四 サイショの触れ合い
「ん~……なにこれ?」
高い声。
「……はじめまして」
「んえ? ここどこ~?」
彼女は身を起こした。そして私の反対側へ顔を向ける。
「私の屋敷、のはずだ」
「あ、どうもおじゃまひてまう」
彼女は辺りを少し見回した後、こちらへ向き直った。その顔は脱力しているように見える。
「あぁ……アッタマ痛~……」
彼女はそう言い残し、再び倒れこもうとした。その動きには、意思も力もこもっていないように感じた。
不味い、その体勢では額を床に打ちつけてしまう。
そう思った時には、手が出ていた。
私の手の、甲には石の固く少し冷たい感触が……掌には額と髪らしき毛の温かい感触が伝わる。また、毛の触り心地がとても面白い。すべすべと抵抗感の薄い触感。
昔どこかで、これに似た手触りの織物に触れた覚えがある。人間の貢ぎ物だっただろうか。
しかし、それよりも手を除けられないのが困った。
彼女は再び眠ってしまったようだ、規則正しく寝息を立てているのが掌に伝わってくる。それを妨げたくないと、私は思ってしまっている。
面倒なら手など除ければいいだろう、そもそも何故手を出したのだ。
……何故だろうか? わからない。
だが、彼女の眠る姿を見ていると、とりあえずはこれで良いと思えてくる。このまま、安らかに過ごさせてやろうと思えてくる。
そう思えているうちは、その声に従うことにした。
気が付くと、辺りが少し白みかけている。そろそろ夜が明けるようだ。
「……んむ……」
瞼の奥に少し光が入ったのだろうか、彼女の寝息が崩れた。
彼女は寝返りを打とうとしたのか、体をよじる。私の手に、彼女の髪がサワサワとまとわりついてくすぐったい。
そういえば、手袋をどこかへ放っていたのか。平時に手袋を身に着けぬなどは我ながら少しはしたないが、それ故にこの感触を味わえたのだろうから良しとしよう。
「ハッ!?」
突然彼女が起き上がり、髪がさらさらと手を離れていった。
「い、今何時!?」
「ん? いまなんじ、とは」
言葉の意味が解らない。
私の『異神召喚』は便利なもので、喚び出された者が何らかの言語を用いられる者であれば、その言語を我々の言語と互換させる作用があるらしい。しかし、互いに認識できている事柄でなければ、その意義は伝わらないらしい。
昔、火を使うことすら知らぬ者を召喚してしまった時には苦労した。特に、着衣を嫌い、夏でもないのに公衆の面前で平然と肌を曝す姿には辟易したものだ。
もともと彼には着衣という発想自体が無かった、結局それを理解させることはできず、体罰を与えて着衣を強いることしかできなかった。
確かに、蒼魔族などには腰巻くらいしか身に着けぬ野蛮な男もいたが……あれ等も私には不愉快だった。
……そういえば、あの者は何時からか見掛けなくなった。どんな顛末だったかもよく覚えていない。特に強くも賢くもなかったし、あまり興味が湧かなかったというのもあるが。
「……~い」
「お~い、メットのおにーさん」
「ん」
「今何時? つかここどこだっけ?」
彼女から次々と言葉が投げかけられ、そのうちの端々に理解できない部分がある。
「何時? どこ? おにーさんは誰? つかなんで部屋の中でメットしてんの」
矢継ぎ早に語りかけられ、理解できない単語が増えていく。人間の作った楽器? のように高く澄んだ彼女の声を愉しむ、そんな余裕はない。
私は手を叩きながら語りかける。
「一旦落ち着きなさい、一つずつ話そう」
「あっはい」
彼女は素直に落ち着いて、一旦口を止めてくれた。
彼女の眼は私の顔を向いている。私は彼女の顔を確かめる。やはり外見的には、人間か緋魔族のようだがそれは問題でない。
軽い気持ちで凝視すると魅入られてしまいそうな、魔力を秘めたような…!澄んだ、艶々とした黒い瞳。丸々と、はっきりとした目。
これらが、とても強く私に印象を与えてくる。もし強い魔力の持ち主であれば、瞳を覗かないよう注意すべきなのだが……視線を引き寄せられるような何かを感じる。
もしかしたら、既に……
「……のー、あのさ〜、こっちは待ってんだけど」
「あ、済まない」
彼女の目に意識が向いてしまっていた。
「ところで、いまなんじ、とは?」
「え、何言ってんの? 時間よ時間」
「時間……? 夜明け前、だな」
彼女は怪訝そうな顔をする。
「ま、まだあわてるような時間じゃないか~。んじゃ、ここはどこ?」
「私の屋敷、ドロッティンゴルム……だったのだが今はよく分からぬ。先に会った者は、遺跡などと言っていたか」
「は? なにそれ? ええっと……ここは東京、日本だよね?」
「トーキョー? にほん? とは一体?」
会話はできているが、お互い理解はできていないようだ。彼女の額に汗が浮かぶ。
「じ、冗談だよね? それとも夢?」
「冗談を言ったつもりはないし、私は夢ではないと思っている」
夢だというには、はっきりと好ましすぎる。
「ベタだけど……強めにほっぺつねってみてよ」
彼女は横顔を近づけてきた。私はそこに手を差し出し、少しだけ膨らんだ彼女の頬を抓んだ。
「っいだだだだだギブギブギブ」
頬は柔らかく、気持ちがよかった。
声は痛々しく、気持ちがよかった。