十一 淡い想い、フカイ思い
「あなたは……?」
何かに反応したかのような動きで振り返り、コアイを見た女。
コアイには、特に相手をする気は湧かなかった。
現代において、コアイが常時感じている、感じられる魔力だけが人間の実力を示すわけではないらしい。だが魔力を感じていない時点では、それは無いも同然である。
己の名を知る者とはいえ、コアイはあまり興味を持たなかった。
「あなたの、お名前は?」
コアイは声掛けを無視して立ち去ろうとしたが、女はそれを遮るように歩み寄ってきた。
「わ、私は、北西のラトゥール出身の、アニックと言います。あなたは?」
「……私は」
そのやや堅さのある自己紹介は、コアイの脳裏にスノウとの触れ合いを思い起こさせた。
………………
「ワ、私はまゆむら……」
「いやそなた、さっきは確かまゆむらゆんぐむっっ」
「あっあはっ、そうね、あたしは、ええっと……その……スノウっていいます」
「これから悪いことしようって人が、気軽に本名名乗っちゃダメでしょ~」
………………
私の目的が「悪いこと」か否か、私には良く解らない。けれどあの時の彼女は、どこか楽しそうだった。
あの時の彼女の手のあたたかさと、私の口元から頭、そして胸へと伝わった熱……それらは、今も覚えている。
彼女が楽しめることなら、私も肖ってみよう。
「……私は、スノウと言う。東から来た」
咄嗟にコアイの口が繕ったのは、彼女の名だった。
「そう、ですか」
「で、私に何用だ」
「あ、すみません、特には……」
「……面倒な」
コアイはそれ以上話さず、女を押し退けて歩き出す。
しかしコアイの胸中にあったのは、女への不快感ではなかった。コアイは、久方ぶりに彼女の名を口にしたことで……微かな心地好さを感じていた。
「そういや募兵の受付ってどこだっけ、てんいん? があるらしいから急げって話だったよな」
「それを言うなら定員だろ……北門の守衛詰所のはずだ」
「だってよ、早く行こうぜアニー」
「あっ待ってえ」
そんな会話を背にしながら、コアイは城市の外郭へ向かった。
どうやら今回は、気付かれなかったらしい。
しかし。
コアイは、彼女がくれたあたたかさに包まれて失念していた。少し懐かしい魔力の匂いが、間近に在ることを。
コアイは城門を出て、外に繋いである馬を取りに向かった。
その途上。
「……あ、あっ……」
高く上ずった声が側方から聞こえた。
コアイは声の聞こえた方向に意識を向ける。すると人の気配と微かな話声が感じられた。
「……しました、隊……?」
「あ……顔、あの……い、アイツ……」
「隙間……える、あの美し…………すか?」
「……襲よ、兵……達に合…………反……アイが、すぐそこにいる!」
「てっ敵襲! 敵襲だあっッ!!」
「兵は集まれ! 他の者はすぐに逃げろ!」
突然張り上げられた兵士達の声と、何かの合図らしき甲高い音が人間達に急を告げる。
「敵襲!? 敵襲だって?」
「聞いてねえぞそんなの!?」
「反逆者だ! 反逆者コアイが攻めてきてんだ!!」
「そんなバカな!?」
「魔術兵、緊急の狼煙を揚げろ!」
コアイは人間達の起こす喧騒の中を、悠然と歩いている。
騒がしいここは、言うまでもなくコアイにとっての『聖域』ではない。
再び『聖域』に浸かるためには、先ず彼等の力を削ぎ、或いは反攻の意志を潰すべきだとコアイは理解している。
コアイは一先ず、「集まれ」という声がしたほうへ進んでみる。
するとそこには、先日タラス城を攻め取った際に闘った女魔術士がいた。
「さて、どうしようかねぇ……」
「戦うしかないでしょう? 隊長」
「実はアレ、アタシも敵わない相手でね……アンタじゃ手も足も出やしないよ」
「そうは言っても、時間稼ぎくらいはせねばならんでしょうて」
女魔術士は兵士らしき男と言葉を交わしていた。
そういえば、この女……縛り上げるだけ縛り上げて、すっかり忘れていた。
コアイはとりあえず、様子を見ている。二人は互いに顔を向け、視線を合わせていた。
「隊長……最期くらい、付き合ってくれませんか」
「……いいのかい? 最期の相棒がアタシで」
「隊長と二人でなら、それは喜んで」
「……そっか、ありがと」
会話を終えた男が一人、コアイを見据えながら歩み寄ってきた。その姿は隙だらけで、備えた魔力もけして豊かではない。
「大逆の罪人コアイよ、弁明したき儀はあるか? あれば聞いてやるぞ」
兵士らしき男は、芝居がかった尊大な物言いでコアイへ問いかける。
「時間を稼ぎたいならそう言え、待ってやる」
コアイは鼻で笑いつつ問いを受け流す。
「……いや、やっぱダメだ」
女魔術士が俯きながら零した一言が、コアイの耳にも届いた。
「え?」
「アタシなんかにそんなこと言ってくれるヤツを、こんなとこで死なせられるかバカヤロウ」
コアイは、女魔術士の魔力が高まるのを感じた。
「アンタは逃げ……部隊のヤツらをまとめて撤退しな。命令だ」
いつの間にか女魔術士は、男に近付きその肩を掴んでいた。
「や、今さらそんな」
「風よ吹けよ、花よ舞えよ」
「猛り狂う嵐の、その暴届かぬ園庭へ」
「『朔風』!!」
「え、な……おわーーーーっ!?」
「…………さよなら」
男が南側へ吹き飛ばされるのを見ながら、女魔術士は足元に一粒の雫を落とした。
「用は済んだか?」
始終を一通り見ていたコアイは、どこか物憂げな心地になりながら身構えようとした。
その時、コアイの耳、いやコアイの意識に不可解な声が割り込んできた。
「ああっ、いい! たまんない!」
「見つめあう眼! 触れあう身体! されどすれ違う心と心!」
「やっぱり人間って、可愛い!! 美しい!! 愛おしい!!」
コアイは何故か、その声に激しい拒絶感を催していた。
それは、言わば一個の生命としての、絶対的な拒絶。
コアイは、その存在自体への根源的な嫌悪を感じて、心身が震えた。
だが、その嫌厭と激情がもたらす戦慄さえも……コアイにはどこか懐かしかった。




