
もぐもぐと白い人が言うと、紫の人は急に顔を上げた。
「そうだな!よし、ちょっくら歯周病歯グキングのところに行ってくる。じゃあな!」
「あっ、虫バイキング!」
そう言った時にはもう、紫の人はいなくなっていた。
佐紀と白い人は顔を見合わせて笑った。
それから数日後、ぐらぐらになっていた佐紀の第二小臼歯を白い人が抜いてくれた。
「はい、おめでとうございま~す!無事にキレイに抜けました。第二大臼歯も出始めているし、もうほとんど大人ね」
「うん、ありがとう」
佐紀は歯のなくなった歯茎を舐めて変な顔をしている。もう次の歯がほんの少し顔を出しているのがわかる。
「さ、ワタシはこれで一度帰るわね。でも大丈夫、ちゃんと”親知らず“が生えるまでお世話しにくるからね」
「う、うん」
「大丈夫よ。怖くないから」
「え?いやー、また来るの?」
「来るわよ。当たり前じゃない。どうして?」
「だって、普通、来る?」
尤もな質問である。
白い人や紫の人が、歯が抜けたり虫歯になったりするたびに現れるなんて聞いたことがない。
「ううん、佐紀ちゃんみたいに見込みのある子だけに現れるの」
「見込み?なんの?」
「歯を大切にしてくれる子ってこと。じゃ、歯磨き忘れないでね~」
本当かな、と思っている間に、白い人はホワンと白い光りを残していなくなってしまった。
それから数年後、佐紀の前に白い人が現れても、佐紀はその姿も声もわからなかった。ただ、鏡を見て一番奥の歯のその奥に、いつの間にか八本目の歯が生えていることを知ると「あ、愛の歯だ」と言っていつも通りに歯磨きをしただけだった。
白い人と紫の人が、大人になった佐紀を見て微笑んでいたことも、佐紀は知らない。
白い人の名前は「歯磨クイーン」です。文中に出せなかったので、ここで紹介しておきます。
お題の「8」は親知らずでした。親知らずは八本目の歯ですね。最近では生えてこない人もいるらしいです。ちなみに私は、親知らずのその奥に九本目の歯が生えているという、レアな人間です。