十三 夢ウツツのあいだに魅せられ
これで、何者も私達に近付くことはできぬ。
コアイは壁を創出する魔術を用い、二人の周辺を多数の高い石壁で囲ってしまった。石壁は術者と均一な距離を取りながら、円形に……隙間無く屹立していた。
「ひゃあ……」
スノウは上衣を脱ぐ手も止め、非現実的な石壁の群れに見入っていた。
「これで心配はない、待っているから入ってくると良い」
「えっ? ……えっ?」
スノウはいたずらっぽい笑顔を向けながら聞き返す。
やはり、入らねばならぬのか? しかし、それが彼女の希望なら……
水を恐れているわけではない、ただ……彼女の他に誰もいないとは言え、ローブを脱がされるのは少し恥ずかしい。少し熱を持った頭と身体が、それを躊躇う。
「……このまま、入ってはいけないのか?」
「後で風邪引いちゃうよ、脱いで脱いで!」
「あ、そっか~初めてだもんねぇ、脱がせてあげよう」
既に上衣も下衣も脱ぎ、下着らしき布地を露にしていた彼女が、笑顔を張り付けたまま再び私のローブに手を伸ばした。私の眼は、ただそれを追う。
彼女の手が、少しぎこちなく前身頃にかかる。そして胸元から腹辺りの布地を左右に開こうとする。
どうしたことか、先程ローブを脱ぐことを躊躇っていた私が……今は、彼女の動きに抵抗することを躊躇っている。
思考が、意識が惑う。胸の高鳴る音が聞こえ、身体の熱と綯い交ぜになっていく。
「あ、先に胴締……帯を解かねば」
私は何を言っているのだ。
肌を晒すのは、恥ずかしいのではなかったのか。
抵抗するどころか、脱がせ方を教えるとは。
二人は堅牢な石壁の囲いの中、それぞれの柔肌に朝日を浴びている。
「ほとんど露天風呂だ~! 温泉じゃないけど!」
「こ、こんな格好で……本当に良いのか?」
「この開放感! たまらん!」
「おい、聞いているのか!?」
「誰も入れないんでしょ? 大丈夫だいじょうぶ」
スノウが先行し、コアイの手を引きながら川の深みへと進んでいく。川べりから十歩ほどは足首が浸かる程度の浅瀬で、その先に膝ほど浸かれる場所があるらしい。
コアイは初めて、水に浸かる触感を体験している。それは空気とも、濃密な魔力の淀みとも異なる独特な……だが嫌ではない触感だった。
「この辺で深くなるから気を付けてね」
そう言いながら歩くスノウの頭が、ある所で少し低くなる。
坂を下るようなものだろうか、とコアイは理解し数歩先に段差を想像する。それは視線を落として見ても水の層を挟んでいて分かり難かったが、実際に足を進めると実感できた。
「もうちょい深いとこがあると、全身浸かりやすいんだけどなー」
コアイは少し歩きにくさを感じていたが、スノウは構わず歩を進める。
「おっと」
再度、スノウの頭が下がった。この先はもう少し下っていて、彼女の言う少し深い所があるのだろうとコアイは推測した。
「この辺もう一段深くなるよ、ちょうどいい感じかも」
スノウは繋いでいた手を離し、コアイの側へ向き直した。
「ほら、おいでよお姉様」
彼女はそう言いながら、両手を此方へ伸ばす。
臍の辺りまで水に浸かり、淡く朱の混じった薄黄色の身体で私を呼んでいる。
私の背丈なら、腰ほど浸かる深さだろうか。そう考えながら、意識は彼女に向いていた。
「あっ」
前面に気を取られ過ぎた私は足を踏み外し、川に倒れ込んでしまった。
水の中から、空を見上げて……彼女を見上げていた。
水のせいかぼやけ、揺らいで見えた彼女に強く惹き付けられた。夢中で見上げていた。
けれど、何故か彼女がとても縁遠い存在に思えた。
彼女はすぐ傍で半身を浸けていたのに。それぞれの居場所が、酷く離れているように思えた。
……このまま、遠い彼女を見上げていたい。
……水から出て、傍にいる彼女を確かめたい。
相反する思いが、同時に心に浮かぶ。
私は…………
逡巡していた私は突然手を引かれ、水の上に持ち上げられた。
それは何度も握ってきた、彼女の手。それを感じた私の身体は、ふわりと浮いたように軽かった。私は、引かれるままに彼女へ寄り添っていた。
「あはっ、いつまで潜ってんのさ」
彼女は、笑いながら……私の惨白い肢体に手を触れた。
彼女の手は、私自身意識したこともない肢体の隅々まで擽ってくる。
「は~い、しっかり洗いましょうねぇ~」
「くっ、ふははっ、ひゃっひゃめぃ」
彼女に触れられた、身体のそこかしこがこそばゆく、むず痒い! 笑い声を、抑えられない……!
しかし、それがやわらかい。心地好い。やさしい。あたたかい。
抗うことができない。いや、抗おうと考えられない…………
「着いた~」
私達は水浴びを終え、屋敷へと帰ってきた。
川で身を洗われていた時、そしてその後の帰路のことは、実のところあまり覚えていない。だが……
彼女だけが、私の惨白い肌色と、その手触りを知っている。




