2 してやるもんか!
マリーはめんどくさくなってきた。
あれからというもの毎日毎日毎日、夫ファビアンが「頼むよ、マリー。私と離縁してくれ」としつこく迫ってくるのだ。うるさくて仕方がない。
そして夫の愛人ロジーヌも頻繁に伯爵邸を訪れては「奥様。お願い致します。ファビアン様と離縁してください。少しでもお腹の子を不憫に思ってくださるなら、どうかお願いします」と芝居がかった台詞を吐くのである。
⦅浮気の結晶なんて不憫に思う訳ないだろ。アホか⦆
マリーはもともと優しい気質の女ではない。ロジーヌの腹の子の事など心底どうでも良かった。ただ、ファビアンとロジーヌのしつこさに辟易してきたのは事実だ。
⦅もう、めんどくさいから離縁を承諾する振りをして、とりあえず、あの二人を黙らせよう⦆
マリーはそう考えた。
あくまで承諾する【振り】をするだけだ。マリーは実際にファビアンと離縁するつもりなど、これっぽっちも無かった。ぜ~んぜん無かった。何故か? 答えは簡単。夫と愛人の喜ぶことは絶対にしたくなかったから。
マリーがファビアンと離縁して、利するのは誰か? ずばりファビアンとロジーヌだ。そして離縁によって損をするのは誰か? マリー、ただ一人である。確かにファビアンからたっぷり慰謝料を貰い、それなりの財産分与を受ければ経済的に困ることはないだろう。だがそれは、あくまで金銭の話に過ぎない。伯爵夫人としてのハッピーライフを奪われる心情的な損失は、金銭で補えるモノではないのだ。
マリーを不幸にしておいて、ファビアンとロジーヌだけが幸福になるなんて許せない。離縁はしない。絶対にしてやるものか。マリーとの離縁が成立しない限り、ファビアンとロジーヌは夫婦にはなれないのだ。ざまぁみさらせ!
「愚かな人間どもよ! 我の恐ろしさを思い知るが良い! この我の恐ろしさを! わーはっはっは!」
マリーは【一度言ってみたい台詞】自分ランキング第3位、冒険小説の魔王の台詞を口にしてみた。侍女が痛ましそうにこちらを見るが気にしない。ちなみに【一度言ってみたい台詞】自分ランキング堂々の第1位は「お前に会いに来たんじゃない。風に呼ばれて来ただけだ」という歌劇中の勇者の台詞である。カッコイイ~!
今日も今日とてファビアンがマリーに縋り付いてくる。
「マリー。慰謝料も財産分与も君の望むだけ渡す。頼むから離縁してくれ」
簡単にそんな事を言って、妻に財産全部くれって言われたらどうするつもりなのだろう? バカなのか?
「わかりました。そこまで仰るなら、離縁致しましょう」
「いや、そこを何とか……え? 今、何て言った? マリー? え? 離縁してくれるの?」
「はい。1ヶ月後の11月22日に離縁手続きを致しましょう」
「何故【いい夫婦の日】に?! い、いや、まぁそこはいい。本当に離縁してくれるのだな?」
「ええ。見届け人の選定はファビアン様にお任せしますわ。お知り合いの方に依頼してくださいませ」
「わ、わかった。マリー。絶対だからな。絶対1ヶ月後に、離縁してくれよ」
「おほほ。約束を違えたりしませんわ。【いい夫婦の日】にお別れ致しましょう」
「ありがとう! ありがとう、マリー!」
ファビアンは感激の面持ちで、マリーに「ありがとう」と繰り返した。御し易い男である。
ちなみに、この国の貴族の離縁手続きは厳正で、かなり面倒だ。離縁する当人2人が揃って神殿に赴き、神官の目前で離縁届に署名しなければならず、その際に、署名する夫婦が間違いなく本人である、ということを証明する【見届け人】2名が立ち会う必要があるのだ。見届け人は2名とも貴族籍を有する成人男性と決められており、離縁する夫婦の【本人証明書】に証人として署名する。その証明書は離縁届に添えられ、神殿から最終的に王宮に提出される為、公文書扱いとなる。もしも、本人ではない者が離縁手続きを行った場合、夫婦当人を騙った者は勿論のこと見届け人2名も罪に問われ牢獄行きである。
よって、この国では貴族の夫婦の離縁手続きにおいて不正を行うことは不可能に近い。たとえば夫婦のどちらか一方が勝手に離縁届を提出する、などという事はまず無理だ。
「つ・ま・り、当人である私が行方を晦ませれば、離縁出来ないのよね~。ふふふ」
不敵な笑みを浮かべるマリー。
浮気夫と愛人の運命は、マリーが握っているも同然なのだ。