ぬくもりを真似るように
男は国境沿いの町を示す南北に描かれた印のうち、真ん中の印へ指を動かしながらコアイ達に地理を説明する。
「だから、今日中にってのはさすがに無理だ」
一旦言い終えたところで男は印を指したまま顔を上げて、スノウに視線を向けた。
「……もちろん、馬車だともっと時間がかかる」
馬車……彼女の外見、体格や服装から騎乗はしないものと見なしたのだろうか。
「それにシャッタールからだと、川を渡るのに舟を手配する必要がある。だが馬を載せられる舟は少ないし、かといって川向こうで買い替えるにはちと金がかかる。先月ごろ聞いた話だが、向こうじゃ最近気性のいい馬が足りてないって話でな」
「……随分詳しいな」
「ああ、俺は普段この辺りで運送屋をやっててな。つい口を出したくなっちまった、気に障ったならすまん」
「ううん、ありがとうおっちゃん」
「ああ、って……おっちゃん……?」
礼を言われたはずの男が肩を落としている。それが何故かは、コアイには当分理解できそうもない。
そんなことの理解に努めることよりも、旅のために話を進めようとする意欲がコアイを動かす。
「馬は借り物だから持ち主に返したい。舟に乗らず、馬で川を渡るには北へ迂回すべき……」
コアイはスノウを喚ぶ前に想定していた道のりを思い出し、男に確認しようとした。
「で、合っているか?」
「……あ、ああ。北側のアウヴァーズから山道に入って、エルゲーン橋を渡れば国境を越えられるぜ」
「そうか、それなら良い」
馬をソディ、アクド両名に返してやりたい、と考えたのも確かだが……コアイはそれよりも、例の薬を使うことで早く先へ進みたいと考えていた。
昨日霊薬を使わなかったから、今日使えるはず。
国境は越えられずとも、せめて次の町に着いておきたい。
そのほうが、彼女もゆっくり休めるだろうから。
長い旅ならなおのこと、なるべく野宿は避けて……彼女をベッドでゆっくり休ませてやりたいから。
そのほうが、彼女も心安く過ごせるだろうから。
そのあとも、馬と霊薬をうまく使って……彼女がこの世界にいる間、できる限り楽しませたいから。
「そうそう、俺たちは荷運びの都合上めったにエルゲーン橋を渡らないが……あそこは橋のつくりも周りの景色も、まさしく絶景ってやつだぜ」
「おお、絶景! おもしろそうだね見に行こ!」
スノウが破顔する。
「あ……ああ」
コアイは二人の話に意識が向いていなかったせいか、不意に現れた彼女の笑顔に目を見張った。
「そうだな」
それを認識して、コアイも笑顔を作った……気がした。
彼女の幸せそうな笑顔こそ、コアイにとっての絶景なのかもしれない。
コアイにとっては彼女の笑顔、それ自体がとても快い存在なのだから。
「まあ説明はこんなとこだろ。あとは向こうへ行って、自分の目で確かめな……じゃあ気をつけてな」
「良し、行こうかスノウ」
二人が勢い良く立ち上がると、男は隣のテーブルに戻った。
「ありがとね!」
帰り際、スノウは笑顔で振り向いて、男に右手を振り改めて礼を言った。
コアイはそんな彼女の姿に目を向け、また晴れやかな気分になっていた。
そんな心地をもう少し強く味わいたくなって……スノウの言葉を、仕草を真似て男に一声かけてみることにする。
「ありがとう、おっちゃん……だったか」
「ぬうっ、兄ちゃんまでおっちゃん呼ばわりかよ……ああ、そんじゃあな」
やはり、何故男が肩を落とすのかは分からない。
けれど、彼女と同じように一言言えて心地好い。
二人は馬を取りに宿へ戻って、そのまま町の門をくぐり抜けた。
そうして人目のつかないところへ移ってから一旦下馬し、コアイは件の霊薬をやや少なめに取って馬に舐めさせる……
しっかり彼女を抱きしめて、あたためられて。
駆ける馬蹄の響きも、彼女の声も聞こえない。
私の耳まで届くのは、自分の胸が鳴る音だけ。
そこに彼女がいることは、目と身体で感じて。
視界の中央にはスノウの頭、その横を他の景色が飛び去っていく。
コアイは駆ける奔馬の頭を西、やや北に向けるだけ……それ以外は馬の行く気に任せる。
移動はほとんど馬に任せて、コアイはもっと大事なこと……スノウを決して落とさないことを心がける。
彼女を包む全身に力を込め、意識を向ける。
スノウは何か叫んでいるらしい。
コアイは念のため、彼女の横顔を覗きこんで……顔が強張っていないことを確かめておく。
恐怖を感じているのでなければ、問題ないだろうから。
昼過ぎ、コアイ達の下で奔馬が勢いを無くしたころ……遠くに城市らしき影が一つ見えた。
馬の速度が落ちたことで、辺りの音も聞こえるようになり……前方から届いたのは腹の音。
「……あーあの、えと……お腹すいたね?」
「ちょうどいい、あの先に見えるのがおそらくアウヴァーズの町だ」
コアイは前方の影を指差す。
実のところ、コアイはこうなるのを狙って、出発時馬に与える霊薬をやや少なめにしておいた。
少々出来過ぎではあるが、この霊薬も魔術を用いて作られた品であるせいか……コアイは何となく、感覚的に適量を想像できていた。
「今日はあの町で食事をして、そのまま泊まろう。酒も、あれば飲もうか」
「うん! いただきます!」
コアイはスノウからの明るい返事に心を躍らせながら、馬首を城市へ向けた。
スノウもまた、背中越しのコアイに心を躍らせている。けれどもそのことは。
今のコアイにはまだまだ、はっきりと読み取れないこと。




