十一 ハレの日々終わるとき
「プレスター団が……帰った……」
領主の男は呆然と、窓の辺りを見つめながら呟く。
「毎月金貨三十枚も払って、有事の優先出動を保証させていたというのに……」
「さ、三十枚って……」
「高いだろ? それも、出動の諸経費や報酬は別計算で、だ……それが、何の役にも立たんとは」
「それで、他にあるのか? 今お前が助かるであろう手立ては」
まだ納得しないのか、とコアイは少し呆れながら問いかける。
男は応えない。答えられないのかもしれないが。
「これで、財物ごと城を明け渡せるな」
男はただ歯噛みする。それを見たコアイは男の背で丸まった手から、無事な指を一本摘まみ出す。
「……ま、待っ」
一拍ほど置いて、男の上ずった声が漏れた。しかし何かを察したらしい男の、返答は待たない。
「あ゛あ゛ああぁ!」
指を捩り折られた男の悲鳴が響く。
「早く決めたらどうだ」
「ぐっ、うぅ……」
苦痛か、執着か、何が男を唸らせているかは明確でなかったが……この時、態度が変わった。
「本当に、逆らわねば命は取らぬのだな?」
「くどい、私はお前の命に興味がない」
「兵士たちや、その家族の扱いは」
「素直に退去すれば殺しはせぬ」
「…………分かった、城を譲り渡そう」
漸く、男は決断したらしい。
「人間達を集めて宣言せよ、不満を垂れる者が出ぬように」
「明日の昼刻までに退去させる、それで良いか?」
コアイが窓の外を見ると、既に大の月は姿を隠し、空は夜明け前の色を示していた。
「昼か。いいだろう」
「では、兵を集め伝達する……」
「正面の入り口は壊してある、他の出入り口へ案内しろ」
コアイは男に先導させ、階下の隠し通路から塔の外へ出た。
「えっと、私は……?」
「待つも去るも、好きにしろ」
「皆のもの、ご苦労。これより指示を与えるゆえ、各班の者らに急ぎ伝えよ」
集まった十数人の兵士達に、領主が声をかける。
「この城は、この……この方に、落とされた。我々は城をこのまま譲ることを条件に、助命された」
「そんな……」
「いや、予感はしてたさ。俺たちゃ手も足も出なかったんだから」
「そんなに、酷いのか?」
「いや、兵士も城壁もほとんど無事だ」
「えっ? どういうことだ」
「僕もあいつの動きを見ましたが、僕らは相手にもされてなかったのかもしれません」
「静粛に!」
コアイは元領主が指示を下す様子を眺めている。
「今後だが、私は北東に向かいエミール伯を頼るつもりだ」
元領主がチラリとコアイを見た。
「昼刻までに退去するよう要求されている。私に従いたい者は付いてこい、共に行こう」
「エミールか……」
「あまり気は進まんな」
「どうしてですか?」
「ちょっと不安なことがあるのさ」
「でしたら、なるべく大勢で集まっていたほうが安心ではないですか?」
「静粛に!! 話を聞かんか!?」
あまり統率力のない主君だったのだろうか、それは良いが早く話を進めてもらいたいものだ。
コアイは既に退屈だった。
「他の土地へ行きたい者は好きにしろ、止めはせぬ。命が惜しくば、とにかくこの城からは出ていくのだ」
「……以上だ!」
元領主は、最後に少し語気を強めた。
「エミールか……あそこの乾酪がうまいんだよな」
「いいですね、僕は特にアーロルが好きです」
「えっ嘘だろあんなの」
「今そんな話はいい、で……どうする? 領主殿に従いて行くか?」
「俺は一旦嫁と相談してみるが……もし別に当てがあって、そっちに動きたいってんなら……お前がまとめろよ」
「なぜ俺なのさ」
「ここの兵長……いや騎士殿含めてもお前が一番頭がいいし、人をまとめるのも上手い。俺はそう思ってる」
「いつまでしゃべっているのだ、散会せよ!」
「……とりあえず、皆がちゃんと動くように話を拡げよう」
「そうですね、見てない人たちにもあいつの怖さを広めないと」
「ああ、じゃあまた後でな」
カゼス? アーロル? 後で詳しそうな者に訊いてみようか……
聞き覚えのない言葉に、コアイの心が少し動いた。
兵士達が城下に散った後、コアイは屋敷で身支度を指示する元領主を監視していた。
「財貨を持ち出してはいないだろうな」
「荷物は屋敷の前にまとめさせる、気になるならそこで確認してくれ」
何か……忘れているような。
暫くして、屋敷の前に荷が集まりだした。コアイは気の向くままにそれらを検分し、金目の物が含まれていないことを概ね確認していた。
すると突然、老成した口調の男が声を掛けてきた。
「失礼。貴方が、「コアイ」を名乗る旅人……ですな?」
「……名乗る? 名乗るも何も、私はコアイ」
コアイは返答しながら、男の側へ顔を向ける。すると三人の翠魔族の姿があった。前方に痩せた初老の男と、中性的な顔立ちの者が横並びに立っている。
「私はこの辺りで商いを営んでおります、ソディ・ヤーリットと申す者です。横に居るのが孫……孫のリュカ、後ろはアクド・ワンと申します」
そして二人の斜め後ろに控えるような位置に居た大柄な男は、よく見ると昨日会った酒場の主だった。
「フフ、やっぱりやってくれたな、アンタ」




