二 災、アルク
空の紅い光が少しずつ、黒くくすんでいく。
コアイは酒場の男に教えられた通り、北東へ延びる道を独り歩いている。
荷車の行き来が多いためであろうか。林の間を通した道は広く、またよく均されている。
このような道を歩いて数刻ならば、乗馬でも探して駆けた方が良かっただろうか。
歩み出した頃には、そんな事を考えながら道を進んだ。周囲は静かだった。
半ば程まで歩いただろうか……木と草と土しか見当たらない、何とも退屈な場所だ。
屋敷に帰りたくなってきた。帰って何かをしたいというわけではないが、このまま歩き続けるのはどうにも億劫だ。
歩くのが面倒になってきた頃には、そんな事を考えながら道を進んだ。周囲は日が暮れて暗く、枝葉の風に揺られる音を小さく響かせていた。
つまらない……こんな場所では、彼女は笑ってくれないだろう。
けれど、私は彼女と共に居られれば……
そうだ、彼女が隣に居ると思いながら歩こう。
彼女と共に歩くことを想像したら、彩りのない道も明るく思えてきた。
伯爵の城とやらがどれ程のものか知らぬが、それを見た彼女はどんな顔をするのだろうか。どんな声を聴かせてくれるだろうか。
伯爵の城とやらにどれ程の財貨が蓄えられているか知らぬが、まずは甘ワインを飲ませたら、彼女は喜んでくれるだろうか。どんな賛辞を聴かせてくれるだろうか。
コアイはそうして、凡そ思い浮かぶ事象のすべてに想像の彼女を当てはめながら歩いてみた。
何刻歩き続けただろうか。地の景観は特に変わりないが、星があちこちで瞬いている。
そろそろ城とやらが見えても良い頃ではないのか、そう考えて……そのとき、前髪に存在を感じた。彼女のもの、だ。
私と同じ物を、彼女は身に着けている。
私と同じ星を、彼女は見上げているのだろうか。
そうだとしても、今ここに彼女はいない。
さみしい。
同じ星を見上げる彼女を感じられないのは、さみしい。
さみしい?
そうだ、それならば。
あいたい。
────彼女を喚びたい。
そう欲してしまったコアイの心を引き戻したのは、訝しむような男の声であった。
「おい、お前」
「…………なんだ」
コアイはその声を不快に感じた。また、その不快感を隠す理由もなかった。
「旅人か? それにしては、随分装備が軽いが……道に迷ったのか?」
「そう言うお前は、何者だ」
「あ? 俺は、この辺りを警邏している者だ。この道はアルマリック伯の住まうタラス城に繋がっているからな」
良かった、これまで歩いたことは無駄でなかった。そう思いながら、コアイは念を押す。
「この道を往けば、城があるのだな」
「ああ、だが伯爵様は一介の旅人になどお会いにはならん」
「そうか」
最早用はない。コアイは指を齧り、血術を発せるよう備える。身に着けていたはずの白い手袋が無くなっていたが、何処かで失くしたのだろうか。それはこの際どうでも良いが。
「この道を反対に行けば、エルフの集落がある。そっちへ行ったほうがお前のためだ」
力無き者が、そのような物言いをするなど……
「不愉快な」
「ん……? げぅ゛っッッ」
齧った指先から走り出した血の糸が、男の頸に纏わりつく!
男の頸は、瞬時にその形が歪むほどきつく締め上げられた。絞められた男の身体は少しだけたたらを踏んだ後、力なく崩れ落ちた。
男は舌を出して歪ませた顔のまま、身体を小刻みに震わせながら倒れ込んでいた……やがて頸の肉や管が強まる締め付けに耐えられなくなり、破れて血を噴き出した。
コアイは何となく、倒れた男の流血に手を触れて、それを口へと運んでみた。しかしそれは既に生命力の薄まった、大した糧にもならない生温い液体でしかなかった。
とはいえ、コアイにとってはそのような微かな糧よりも、道の先に目当ての城、目当ての品々が在る……その可能性が高まったことこそが収穫であった。
コアイは再び北東へと歩を進める。
暫く歩き続け、東の空に大の月が昇った頃……その朧な光に照らされた建物が、視線の先に聳えているのを認めた。




