二 ハラヒ給え、キヨメ給え
少し力を取り戻したコアイは、屋敷へ戻っていく。最早誰が名付けたかも覚えていないが、過去には「ドロッティンゴルム」と呼ばれていた屋敷。今は、「遺跡」と呼ばれているらしい屋敷。
昔ここには、人間を含む多くの種族が訪れた。あるときはコアイに助力を乞い、あるときは赦しを願い、あるときは貢ぎ物を捧げるために。
しかし何れの場合においても、彼女は好き勝手に振る舞った。
あるときは、援軍を求め訪れた使者の素振りが気に食わぬというだけで、その使者が属する部族を一夜で滅ぼしてしまった。
あるときは、盗賊が売りに持ち込んだ宝玉を突然叩き割り、その砕け散る様がとても美しかったと言って返礼に屋敷の財物の殆どを渡してしまった。そしてその後に訪れた、宝玉の本来の持ち主と名乗り返還を申し出た者を「心魂醜いお前には過ぎた宝、過ぎた言」と叩き殺してしまった。
無論、人智を超えた災厄が如き暴威を誇り、それを躊躇なく振りかざす彼女に逆らえる者は極僅かであった。またそんな気骨の持ち主も殆どが彼女に敗れ、大抵はそのまま命を散らした。
多かれ少なかれ好みはあれど、彼女はいつも気儘で、我が儘で……その点においては、彼女は何も変わらぬままこの世界に再現されたというべきであろう。
しかし一点だけ、彼女は変わっていた。以前の彼女は財物や技術、学問に興味を持つことはあっても、他者の容姿を愛でること、ましてや他者の人格に心惹かれることなど決して無かった。「魔王コアイ」がこの世界に君臨した数百年の間に、そのような例は決して無かった。
されど今、彼女が求めるものは。
コアイは屋敷へ一歩踏み入ったところで、招かれざる客たちの訪れを感じ取っていた。数人分は魔力を感じる、それらに加えて彼らより魔力の弱い者が同行しているかもしれない。とはいえ、接近しなければ感じ取れない程度の実力でしかないことも確かであった。
何の障害にもならぬ、ただ面倒なだけの、つまらない存在。
けれども、今のコアイにとっては予め排除しなければならない存在でもあった。異神召喚を行う際に自ら他者を排撃することは難しく、また召喚の際召喚陣は全く無防備で、他者の干渉により簡単に術式を乱される。術式を乱された場合、意図せぬ存在が召喚されてしまうことや、目的とする存在の霊体や肉体、精神体のうち何れかが欠けた不満足な状態で召喚されてしまうことがある。
再び、確実にあの娘を……三位を満足して喚び出すためには、召喚術に干渉しうる存在があってはならないのだ。コアイは自然に、三位を満足させる必要があり、またそれが当然だと悟っていた。
コアイは闖入者たちを探し当て、排除せんと屋敷を歩き回る。すると声が聞こえた。
「おーい、こっちに来てくれ!」
「どうしたー?」
「窓枠が破られている、それも内側からだ!」
闖入者の一団の声は、寝室の辺りから聞こえた。窓枠……寝室の埃を風の魔術で払った時、か。
足音が前方から聞こえ、また側方や後方からは聞こえないことを確認してから、コアイは徐に寝室へと歩き出す。闖入者たちを先に寝室へ集めさせ、そこでまとめて潰すのが良いという考えだ。
「ふむう、この破れ方は確かに内側からだな」
「なあ、ごめんけどそれ何か意味あんのか? 俺でも分かるように説明してくれよ」
「はぁ……人に聞く前に少しは頭を使え、だからお前はいつまで経っても馬鹿なんだ」
「あ゛? そろそろグーで殴るぞこのヤロウ」
「まあまあ、バカでもいいじゃないの幸せなら」
コアイは寝室の近くで一旦立ち止まった。部屋の先に、感じ取れる魔力がいくつかと、それ以外から発せられた声がいくつか感じられる。部屋以外からは、何も感じられない。
とりあえず部屋の者たちを片付けてみよう、コアイはそう考え寝室へ進む。
「私の屋敷に何用だ、下郎共よ」
コアイは目に入った闖入者たちに、声をかけてみる。
「誰だい? 俺らは村長に頼まれて来たモンだが」
「おい、不用意なことを言うな馬鹿」
「な゛っ! だれがバカだよ!?」
数人の、やや緊張感に欠けた者たちが集っていた。
「……さっさと立ち去れ」
強い苛立ちを覚えたコアイは炎を想起すると同時に魔力を練り込み、雑じったそれらを部屋に放つ。
「む、まずい!!」
「うぐぅっ!?」
「ア゛ッ!」
「焼け焦げよ、凡俗」
コアイは魔力を高める。炎は更に熱く、寝室を駆け巡る。
もう悲鳴すら聞こえない。
闖入者たちと思しき魔力が全て消え失せたことを確認したコアイは、寝室を覗き込む。そこには燻る火種と、焼け焦げた肉と脂の臭いだけがあった。
……しまった、用いる術を誤ったな。
闖入者どころか寝具、家財道具まで焼いてしまったようだ。まあ、不愉快だったから致し方ない。この辺りには誰かしら住んでいるようだから、後日彼らに作らせればよい。それよりも今は、召喚の障害となる闖入者を除けたことを喜ぼう。
邪魔者は居ない、もうすぐだ。コアイの心は躍る。
もう一度、あの娘を喚べる────コアイの心は躍る。