十二 清しものにフレ
二人は川岸へ向かうため、森沿いに整えられた道を歩く。
辺りは少しずつ陽の光を受け、それぞれの姿を明かしていく。もしコアイにとって明かしたい姿というものがあるならば、それはスノウの「それ」なのだろう。
「森を抜けたら、もうちょっとだって」
彼女は昨晩よりも少し速く、私の前を歩いている。先程とは違い、この辺りには悪意ある者や、危険な存在の気配は感じない。だから、私の前にいても大丈夫だろう。
けれど。
何故、私の横を歩いてくれないのだろう。
何故、私の手を取ってくれないのだろう。
道の先から吹き付けてきた風が、少し寒い。
何故彼女は、私に寄り添ってくれないのだろう。
そう思い悩んだコアイの顔に、少し酸い風が舞う。それでいて、温もりを感じる風。それに触れた途端、コアイは飛び出していた。
「何故、そなたは私に沿うてくれぬ」
気付いた時には、そう口にしていた。そして、両手で彼女の手を握っていた。
「なぜって……だってわたし、ゲロ臭くない?」
「いや、私は気にしていない」
また、嘘を吐いた。本当は、それすらも私は────
良かった。彼女はすぐ傍にいる。彼女は、私に触れてくれている。
二人は手を取り合い、再び歩き始めた。
「そう言えばさ」
スノウが気安そうに切り出す。
「さっきの汚い像の人……クチュルフ、だっけ?」
「クチュルクのことか」
「お姉様、知ってる人っぽかったよね。なんか遠い目しててかっこよかった」
「……名前には覚えがある、だが別人かもしれない」
もう少し姿の鮮明な像であれば、区別も付くのだろうが。
「もしかして元カレ、とか?」
「えっ? いや、そういう例はない」
「んん~??」
彼女は何故こうも興味津々なのだろうか、あのような男のことなどに。
「ん~まあいいけど」
「そろそろ森を抜けるようだな」
なるほど確かに、二人は森を抜けた先で川のせせらぎを聞いた。
「近いね!」
スノウはコアイの手を引いて駆け出す。それに力を奪われたように、心も奪われたようにコアイの身体は軽やかに付き従う。
「ハアッ、ハアッ……」
息を荒げる彼女が足を止めた、先には澄んだ水の流れる浅瀬が広がっている。
「きれい……」
村人たちが管理しているのだろうか、道中の森も、この川も、美しい自然を湛えている。あるいは、この辺りは今も良質な魔力で満ちているのだろうか。
昔、この辺りには良質な魔力が溢れていると聞いた。ここに屋敷を立てたのは、それを理由に薦められたからだったはずだ。
コアイはそんなことを思い出しながら、川の流れを眺めていた。
スノウは川辺まで進んだところで、靴を脱ぐ。
「深さ見てみよっ」
スノウはそろそろと川へ入っていく。コアイにはそれほど深い場所があるように見えなかったが、川べりまで歩を進めて立ち止まった。
村人が日頃使う場所なら、危険はないと思うが……
コアイは周囲を見渡し、警戒する。しかし、川に入らない理由はそれだけではない。
「そんなに冷たくないかも、お姉様は入らないの?」
「いや、私はいい」
「なんで? きもちいいよ」
スノウはそう言いながら、陸に戻ってくる。
「それなら戻ってこなくても」
「ストッキング脱ぐの忘れた……あははっ」
彼女の世界にも長靴下のようなものがあるのか、彼女の肌の色に似ていて判らなかった……
と考えながらコアイは、ストッキングとそれを脱ぐ彼女の脚を注視していた。
「よし、行こっか」
「い、いや私は待っている」
「え~なんでさ? 泳げないとか? 大丈夫だって浅いから」
私は……
「私は、水に浸かったことがないのだ」
「えっ……じゃあお風呂は?」
「そういう習慣はない」
「ちょっ汚っ!?」
彼女に飛び退かれた。
「いや、その……」
「いや~これはここで洗っていかなきゃ」
「そなたらは臭うから、風呂に入るのだろう?」
昔、そう聞いている。言い訳なのかもしれないが。
「ああ、まあそんな感じ」
「何故かは知らんが、私は臭うことがないのだ。あの時だって、臭くはなかっただろう?」
「あの時? ああ……」
彼女の顔が緩んだ、ように見えた。
「あの時は良く分かんなかったから~、とりあえず洗ってみよっか!」
何故そうなるのだ……と答えようとしたが、彼女が着衣を脱ぐ姿に見入ってしまった。
「しっかり洗うと、気持ちいいよ? ほら、一緒に入ろ?」
彼女は私のローブに手をかける。
「い、いやそのぅ」
そんな、破廉恥な……と思いながらも、怒りよりも恥ずかしさを強く感じていることに気付いた。
胸が熱い。しかしそれを、嫌な熱さではないと感じている。
胸が高鳴る。しかしそれが、少しだけ心地好い……
と、コアイは物音を感じ、世界に引き戻された。
「どうかした?」
「何者かが近くにいるようだ」
コアイは物音のした方向に視線を向けるが、それ以降の動きはなかった。もしかしたら、鳥や獣が跳ねただけかもしれないし、草木がたまたま強くはためいただけかもしれない。だが人が隠れているならば、不用意に肢体を晒すべきではないと考えている。
私の肌を知るのは彼女だけ、他人にそれを知られたくない。それは、到底許せない。そして、そのような輩に彼女の肌を知られたくもない。
「囲師周するならば、無欠鉄壁たるべし……」
「黒鋼の壁、完全たる璧 『金城』!」
詠唱を伴う、強力な魔術が発動する。静かな川辺に突如轟音が鳴り響き、巨大な石壁が二人の周囲に現れた。それらは二人を円で囲うように、次々と地面から突き上げた。
「……邪魔をする者も、覗く者も此処には要らぬ」




