ジェネリック
中谷は昼休み中にも拘わらず頭を抱えて溜息を吐いていた。
「どうしたの? 何かあった?」隣の席に座る同僚の川岸が声を掛けてきた。
「いや、今度の忘年会の幹事になっちゃったからさ。私そういうの苦手だからどうしようかなって」
中谷の勤める会社では、毎年全社員およそ二百名を一堂に集めて大々的に行われる忘年会が行われる。入社三年以内の新人社員はその幹事や進行役を指名されることが多い。二年目になる中谷はとうとう幹事の一人として選ばれたのだった。
「やっぱり、去年みたいに幹事は何か宴会芸とか披露しないといけないのかな? 私特技とかないんだけど、どうしよう。川岸さん、何かそういうの持ってない?」ダメ元で中谷は川岸に尋ねてみた。
「私も特技なんてないけど、出し物のプロに頼んだらどう?」
「プロ? マジシャンとか? 外注したら予算に収まらないよ」
中谷はまた小さく息を吐いた。大規模な宴会なのに管理部から渡される予算が少ないというのも、毎年の忘年会幹部から漏れ聞こえる不満の一つなのだ。会場との値引き交渉は必須とされているが、そういう交渉事も中谷は苦手としていた。
「いや、ジェネリックだったら先発より半分かそれ以下で済むと思うよ」
「ジェネリック?」
川岸の説明に因れば、最初に独自の技を編み出した先発のオリジナルパフォーマーの後に、パフォーマーと同等に面白いと各協会から証明された後発パフォーマー、所謂「ジェネリックパフォーマー」という者が存在する。オリジナルパフォーマーの編み出した独自の技術が開発から十年後に一部解禁され、その技術をジェネリックパフォーマーが継承し、第三機関からもその技術を保証を得れば、公的なジェネリックパフォーマーとして活躍できる。第一人者ではないという欠点はあるものの、発注側はオリジナルパフォーマーよりかなり金額を抑えてブッキングできるというのが最大のメリットだ。
最近は、オリジナルの技術を開発せず、ジェネリックを専門としたパフォーマーも存在する。オリジナルからは批判の声が上がっているが、テレビ局側などオファーする側がギャラを安くしたいという理由からニーズは大きくなる一方で、ジェネリックパフォーマーは急速に数を増やしている。
川岸との話で、前日のバラエティ番組に出演していた科学実験者が実はジェネリックだったと言うことを中谷は知った。てっきりその実験者はオリジナルで実験していると思い込んでいた。番組ではいちいち出演者がオリジナルかジェネリックかなど説明しないのだ。
帰宅した中谷は、早速インターネットでジェネリックパフォーマーを調べた。科学実験者以外にも、マジシャン、超能力者、催眠術者、メンタリスト、様々な人が存在した。中には、前日のバラエティ番組で見た実験者のように、テレビやネットで名を馳せている人も、中谷の想像の何分の一のギャラで契約できることが分かった。翌日、中谷は他の忘年会幹部と相談し、催眠術者の一人を忘年会に呼ぶことにした。
忘年会当日、開始して一時間が経ったところで催眠術師のコーナーになった。長いマントに身を包み、一部に緑色のメッシュの入った長髪にこれまた長い顎髭の伸びた催眠術師の姿は、胡散臭さを含めていかにもそれっぽい。会場は、本格的なパフォーマーが来たとあって盛り上がっている。
催眠術にかかる人として、社長が壇上に上がった。
「俺はかからねえぞー」
社長は得意げに笑って、壇上に置かれているパイプ椅子に腰掛けた。今回の催眠術の目標は、社長が苦手だという椎茸をおいしく食べさせるというものだ。
「私が三つカウントすると、社長は全身の力が抜けて眠りにつきます。はい、ワン、ツー、スリー」
素早いカウントの後に催眠術師が手を叩くと、社長はガクンと身体を折るようにして意識を失った。中谷は実際に催眠術を見るのが初めてだったこともあり、いきなり意識を失った社長の姿に驚いた。
「はいどんどん身体の力が抜けていくー……。手始めにレモンで試してみましょうか」催眠術師が横のワゴンから二つに切ったレモンを手に取った。「今からこのレモンを召し上がっていただくと、まるでメロンのように甘く感じます。さあ、またカウントするので起きてください。はい、ワン、ツー、スリー」
催眠術師が社長の肩を叩いて「おはようございます」と声を掛けた。するとすぐに「おはようございます」と正に寝起きの声で、ゆっくり社長が起き上がった。ワンマンでいつも目がギラついているはずの社長の目が虚ろだった。中谷も、これは成功しているのではないかと思った。
「さあ、ここに甘い甘いレモンがありますよ。召し上がれ」
催眠術師に促されるままに、社長はボーッとしたままレモンを手に取り、躊躇いなく囓った。ひと囓りしてしばらく黙った後、社長は「いや、普通に酸っぱいんだけど」と呟いた。
「え?」
催眠術師は少し慌てた様子を見せた。中谷も、てっきり社長が催眠術にすっかりかかっているように見えたので、先ほどよりもさらに驚いた。というより慌てた。
「お前ら、俺が催眠術にかかるとでも思ったか?」社長が突然立って、社員たちを指さした。「催眠術にかかる奴は、自分がないような弱い奴なんだよ。俺みたいな奴がかかるわけねえんだよ」
社長がいつものように激高したり社員が白けたりするのを中谷をはじめとする感じは懸念していた。しかし、実際には社長はアルコールも回っているためか怒ってはおらず、社員も手を叩いて笑っていた。どうやら最初の催眠術は失敗したようだが、出し物としては失敗していないようだ。中谷は心の底から安堵した。
「まあ、次にかかるかもしれませんから」笑顔を絶やさずに催眠術は次のコーナーに移った。だが、最初に登場したときより明らかに顔中に汗を掻いていた。
催眠術師は先ほどと同じ要領で社長をまた一回眠らせた後、起きた社長に「この椎茸の煮物ですが、いつもの嫌な臭いや食感がとても美味しく感じられます。さあ、召し上がってください」言って椎茸と差し出した。社長は数秒間椎茸を見つめた後、一口で椎茸を口に入れた。社員がおっとどよめいたのも束の間、社長は一瞬で椎茸を吐き出した。
「うえっ! やっぱり全然食えねえじゃねえかよ! ポンコツ催眠術師め!」
社長が催眠術師を小突くような動作を見せてひと笑い起こしてくれたこともあって、場はシリアスな雰囲気にならずに催眠術コーナーは終わった。当の催眠術師は「今日は調子が悪かったみたいで、すみませんでした」とヘラヘラしながら帰って行った。
催眠術の成功か失敗により支払報酬を変更する契約は結んでいない。しかし、場を盛り上げたことは間違いないから全額支払ってもいいだろうと。中谷は催眠術師の背中を見ながら考えていた。
忘年会が何とか無事終わり、中谷は帰宅している途中、ジェネリックパフォーマーについて改めて調べてみた。すると、ある知られざるデメリットを見落としていたことに気付いた。
ジェネリックパフォーマーは、確かにオリジナルパフォーマーの技術を習得していて、第三機関からの認証も得ている。
しかし、ジェネリックパパフォーマーが会得しているのはオリジナルパフォーマーのほんの一部でしかない。例えば催眠術師の場合、催眠術をかける際の具体的な手法だけが解禁されている。しかし、催眠術においては「この人にやられたらかかりそう」と思わせるような触れ込みや宣伝の段階からすでに重要なのだが、そういったハウツーまでは公開されていない。第三機関からの認証の対象にも、周辺技術の精度の高さは要件に含まれていない。
さらに、第三機関からの認証そのものが緩いというのも問題とされている。分野にも因るが、平均してオリジナルパフォーマーの六割以上のパフォーマンスの精度であればジェネリックパフォーマーとして承認されることが一般的なのだ。
あの催眠術師は、その中でも諸々の精度の低いパフォーマーだったのかもしれない。やっぱりオリジナルには敵わないのだなと中谷は痛感させられた。
この話は、弟がテレビ番組で科学実験をする若いパフォーマーの方を見て「でん●ろうのジェネリックだ」と言ったことからインスピレーションを受けて書きました。いつかこの物語を弟が目にしたときのことを考えて、この場を借りて一応お礼しておきます。