九 いのちのサガク
「我等二人、領地擾乱の疑いにより幽閉……といったところかな」
老人はくつくつと笑っている。
「貴公といいあの女といい、奇妙な……面白い魔術を使うのだな」
コアイは先程通り抜けたはずの壁に触れながら、思ったままの素直な賛辞を述べていた。
コアイが君臨していた頃、このような技巧的な魔術を編み出すのは専ら翠魔族であった。それに比べたら、当時の人間達が編む術式など児戯でしかなかった。
しかしこの城で見た魔術は、けしてそれに引けを取らない。人間でありながら、大した技量だと感心していた。
無論、彼等とコアイの間には、その創意工夫を容易く吹き飛ばしてしまう魔力量の差があるのだが。
「見事だ」
「お褒めいただき光栄だが、そろそろ本題に入ろうか」
「ここから先に進めば、ジェイムズ様がお休みであろう。だが先への通路を開けられるのは私だけだ、先程入口を開いたのと同様にな」
「しかしだ、私が生きて入口を、若しくは出口を、何れも開くことはない」
老人は滔々と状況を語る。
「術者が死んでも消えぬ魔術、か」
「いや、実際の所、私の力ではもって一日……だが、今回はそれで十分だ」
「半日もせぬうちに、北から軽騎兵数百の増援がやって来る。ここの弱兵とは違う、大陸でも有数の勇猛な兵団だ。部下に合図を送らせ、貴公をここに連れてこられた時点で……私の勝ちだよ」
「ここで二人飢えて死ぬか、私を殺して外で騎兵たちに突き殺されるか、選ばせてやろう」
老人にとって、ここでの死は勝利に他ならぬ、ということらしい。殺されても、勝利なのだと言う。
コアイはけしてそうはならぬ、と教えてやろうかと考えたが、それよりも……老人に話を訊きたくなった。
老人が何故、そうまでして主を護ろうとするのかを。
「貴公は何故、命を捨ててまで伯爵を守ろうとするのだ」
「……愛おしくて、だな」
老人の眼だけが、微笑んでいた。
「王侯貴族からの評価も然程高くなく、民より名君と呼ばれるお方でもない。名門貴族の子らしく幼少の頃から身勝手で、我が儘で……だが、だがそのくせ妙なところでお優しい」
厳格な造りをしていた老人の顔が、今は少し柔和に見える。
「私は、主従を抜きにしても……そんなジェイムズ様が好きなのだ。あの方の為ならば、この老骨など何時でも棄てられる」
「他人が好き、愛おしい……とは、そういうものなのか。その者の為になら、己が命すら惜しまぬと」
「ああ、暖かくなるのさ、それだけで。胸が、心が、たまらなくな……」
「……あたたかく…………」
「ああ、暖かい…………」
私の知らない、気骨のある人間だった。
私の知らない、大事なことを教えてくれた。
せめて、苦しまぬように。
せめて、後の惨禍を見ずに済むように。
コアイは壁から漏れる魔力を頼りに方向を定めたのち、出来るだけ周囲の構造に損害を与えぬよう、微かに微かに風を想起する。
「風よ我が刃よ、『突風剣』」
そうして詠唱された魔術は弱々しく、それでも主を失った術式を破るには十分な力を具えていた。
道を切り開いた先、塔の上階へ進む階段は『突風剣』により数段砕けていた。しかしこの程度の損傷で抑えられたなら上出来だろう、コアイは瓦礫をよじ登り上階へ向かう。
コアイは何階か登った先に豪華な扉を見つけ、押し入った。
「ダイアルか!? 一体何が──」
「お前がジェイムズ……アルマリック伯か」
扉の先、向かって右側の大きなベッドから裸の半身を起こし、声を張り上げる男がいた。
「誰だお前は!? どこだダイアル! 何をしているのだ、この曲者をあぐっッ」
「少し黙れ」
既にコアイは血縄を発し男の頸に纏わりつかせていた、それは男を適度に締め上げる。
「用件を言おう」
「なっ何が用件だ、曲者め! 誰か、だえ゛っ……」
コアイは面倒に思いながら、頸の締め付けを強めさせる。
「話を聞け」
「かはっ……かッ……かッ…………」
すぐには意識を失わぬよう、僅かに呼吸が出来る程度の力で絞める。
「話は単純だ。お前の持つ財、城……全て寄越せ」
「かっ……」
「そうすれば命は助けてやる。城内の人間も、抵抗せぬ限り殺さない」
返事はない。
コアイは苛立ち混じりに男の顔を見ると、男の目は虚ろに泳いでいた。仕方ない、一旦縛めを弛めてやる。
「ハアッ、はあ……だ、誰がお前などに従うか! じきにダイアル、ワッツに……数日待てばマシューだって来る、その時がお前の最期だ!」
「ダイアル……あの老人か? 彼なら、下で眠っている」
「なに?」
「では聞くが、何故私はここに居る?」
「お前は別口から忍び込んだのではないのか? では、まさか先ほどの光は、危急の信号……」
男は何かを察したか、表情を曇らせた。しかし直ぐに目を剥き、コアイを睨み返す。
「そうか、やはり……易々と屈するわけにはいかないな!」
「そうか」
コアイは指先の痕から血縄を追加し、領主を後ろ手に縛り上げた。そして余りの終端を尖らせ、手爪の裏に突き刺しておく。
「痛っ!?」
「あの老人が言うには、数百の精兵がここに向かっているとのことだ。お前も見るがいい、それらが私に敵し得るか否かを」




