あなたの百合を手伝います
【登場人物】
深見ぼたん:高校一年生。部活勧誘のときに咲百合に無理矢理YSSBに入れられた。隠れ百合好き。
三枝咲百合:高校二年生。百合成就遂行秘密組織、YSSBの発起人。百合の匂いが分かる。
「例えば二人で廊下を並んで歩くというシーンがあるとするでしょう? 他愛ないことをお喋りしながらふとした瞬間に指先が触れ合ってぴくりと互いに肩を震わせ、照れを隠すように小さく笑い合う――そんな初々しくもほのかにあたたかくなるような一幕……。さてぼたんさん、貴女は今『二人』と聞いてどんな人を思い浮かべました?」
「はぁ……同級生の女の子が二人、ですかね」
「でしょう! 何の説明もなく二人と言われて真っ先に思い浮かべるそれこそが、私達の求めている理想なのです! ともすれば今のシーン、男子生徒が二人でも男女のペアでもお話としてはまったくおかしくない。けれど私達は女の子であって欲しいと、そう願っているのです! 何故か? それは乙女たちがときに淡く、ときに情熱的に咲かせる百合の花があまりにも美しいからに他なりません! 私達の使命はそんな百合の花が枯れぬよう水を遣り茎を支え、日の光を浴びさせることなのです!」
拳を握り力説をしている三枝咲百合先輩を半眼で見やり息を吐く。
(でしょう、って当たり前だっての。咲百合先輩が百合以外の話題を話したことなんて一度もないじゃん)
昼休みの騒がしい廊下を咲百合先輩と並んで歩く。別に今話していたシーンの再現というわけでもなく昼食を食べる場所を探しているだけだ。ただし、部活動を行いながら。
「あ、ぼたんさん、ほらあそこ、中庭を見てください」
「はいはい」
言われた通りに窓から中庭を見る。そこには四人の女子が仲良くお弁当を食べていた。
「……お弁当食べてますね」
「そうではなくて、手前の二人をよーく見てなにか気付きませんか?」
「別に普通だと思いますけど」
「普通? いえいえ、あの二人は恋人同士ですよ」
「ほんとですかぁ?」
「えぇ。二人の距離が他の方よりも少しだけ近いでしょう? そして左側の女の子――彼女がたまに隣に向ける視線……あれは多分お弁当を作ってあげたんでしょうね。それを恋人が気に入ってくれたかどうかを気にしているんです」
「ぱっと見ただけでそんなとこまで分かるもんなんですかね」
「私には分かるんです! 貴女も感じませんか? この強烈な百合の芳香を」
「誰かのお弁当の匂いしかしませんね」
近くの教室からだろうか。その匂いにつられて私のお腹が小さく鳴いた。手に持ったお弁当一式の袋を見て嘆息する。私も早くご飯を食べたい。
「ぼたんさんも見ていてください。そろそろ『美味しいよ』と伝えるために合図をするはずですから」
その言葉から1分もしないうちに咲百合先輩の言う通りになった。お弁当を作ってもらったらしい女子が、談笑しながらお茶を飲むタイミングでこっそりと視線を送っていた女子の足に触れた。おそらく目の前からは見えづらい位置。けれど上から注意深く見ていた私達にはその意図するところまで分かってしまった。
「あ、ぼたんさん! 隣の子が体勢を変える振りをして手を握りましたよ! 友人たちとは普通に会話を続けながら! はぁぁぁぁ、イイ……すごくイイ……愛しい人への愛情とかいじらしさが伝わってきてえへへ……」
「……よだれ出てます」
「ご、ごめんなさい、つい……」
窓に張り付くようにして口元からよだれを垂らしていた咲百合先輩が我に返り居住まいを正す。
「こ、こほん、とりあえずあの子たちはちゃんと恋人同士なので私達が出る幕はないですね。見回りを続けましょう」
まだ続けるつもりなのか。早くご飯を食べないとお昼休みだってなくなってしまう。歩きだした咲百合先輩を追いかけて声を掛ける。
「あのー咲百合先輩、そろそろお昼にしません? いい加減お腹がすいちゃって」
「まったく、ぼたんさんは修行が足らないですよ。私なんて百合成分を摂取していれば三日三晩飲まず食わずでも平気です」
「さすがにそりゃ死にますって……」
「しょうがないですね。それじゃあ今日は食堂で食べましょうか。そこでまだ見ぬ百合の蕾を探しましょう」
意気揚々と進む咲百合先輩。その後ろでバレないように溜息を吐いた。なんで私はこんなことに付き合わされているのだろうか。
内心で愚痴ろうとしたとき、急に咲百合先輩が振り返ってきてどきりとする。
「ど、どうかしましたか?」
「ぼたんさん、咲百合先輩じゃなくて『お姉様』って呼んでくださいね」
「……はい、お姉様」
要望された通りに呼ぶと咲百合先輩はにこりと笑った。その本当に嬉しそうな顔は直視するのには少しばかりむずかゆくて、そっぽを向いて自分の後ろ髪を手で梳いた。
ふと指先が髪を結んでいたリボンに触れる。私の視界からは見えないけどその鮮やかな紅色はいつでも思い出せる。
このリボンこそが私と咲百合先輩の関係の始まりだった。
四月。咲き誇った桜の木々が彩る正門をくぐり、私はこの高校に入学した。新年度が始まり校内は活気に満ちあふれていたけどそれは新入生がやってきたからというだけではなかった。各部活が新入部員の確保を狙って毎日のように勧誘をしていたのだ。
運動が苦手な私はとりあえず文化系の部活で良さそうなものがないかを放課後に一人で見て回っていた。何故一人だったかというと、中学からの仲の良かった友達が誰もこの学校に来ていなかったからだ。もし友達が一緒だったなら咲百合先輩と出会っても今のような関係にはならなかったかもしれない。たらればを言っても仕方のないことだけど。
「ねぇ貴女、百合好きでしょう? 百合の芳香がぷんぷん匂ってきていますよ」
その人は何の前触れもなく私の目の前にやってきた。艶のある長い黒髪に端正な顔立ち。皺の無い制服はまったく着崩しておらず、凜とした佇まいは古き良き大和撫子を思わせる。リボンタイの色から一学年上の先輩であることだけ分かった。
「へ? な、なんですかいきなり」
いきなり見ず知らずの先輩、それもとびきりの美人に意味不明なことを言われて私は戸惑った。
「隠さなくてもいいんですよ。私には分かるんです。同じ百合を愛する者として」
「ゆ、百合って、お花の百合ですか?」
「女性同士の恋愛・友愛のことです。まぁ女性を花に例えるのならお花の百合というのもあながち間違いではありませんが」
この時点で私のこの先輩に対する認識は『ヤベーやつ』に変わっていた。
初対面で百合の話を持ちかけてくることもそうだけど、何より私の隠れ趣味である百合作品鑑賞を言い当てられたからだ。親にさえ秘密にしている嗜好を何故この人は知っているのか。
「えぇっと、すいませんけど今部活を見て回ってるので……」
私は逃亡を試みた。しかし回り込まれた。
「まぁなんて偶然でしょう! 私も新入部員を探していたんです!」
「そうですか。それじゃ」
「待って待って! 百合好きの貴女にぴったりの部活なんですよ」
「あんまり大きな声で百合好きとか言わないでもらえますか」
「何故ですか? 崇高で尊い素晴らしい趣味ではないですか」
「そう思わない人もいるんです」
「でしたら部室に行きましょう。そうしたら気兼ねなくお話できますよね」
半ば強引に腕を引かれてその部室へと連れていかれた。逃げようと思えば逃げられたけどそれをしなかったのは『百合好きの私にぴったり』な部活がなんなのかが気になったからだ。マンガ研究会とか文芸部あたりだろうか。
「さぁどうぞ、中へ入ってください」
到着したのは資料室と書かれた小さな部屋だった。視聴覚室の隣のこの部屋には棚が立ち並び、ファイルや映像の資料などがぎゅうぎゅうに収められていた。棚の奥の小さなスペースに折り畳みのパイプ椅子が見える。
「……ここ、本当に部室なんですか?」
「えぇ。正確には放課後に空いている部屋を使わせてもらってるだけですが」
資料室の奥へと進み、先輩が私にパイプ椅子を開き差し出してきた。その椅子に座ってから椅子が一脚しかないことに気が付いた。
「あ、先輩の椅子……」
「いいんですよ。今は貴女がお客様なんですから。また後で椅子は持って来ます」
笑顔でそう返されてはそれ以上何も言えなかった。
「自己紹介が送れてごめんなさい。私は百合成就遂行秘密組織、YSSBの部長を務めている二年一組の三枝咲百合と申します。貴女のお名前は?」
「私は……一年三組の深見ぼたん、です」
百合成就遂行秘密組織? YSSB? 意味の分からない単語が出てきた。うさんくささが半端ない。部活じゃなかったのか。質問しようとしたとき、先に咲百合先輩が話し始めた。
「ぼたんさんが百合を好きな理由ってなんですか?」
「好きな理由、ですか」
「例えば百合マンガや百合小説を読んだときに自分が感じていることを率直に教えてもらえませんか?」
頭に好きな作品を二つ三つ思い浮かべてみる。深く考えずに楽しんでいることが多いけど、感想を挙げるとするなら。
「……心臓のあたりがなんというかきゅっと縮んであたたかくなるような感じはたまにありますね」
人はそれを胸キュンや尊いと呼んだりするかもしれない。
咲百合先輩は表情を一層明るくさせた。
「そうでしょう! 百合というのは観ている人の心を充足させ、人生に光をもたらしてくれるんです!」
色んな意味でやばい先輩ではあるけど私の好きなものをここまで肯定してくれるのだけは嬉しい。
「ですので! この世界にいまだ咲くことの出来ていない百合の花を、私達で咲かせていこうではないですか!」
「……は?」
「誰もが自らの想いを相手に伝えて結ばれるとは限りません。それが同じ女の子であればなおさらです。そんな迷える乙女たちのお手伝いをするのが、百合好きである私達の使命なのです!」
「いやあの……」
「ぼたんさん、百合成就遂行秘密組織、百合は世界を救う部の一員として共に頑張りましょう」
Bだけ雑すぎない? 普通そういうのはクラブのCだと思うんだけど。
私が唖然としていると咲百合先輩が私の背後に回り込んでなにやらごそごそし始める。
「これはYSSBに入ってくれたお礼です」
(まだ入るなんて一言も言ってないのに)
私の心境など気にせず咲百合先輩が私の後ろ髪を手にすくい取り何かを結んだ。
「うん、すごく似合ってます」
手鏡を渡されて自分で見てみると髪に紅色の細いリボンが結び付けられていた。少し子供っぽいんじゃないかと思ったけど、手を合わせて満開の笑顔で喜んでいる咲百合先輩を見ると外すのも悪い気がしてくる。
(まぁやりたい部活も特にないし、この変な先輩に付き合ってあげよっかな)
それは八割が好奇心、もう二割は百合好きの仲間が欲しかったからという理由だけど。
「いまいち部活の内容は分からなかったですけど、とりあえずよろしくお願いします咲百合先輩」
「あ、ぼたんさん、これからは私のことは『お姉様』と呼んでください」
「はい?」
「エス、知りませんか?」
「えす? 何の略です?」
「知らないなら大丈夫です。それよりほら、『お姉様』と」
「はぁ……お姉様」
「あぁ――イイ」
恍惚の表情を浮かべて自分の世界に入った咲百合先輩を見て『早まったかな……』と内心独りごちる私であった。
百合成就遂行秘密組織、YSSBの活動は簡単に言えば片思いしている女の子(相手も女の子の場合に限る)を見つけてその恋の手助けをするというものだ。部《B》とついてはいるもののこんな部活が認められているわけもなく、咲百合先輩が勝手に名乗っているだけ。
つまり私達は頼まれていないのに人の恋路に首を突っ込んで善意という建前で世話を焼くヤベーやつらというわけだ。まったくもって迷惑極まりない。
『ごく自然な感じを装ってさりげなくお手伝いをするだけですので問題ありません』とは咲百合先輩の談。絶対問題ある。
そもそも百合女子をどうやって見つけるのかという話だけどそこは咲百合先輩の異常嗅覚(?)が百合的行為を検知して教えてくれる、らしい。私にはまったく分からないけどちょっとした会話やスキンシップから百合の芳香とやらを感じるのだという。視覚情報しかないのに感じるあたり単純な匂いというわけではないんだろうけど。……本当に人間か?
ちなみに咲百合先輩の百合に対する嗅覚がどのくらい優れているかというと、先日こういったことがあった。
昼休み、百合女子を探して校内を回っているときに教室の中で手作りのお菓子を友達に渡していた女子がいた。
「あ、あの人達とか百合っぽくないですか?」
私が指をさすと咲百合先輩は眉をひそめて一言「彼女たちは百合ではないです」。
「え、でも仲の良い女の子にお菓子を食べてもらうっていうのは結構百合ポイント高いと思いますけど」
「確かに、想いを告げている告げていないに関わらず、好きな人に手作りのお菓子をあげる行為は百合と言ってもいいでしょう。失敗してないかな、美味しいって言ってくれるかな、と心を一喜一憂させる様は私も涎が出ます」
「出さないでください」
「ですが、彼女たちの関係はそういった百合百合しいものではありません」
「根拠はあるんですか?」
「百合の芳香を私が感じないからです」
「はぁ」
「おそらくお菓子を作ってきた子は、彼氏もしくは親しい男子へプレゼントするために前もってお友達に味見をしてもらっているんです」
「そんなとこまで分かりますぅ?」
「あくまで私の予想です。ともかく、あの子たちは百合ではないので違うところへ行きましょう」
「……はい」
そのときは納得しなかったけど一週間後くらいにお菓子を作ってきていた女子が彼氏らしき男子と仲良く下校しているところを見て、『咲百合先輩はまじもんのヤベーやつだ』と思った。
私がYSSBに入って一カ月ほど経った。しかし目当ての片思い百合女子はいまだに見つけられずにいた。それというのも咲百合先輩の百合嗅覚は万能ではなかったからだ。
咲百合先輩が百合の芳香を感じるのは現在進行形かつ見える場所で百合的行為が行われているときだけ。普通にすれ違うだけではその人が百合女子なのかどうかさえ分からない。
放課後の資料室で二脚のパイプ椅子を突き合わせて会議をする。
「お昼休みと放課後に巡回するだけではやはり難しいのかもしれませんね……」
「まぁ行ける範囲決まってますし、タイミング合わなきゃどうしようもないですからねー。百合カップルならたまに見つけてますけど」
「仲睦まじい百合を眺めるのも大変素晴らしいのでそれはそれでいいのですが」
「覗きは良くないと思いますよ、お姉様ー」
「そ、そうですね、えぇっと、ぼたんさんは何か良い案はありますか?」
「良い案というか、単純に行く場所か時間を増やすしかないんじゃないですか? 他の部活動を見学に行くとか駅前で張り込むとか、あとは朝に正門あたりにいれば会話とか聞こえてくるし見つけられるんじゃないかと」
「朝は良い案ですね! それならたくさんの生徒を一度に見られます。ただ……」
咲百合先輩が表情を暗くした。
「なにか不都合でもあります?」
「……私、朝が苦手なんです」
「はいじゃあ明日は7時半に正門に集合ってことで、お疲れ様でしたー」
「あぁ、ぼたんさんひどい!」
なんだかんだで私が活動に積極的なのは結局、他人の恋愛事ほど面白いものはないということなのかもしれない。
翌朝、寝坊せずにちゃんと来た咲百合先輩と一緒に正門近くの植え込みに腰を降ろして登校してくる生徒たちを観察していた。
眠そうにしている人、朝からテンションが高い人、友達や恋人と仲良くお喋りをしている人……。
「どうですか、百合っぽい感じの人います?」
「うーん、今のところは匂いはしていないようですが」
「私にも見分けられたらいいんですけどね。何かコツとかあるんですか?」
「コツと言われても自然と分かるようになっていたのでなんとも」
「てことは、実際に百合に接しているうちにその独特の雰囲気に気付くようになった、とかですかね。少年マンガで修行するうちに相手の気を察知できるようになったみたいな」
「そう聞くとなんだか百合の達人になったみたいで嬉しいですね」
「百合の達人……? 秘孔を突いたら百合になる……?」
「外部から無理矢理百合を強要するのはその時点で百合ではありません。せめて、そうですね……最初はその気ではなかったのに告白されて、デートを重ねていくうちに『なんだろうこの感覚』と自身の違和感に気付き、やがてそれが恋愛感情であると確信して本当に結ばれる、という展開などは私の大好物です」
「咲百合先輩の好きなシチュ言っただけじゃん……」
「お姉様」
「あーはいはいお姉様お姉様」
「気持ちがこもってません。もっと尊敬の念をこめて呼ばないと私達の――」
咲百合先輩が途中で台詞を切った。その視線は今しがた正門をくぐってきた二人の女子生徒に向けられていた。
ウェーブのかかった明るい髪色の快活そうな女子と、その横を並んで歩くショートカットの黒髪のこれまた快活そうな女子。二人とも三年生だ。
「あの二人、ですか?」
私の問いかけに咲百合先輩が小さく頷いた。しかしその表情は固い。
「百合の芳香は確かに感じるのですが、普通に会話をしているだけのようですし具体的に何がどう百合なのかは分からないんです。恋人というわけではないようですが……後を追いましょう」
「はい」
咲百合先輩が二人を追いかけ、私もそれに続く。咲百合先輩が困惑しているのは気掛かりだけど恋人じゃないなら片思いの可能性だってある。
昇降口に行き、急いで自分たちの上履きに履き替えてから二人の所の戻ってみると、なにやら靴箱の前で立ち尽くしていた。先に隠れて覗いていた咲百合先輩に聞いてみる。
「なにかあったんですか?」
「どうやら靴箱にラブレターが入っていたらしいんです」
「ラブレター?」
このご時世にこれまた古風なものを。よく見てみたら確かにウェーブ髪の女子が手紙のようなものを持っている。耳をすますと二人の会話も聞こえてきた。
「これどうしよう」
「あたしに聞かれても。美緒はどうするつもり?」
「分かんない……返事くらいはしようと思うけど」
「ホント? 相手の名前すら書いてないのに?」
よく分からないけど揉めているようだ。
「……お姉様どうしま――」
このまま様子を見るべきか咲百合先輩に聞こうと思ったら隣から姿が消えていた。
(まさか)
再び靴箱の方を見ると、咲百合先輩が二人に軽い足取りで近づいていた。接触する気だ。
一瞬止めようか迷ったけど隠れて見ているだけでは進展がないのも事実。
(最悪、咲百合先輩に責任を押し付けて逃げよう)
ひどいことを考えながら私も後に続いた。
「すみません」
咲百合先輩が二人に話しかけた。声に反応して二人がこちらを向く。ウェーブ髪の女子は不審感を隠すことなく咲百合先輩と私を見やり呟いた。
「……なに?」
「私は二年一組の三枝咲百合と申します。実は今、靴箱内に不審な物を入れられる事件が何件か起こっていまして、生徒会から依頼を受けて調査をしているんです。よろしければそちらを拝見させていただいてもいいですか?」
真顔で嘘八百を並べ立てる咲百合先輩。私達は生徒会と関係もなければ生徒会がこんなことを調査するわけもない。しかし咲百合先輩の泰然とした雰囲気に惑わされたのか二人は疑問に思うことなく顔を見合わせて神妙な面持ちをする。
「不審、というか」
「ただのラブレターだと思うけどね」
そう言って咲百合先輩に手紙を渡す。横からそれを覗き込んだ。
『今岡美緒様
突然のお手紙すみません。どうしてもあなたに伝えたいことがあって書かせてもらいました。
あなたのことが好きです。
直接伝える勇気がなくてすみません。でも、本当に好きなんです。
いきなり付き合ってほしいなんてぜいたくは言いません。ただ、少しでも気に掛けてもらえるなら、お返事をもらえないでしょうか? 今岡さんの靴箱に入れていてくれれば受け取りますので。
気持ち悪いようでしたらこのまま破り捨ててください。すみません』
ラブレターというのはいかに自分が相手を好きかをアピールするものだと思っていたけど、内容はかなり控えめだった。差出人の名前もなければ会いたいとすら書かれていない。
しかし、差出人の性別は分かる。
「すごい丸文字。おね――咲百合先輩、多分これ書いたの女の子ですね」
人前でお姉様とは言いづらくて普通に呼んだ。それを分かってか咲百合先輩も特に言及してこない。
「そうですね。男子が似せて書いているという可能性もありますけど、だとすれば何らかの目的があるはずです。例えば呼び出して恥をかかせたいとか反応を見て楽しみたいとか」
言われて辺りを見回してみるが私達の様子を窺っている生徒はいなさそうだ。
「確認なのですが、イタズラをされるような相手というのに心当たりはありますか?」
「いや……ないと思う」
ウェーブ髪の女子、今岡先輩が顎に手を当てて答えた。ショートカット髪の女子もそれに頷く。
「うん、美緒は人から嫌われるような人間じゃないよ。クラスのみんなとも仲良いしさ。だからその手紙は単に美緒に気持ちを伝えたかっただけじゃないかな」
「では逆に、特別な好意を持たれていると思われる人に心当たりはありますか?」
「それは……」
二人がまた顔を見合わせる。やはりどちらも心当たりはないようだ。咲百合先輩が質問を続ける。
「筆跡に見覚えはありませんか?」
「んー、似たような字を書くクラスメイトは何人かいるけど、実際に比べてみないことにはなんとも」
「お二人の字とも違いますか?」
「違うよ。もしそうだったらすぐに気付くし。ねぇ友香?」
「そうだね。あたしたちはこんな可愛い字を使うガラじゃないよ」
「ヘタクソな字で悪かったね」
「誰も美緒だけなんて言ってないでしょ。あたしのもだよ」
二人が軽い言い合いを始めたとき、咲百合先輩の肩がぴくりと動いた。横顔を見ると驚いたように目を丸くしている。何かに気付いたのだろうか。
咲百合先輩が姿勢を正して恭しく申し出る。
「先輩方、この手紙の件私達に一任していただけないでしょうか。必ず差出人がどなたかをつきとめますので。もちろん他言は致しませんし、差出人が分かったならお二人だけにお教えします」
「……どうする友香?」
「まぁ探してくれるっていうなら頼んでもいいんじゃない? 美緒がよければ、だけど」
手紙を預かり二人と別れた後に廊下の端で咲百合先輩に尋ねる。
「必ずつきとめるって断言しちゃっていいんですか?」
「えぇ、おそらくそんなに難しいことではないですよ」
「もしかしてもう分かったとか――ってさすがにそれは」
「はい、おおよそは」
「分かったんですか!?」
「先程話しているときに百合の芳香が急に強くなりまして」
「あぁそういえばなんか驚いてましたね」
「そのときにあぁそういうことなんだな、と」
「マジですか。教えてくださいよ」
咲百合先輩が悠然と微笑を浮かべる。
「まぁまぁ、もう少し様子を見ましょう。その方が楽し――えぇと、いいと思います」
「ごまかすならもっとマシなごまかし方してくれませんかね……」
はぁ、と溜息を吐く。百合の成就がどうのと言いながら自分が楽しむためじゃないか。
それに付き合う時点で私も楽しんでいるんだろうけど。
今岡美緒、梅森友香。二人とも三年二組の生徒で、性格は明るくクラスメイトは男女問わず仲が良い。
昼休みも教室で複数人の女子とお昼ご飯を食べ、たまに机の近くを通りがかった男子とも親し気に会話をしている。その様子を廊下の壁にもたれて観察しながら隣の咲百合先輩に話しかける。
「あのクラスの人達の誰かが手紙の送り主なんですか?」
「かもしれませんねぇ」
さっきから色々聞いているのにこの調子で何も教えてくれない。咲百合先輩はひとり楽しそうに微笑を浮かべている。
「……不公平ですよ。送り主が分かったなら私にも教えてください」
「ぼたんさん、別に私達は探偵ではないんですよ。YSSBの目的を忘れたんですか?」
「片思いの百合を手伝って成就させるんですよね、分かってます」
「ならきちんとそれについて考えましょう。まずはそこからです」
と言われても。その目当ての片思いの人がどこにいるのか分からないのでは手伝いのしようがない。だったら手紙の主を探してその恋を手伝う方が手っ取り早い気がするんだけど。
(ん? 咲百合先輩が匂いを感じたのって手紙を見るより前だったよね? じゃあ何に反応したんだ?)
私の考えが形になる前に梅森先輩が教室から出てきた。手を軽くあげて咲百合先輩に話しかける。
「よっ、わざわざ三年の方まで来てもらって悪いね」
「いえ、こうやってクラスでの風景を観察することで見えてくるものもありますから」
「……何か分かったの?」
「すみません、まだなにも……。みなさん仲が良いので難しいですね」
「そうなんだよ。美緒って裏表ないしムードメーカーだしで人気あるんだよね」
「友香先輩は近くで見ていて何か気付いたことはありますか?」
「いや、あたしの方も全然。ラブレター出してたら多少は態度も変になるんじゃないかって見てたけどみんないつも通り」
「そうですか」
不意に梅森先輩が一歩私達の方に寄ってきた。背後の教室を窺いながら声のトーンを落とす。
「美緒の手前、差出人を探すのをお願いしたけどさ、正直あたしはそこまでして探す必要ないんじゃないかって思ってる。名前を書いてないってことは名乗りたくないってことだろうし、本当に告白するつもりがあるならそのうち出てくるだろうからさ。なんていうか、犯人探ししてるみたいでイヤなんだよね」
「……そうですね。ではもし相手がどなたか分かったなら先に友香先輩にお話ししてどうするべきか相談します」
「ありがと、そうしてくれると助かるよ」
梅森先輩は軽く微笑むと廊下を進んでいった。お手洗いか何かだろう。
それにしても差出人を探したくない、か。まぁ相手の意志を尊重するのなら無理に暴いたりせず、今岡先輩の対応に任せるのがいいんだろうけど。
少しすると今度は今岡先輩がやってきた。
「ねぇ、さっき友香となに話してたの?」
「クラスメイトの方々はいつも通りに見えるから差出人ではない可能性が高い、というのを話してくださいました」
咲百合先輩の受け答えに私の頬の筋肉がぴくぴく動く。
(ほんとこの人は顔色も変えずによくノータイムですらすら出てくるもんだ)
私と二人きりのときはあんなにポンコツでおかしな人なのに。
「そう……。もし友香が手紙の相手について何か言ってたら教えて。一人で突っ走っちゃうところがあるから心配なの」
「わかりました。そのときはすぐに美緒先輩にお伝えします」
「うん、よろしく」
今岡先輩も廊下の先に消えていった。
咲百合先輩が穏やかな表情で私を見ている。それはまるで生徒の回答を待つ先生のようだった。
あの手紙は誰が何の目的で送ったものか。確かに深く考えるまでもなく答えは最初から出ていたのかもしれない。
私は小さく息を吐いてから見返した。
「まぁ、私もだいたいは分かりましたよ。誰、と断言は出来ませんけど、『どっちか』ってことですよね」
その答えの正否を示すように、咲百合先輩が満面の笑みを浮かべた。
この話はミステリーでもサスペンスでもなく、少し怖がりだった女の子の告白話なのだ。片思いしていた子が、友達の女の子に好きだと伝えようとしただけ。
ただ一つその子にとって誤算だったのが、百合の匂いをかぎ分ける変態もとい大変すごい能力を持つ咲百合先輩に見つけられてしまったこと。
「ではこれより、第一回YSSB作戦会議を始めます!」
放課後の資料室。いつも以上にテンションの高い咲百合先輩が声高に宣言した。
「作戦もなにもあの手紙がどういうものか二人に伝えるだけでいいんじゃないですか?」
「それではダメです。私達で最高のシチュエーションをプロデュースしてあげなくては!」
なんか結婚コンサルタントみたいなことを言い出したぞこの人。
「で、具体的には何をするんです?」
「それを今から考えるんです」
「…………」
まぁここまで関わっておいてあっさり終わりさようならっていうのは薄情すぎる。それに好きな人と結ばれるのなら場所とタイミングにこだわりたいという気持ちもよく分かる。何故なら――私自身がそういう百合を見たいから。
「いいですよ、こうなりゃあの二人が喜ぶ最高の告白シーンを演出してあげようじゃないですか!」
「おぉ、ぼたんさんがいつになくやる気を……! 私も負けてはいられませんね」
「やっぱり告白っていうのは二人きりっていう状況が重要だと思うんです」
「そうですね。まずはそこをクリアしていきましょう」
咲百合先輩と案を出し合って計画を練った。
「せっかくだから手紙も利用して――」
「でしたら朝に――」
「連れてくる方法は――」
そうして日が沈むまで会議をした翌々日、作戦を決行することになった。
まず生徒がほとんどいない早朝に登校して準備を済ませ、靴箱の陰に隠れたまま今岡先輩たちがやってくるのを待った。
「来た……!」
仲良く話しながら歩いて来た二人はそれぞれ上履きに履き替えようと自分の靴箱を開けた。すると突然梅森先輩が固まった。怪訝そうに今岡先輩が尋ねる。
「友香どうかした?」
「美緒、これ……」
梅森先輩が取り出したのは封筒だった。躊躇いがちに開封して中の手紙を黙読する二人。読み進めるごとに二人の目が驚愕に開かれていった。
ここで私達の登場だ。
「美緒先輩、友香先輩、おはようございます。……あれ、どうかされましたか?」
相変わらずのすっとぼけっぷりである。梅森先輩が引きつった笑みを浮かべて手紙を差し出してきた。
「あはは、今度はあたしが告白されちゃったよ……」
「……なるほど、筆跡が違いますから美緒先輩の手紙の方とは別の方ですね」
綺麗な楷書体で書かれたその手紙は梅森先輩への恋心を綴るとともに、放課後に会いたい旨が記載されていた。そして最後に『Sより』と差出人のイニシャルが書かれていた。
「会った方がいいのかな?」
不安そうな呟きに咲百合先輩が頷く。
「私は会った方がいいと思います。おそらく勇気を振り絞ってこの手紙を書いたはずですので、断るとしても一目会ってあげるのがせめてもの誠意ではないかと」
「……そうだね。じゃあ直接会って話すことにするよ」
咲百合先輩たちが話している間にちらと今岡先輩の方を窺うと、黙って手紙を見つめたまま顔を青くしていた。
これで全ての準備は整った。あとは放課後になるのを待つだけだ。
放課後、その人物は周囲を気にしながら資料室の前にやってきた。背中からでも緊張しているのが伝わってくる。
咲百合先輩と私はそっと近づき声を掛けた。
「美緒先輩」
「ぅっひ!?」
跳びはねた今岡先輩が私達を認めてほっと息を吐く。
「お、驚かさないでよ」
「どうかされたんですか? こんなところで」
「べ、別になんとなく立ち寄っただけだけど?」
表情も台詞も今岡先輩の焦りを存分に表していた。
私はにこやかに会話を続ける。
「偶然ですねー、実はこの部屋私達の部室なんですよー」
「部室? ここが?」
「はいー。あ、せっかくなら寄っていきます? いいですよね、咲百合先輩」
「もちろんです。たいしたおもてなしは出来ませんが、美緒先輩がよければ是非」
「え、いや、今はまずいでしょ」
「さぁさぁ中へどぞどぞー」
「ちょっ、押さないでよ! ちょっと!!」
咲百合先輩が資料室の引き戸を開け、私が無理矢理今岡先輩を中へ押し込んだ。すぐに引き戸とカギを閉めて(カギは中から開けられるのであまり意味はないけど)、急いで横の視聴覚室に入り資料室と繋がるドアをこっそり開いて覗き込む。
ちょうど梅森先輩が今岡先輩と対峙しているところだった。
「美緒……? なんでここに?」
表情はよく見えないがかなり驚いている。
「あー、えっと、気付いたら部屋の前にいて無理矢理押し込められて……そ、そんなことより友香ひとり? 手紙出してきた相手とはもう会ったの?」
「いや、居なかったよ」
「イタズラだったってこと?」
「……どうなんだろう。あたしがここに来たとき椅子の上にこの手紙が置いてあったんだ」
梅森先輩が手紙を渡す。それに目を通した今岡先輩が息を飲んだ。
手紙の内容はこうだ。
『親愛なる先輩へ
これから貴女のことを本当に好きな人がやってきます。それはきっと、貴女が本当に好きな人と同じ人です。
どうか、ご自分の気持ちをごまかさず伝えてください。
騙す形になってしまい申し訳ありませんでした。YSSB部長 Sより』
私と咲百合先輩とで考えた作戦は至極単純なもので。ニセのラブレターで資料室に呼び出して二人きりにし、更に手紙で追い打ちをして告白をさせる。
どっちが最初にラブレターを出したかはどうでもいいのだ。名前を書かずただ友人に想いを伝えようとしただけなのか、自作自演の手紙を仕込んで友人の反応をみようとしたのか、それはもうどっちでもいい。だって、どちらも相手のことが好きだったのだから。両思いの片思い。
「美緒、その、そこに書いてあることなんだけど」
「うん」
「本当だったら、すごく嬉しい」
「……私も」
その瞬間、形容しがたい高揚が私を包み込んだ。それは喜びと表現するにはあまりにも尊くて。女の子同士が想いを通わせることの素晴らしさを改めて私に教えてくれた。
今岡先輩たちは体を密着させてなにか小さな声で二言三言囁きあって、そしてゆっくりと唇を近づけていき――。
「行きましょう、咲百合先輩」
ドアを静かに閉めた。
「えぇっ!? 一番イイ所ですよ!?」
「覗きはダメだって言いましたよね、お姉様」
「告白した流れからのキスは最高だってぼたんさんも知ってるくせに……」
「百合カップルの邪魔をするのがどれだけ無粋かも知ってますよね」
「……はぁい」
「ほら、私達は先に帰りましょう」
今日はもうYSSBの活動は終わりだ。あの狭い部室は今だけは恋人たちに渡してあげよう。
「ぼたんさん……そうしたいのはやまやまなんですが、資料室の鍵を持ってるの私なので帰れないです……」
「…………」
最後の最後で締まりは悪かったが、とにもかくにもこれにて一件落着。記念すべきYSSBの初任務は大成功に終わった。
「やっぱり恋が成就する瞬間というのは良いですよね。心があたたかくなるというか感無量というか……思い出すだけでよだれが出そうです」
咲百合先輩がほくほく顔でクッキーをつまみ、口へと運んだ。
「私も実際にその瞬間を見たのは初めてだったんですけど、なんというか自分のこと以上に嬉しかったです。計画をたてた甲斐がありましたよ」
私も同じようにクッキーを食べる。バターの風味が効いていて美味しい。
翌日の放課後、いつもの狭い資料室でパイプ椅子に座って咲百合先輩と百合談義に花を咲かせていた。
「ぼたんさんにもYSSBの素晴らしさが分かったようですね。やはり百合は世界を救うんです!」
「まぁいっこだけ根本的なことを言わせてもらうと」
「なんですか?」
「別に私達が関わらなくてもそのうち恋人になってましたよね? あの二人」
「…………」
咲百合先輩が視線を逸らしてクッキーを食べ進める。都合が悪くなったらすぐこれだ。やれやれと息を吐くと咲百合先輩が頬を膨らませた。
「結果的には最高の告白になったんですからいいんですー。そんなこと言うぼたんさんはこのクッキー食べなくていいですよー」
目の前にあるクッキー缶は今日のお昼休みに今岡先輩たちが持ってきてくれたものだ。諸々のお礼として。
「あぁ食べます食べます、いやー大団円に終わったのもひとえに私達の活動あってですもんねー」
実際感謝はされたんだからそこまで気にすることはないのかもしれない。肩を並べてどこか恥ずかしそうにしながら言われた『ありがとう』は、確かに私の心に響いてきた。善意の押し売りには違いないけど、喜んでくれたなら押し売りをした甲斐があったというものだ。
クッキー缶に手を伸ばしながらふと疑問が湧いてきた。
「そういえば、なんで最初に今岡先輩たちを見たときに変な感じがしてたんですかね。お互いに片思いだったからですか?」
「うーん、多分ですけど手紙を仕込んで緊張していたからではないでしょうか。そのドキドキとか不安が表情や歩き方から伝わってきて、百合なのに一見すると分からないという状況になったのだと思います」
「お姉様自身が理解できてないのに百合だって分かるとか、なんかもうエスパーじみてますね」
「大丈夫ですよ、ぼたんさんもいつか分かるようになれますから」
「いや私は人間辞めたくないので遠慮しときます」
「もしかしてあれですか? 百合は心理描写より直接的なコミュニケーションの方が好みですか?」
「誰もそうは言ってないです。どっちも好きです」
「私もなんですよ~」
にこにことクッキーをほおばる咲百合先輩。その姿が無邪気で無防備で、少しだけいじわるをしてやりたくなった。
「……でもお姉様は遠回しな愛情表現が好きですよね?」
「え?」
「例えば、戦前の女学生の間で流行っていた『エス』という文化を真似して、私にお姉様と呼ばせたりとか」
「ぼたんさんも『エス』を知っていたんですか? 百合好きの女の子なら一度は憧れますよね」
「軽く調べただけですよ。同じような設定の百合は見たことありましたし」
sisterの頭文字からそう呼ばれる『エス(またはシス)』は主に女学生同士の恋愛や友愛を指す言葉だ。かつては女学校に通う生徒たちを取り扱った小説の登場によって日本中に広まった。
「『エス』では上級生の女子が新入生の女子を見染めると、リボンを送ることでその新入生の気持ちを確かめたりするそうですね。髪に結べば無事エスの関係が成立する、と。特に燃えるような紅のリボンなんかが好まれたそうです」
私の髪を結んでいる紅色のリボンに触れる。最初に会った日に咲百合先輩がくれたものだ。
「全部ただの真似事だったんですか? それとも――」
私への好意をそこに込めていたのか。
問いただそうとしたとき、咲百合先輩が大きなあくびをした。
「ふぁ……ごめんなさい、最近早起きだったでしょう? 寝不足で眠いんです」
そのまま窓枠に腕と頭を乗せて目をつむってしまった。当たり前だけど会話の最中にこんなことをするような人じゃない。
思わず素のトーンで呟く。
「……咲百合先輩、ごまかすのヘタ過ぎません?」
「ごまかすのがヘタなのは、元からごまかそうと思ってないから、とは考えられませんか?」
「――え」
聞き返しても一定のリズムですぅすぅと寝息が返ってくるだけで、咲百合先輩は何も反応しなくなってしまった。
その可憐な寝顔を見つめながら今聞こえた言葉を頭の中で繰り返す。そのとき突然胸の内側のあたりがトクンと跳ねた気がした。
それがなんなのかは私には分からない。ただそのとき、かすかに甘い百合の匂いがした。
終
pixivの第二回百合文芸コンテスト応募作品。
人の百合を手伝う、といういつもとは少し違ったテイストです。
昔ハマった小説にかなり影響を受けてたりします。