二 現れた者へのハイリョ
私の血で描いた召喚陣が白く輝きを発した。輝きは意味もなく周囲の闇を払い、私の目を眩ませてから消えた。
それと共に召喚陣も喪われ、環があった場所には人影が横たわっている。
「んんッ! ……あ゛ー、あー、あーべーせーでー」
私は人影が動き出した際に問題なく話し掛けられるよう、発声練習をする。私は、自分の言葉を聞き返されるのがとにかく不快なのだ。
特に、人間や蒼魔族には耳の悪い者が多く、私は度々聞き返され苛立っていた……懐かしい。
私が出会った人間は臆病で、おどおどとした鈍くさい奴ばかりだったせいもあり、どこかの使者を強めの魔法でつい殺してしまった記憶がある。
蒼魔族は……昔は助力し、綺麗な工芸品をいくつも貰って、と仲良くしていたつもりだった。確か、面を新調してもらったこともある。けれど、重用してた蒼魔の部族に大きな反乱を起こされてからは、直属の部下に置かなくなった。元々、地面を震わせたような、低く太い声が好きでなかったこともあるが。
思い返すと懐かしいけれど、浮かぶそれらは別に気持ちの良い思い出ではなかった。
人間、女、か…………
日が落ちたのだろうか、辺りは暗くなる。横たわる人影は、まだ動かない。
私は少し心配になった。召喚に失敗しており、肉体だけがこちらの世界に来てしまった──のかもしれない。もし召喚の失敗ならば、私が具える魔力の質や量が落ちている虞がある。そうだとすると、今後少し困るかもしれない。
もし失敗ならば、その原因を詳しく確かめなければいけない。
さて、がんばって近付いてみるか。それとも、また血を動かして触れさせてみるか。
そう悩んでいたところで、人影が少し動いた。
「んっ……」
寝返りを打ったのだろうか。
その声は、ずいぶん綺麗な音に聞こえた。何故か、自分の声で語りかけたくなった。そう思ったときには、既に口に出していた。
「起きないのか、多分ここは別世界だよ?」
……我ながら、特筆すべきものの無い声だな。
これでは、人影から反応がないのも当然だ。何故か、そう納得していた。けれど、少しだけ不満に思った。
もう一度、先の美しい声を聞かせてほしい。
私は立ち上がり、人影に近付こうとしていることに気付いた。何故か、そうするのが自然と悟っていた。少なくとも、私は間違いなく楽しんでいた。
私は人影に触ってみる。一つも迷わず、心の求めに委せてみる。
すると柔らかい。そしてこの柔らかさは、とても心地良い。柔らかいだけでない、何故かあたたかいのだ。
他人とは、こうもあたたかいものだったか?
「んあっ……」
また、綺麗な声が聞こえた。ある種の金属を軽く叩き合わせたような、高く澄んだ声。そして人影は、私の側を向き顔を見せた。
女らしき顔、何故かひどく好ましい顔。
他人の顔を見て、好ましく思った記憶は……いや、良くも悪くも、他人の顔に強い印象を持った覚えがない。
もしかしたら、私の精神はまだ安定していないのかもしれない。あるいは、以前の私とは別の感性を得ているのかもしれない。
それはさておき、気付けばとても新鮮で、明るい風が吹いているような気がした。
彼女は目を覚まさない。私はこのまま、彼女を見ていたくなった。
己の冷静な部分で、そういう時と場合ではないと理解しながらも、大勢を占めるそうでない部分が、己にとっての最善はこれなのだと決め付け、私の振る舞いを規定している。
緩やかな時間が流れる。
しかしそれは、闖入者によって破られる。
「ここだよ、お父さん」
壁の横穴から子供の声が漏れ聞こえる。特に綺麗だとも、好ましいとも感じない。
「こんな遺跡で何をしてたんだ、まったく子供というのは分からん」
「魔族? っぽい体形だったけど服とかマスクでよくわからなかったの」
面倒だな。まあ、仕方がないか。
「ここから入ったの、ミィナちゃんと一緒に」
「探検みたいなものか」
親子らしき翠魔族が部屋に入ってきた。
「私に何用だ」
「ひゃっ!?」
「わ、私はこの村に住むヘリングという者です。貴方は?」
やはり、綺麗だとも好ましいともまるで感じない。
あたたかくはない。そして、つまらない。
「下郎よ、答える必要があるのか」
「なに?」
男は険悪な雰囲気を感じ、子を退がらせる。
威勢は悪くないようだ、しかし彼からは、特に際立った力を感じない。十分な魔術的研鑽を積んだわけでもなさそうな、丸腰の村人。
つまらない、つまらない……
「はぁ……」
私は溜息をついてしまった。
まあ丁度いいか、私は息を吐いて軽く空いたままの口元に指を差し込み、齧った。少し指が痛み、血が垂れる。
私は指先の血に命ずる。眼前の二人を、殺さぬ程度に締め上げよと。
「ん……? ぐあっッ」
「わっなにこれ……ぐえ゛ッ」
とろとろと指先を離れた血は俊敏に、一部は親子の手を搦め取る。そして別の一部が、首に巻き付き圧する。
「苦しいか?」
「ぐっ、せめ、て……娘だけでも、離せ……」
「おど……ざん、くるじぃよ」
完璧な力加減だ。親子で少し加減を変えて、無抵抗だが会話ができる程度の力加減で締め付けられている。
距離が近いとはいえ、暫くご無沙汰だった血術をこの精度で扱えているなら、おそらく魔力に関して特段大きな問題はない……あ、指を手袋ごと噛んでしまっていたか。寝室に替えはあっただろうか。
「ここで騒がず、また私のことを口外しないなら、二人とも離してやる。今日は大人しく帰れ」
ここで、徒に騒ぎを起こしたくはない。ここに醜い死体を置きたくもない。
勿論それは、この者たちへの配慮ではない。
「わ、わかった!! わかったから早く娘を!?」
私は血を少し足して、縛めを緩めるよう伝達する。そして二人が騒がぬことを確認して、次は完全に血術を解く。
親子は部屋を汚すこともなく、逃げ帰っていった。
大した騒ぎにならなくて良かった。彼女を起こしていないだろうか?
それだけが、私の心配事だった。