私は、伝えゆくべき通史に
私は再び、『魔王』の過去を覗き見る。
『魔王』コアイと恋人が馬車で街中を進んでいる。
その姿は、通りを歩く人々の注目を集めてしまう。
恋人を膝に乗せて抱きかかえるコアイの姿ゆえに。
多少幼くも見えるが年頃の娘とおぼしき恋人を、それよりは少し年上らしきコアイが抱いている。
年齢的に親子……ではないだろう。であればおそらく、大胆な恋人たちの姿。
それは注目されてもしかたがない。
けれど私には、その姿からは大胆さよりも……とても強い二人の結びつきが見えたような気がして。
私では…………
『魔王』コアイほど美しくもなく強くもなく、無知な私では無理かもしれない。
それでも。
私は、ほんの僅かでもいい。
心壊れてしまった彼女の、癒やしになりたい。
彼女の過去を知ったうえで、それを慰められるのは……私だけだろうから。
『魔王』コアイのそばに、あのヒト……スノウと呼ばれる女がいるように、彼女のそばには私がいるように。
と、いうほどの存在にはなれないかもしれないけど。それでも私は。
少しでもいい、彼女を救いたい。
彼女に寄り添う、私でありたい。
そのために、そのためだけに……私はまた『魔王』の過去を覗き見る。
恋人の手を握っていたコアイは立ち止まり、その様子を確かめる。
「ん? どうしたの?」
恋人は、朗らかな……険のない穏やかな表情と明るく高い澄んだ声をコアイへ向ける。
それを受けたコアイの表情が和らぎ、安心したように見える。
手を繋いだまま歩き出した二人はやがて、飲食店に入っていた。
「わぁ、高いのはこんなに美味しいのかぁ……あっうっま」
「きゅっ……ああー! うまい! すごい!!」
恋人が酒食を楽しみ、嬉しそうな声を上げている。
コアイは料理に手を付けず、それを満足そうに見ている。
「……これも食べるか?」
コアイは柔らかな表情のまま、己の分らしき酒も料理も恋人へ差し出す。
「えっ、いいの?」
「ふふ、勿論だ」
恋人の笑顔につられるように、コアイも満面の笑みを浮かべる。
それまでの『魔王』からは想像もつかないほど、可愛らしく純粋な笑顔で。
二人とも、とても幸せそうだ。
いつの日か私も彼女の前で、このように振る舞えるだろうか。
なんとか……そうしたい。
決意を固めた私は最後に、もう一度だけ『通信』をしておこうと考えて……
私は裏路地の陰の、なるべく隅っこに身体を詰める。そうしてから、『通信』を意識した。
すぐに目の前が真っ暗になり、身体に力が入らなくなる。
I believe……they get more than yours, someday, someway……aye, believe…………
Launch completed, will it arrive?
……信じている、か……
誰に届くというのだろうか。
と白々しく思った瞬間、視界が戻った。すぐにまぶしさを感じて……顔に手をかざした。南からの日差し……昼だ。
そろそろ彼女が表通りに来る頃だ、私は表に出て彼女を待つ。
太陽がいくらか西に傾くころまで待ち続けて、私は彼女が一人歩くのを見つけた。
まずはあいさつを……私は会話を想定しながら、彼女へ近づく。
「こんにちは、イリーさん」
「こんにちは〜、えっと、エーラさん……だよね?」
彼女は私を見て、少し口元をほころばせた……気がする。
それより。
私の名を、覚えてくれていた。
うれしくなる。
私の名を、覚えてくれているのは……きっと彼女だけ。
「はい」
私は笑顔を作りながら軽く頷く。
表情と所作のつくり方は、『魔王』をまねて。
もしかしたら……彼女を癒やすつもりの私こそ、彼女に救われているのかもしれない。そう感じながら。
「エーラさんは、いつもここにいるの?」
「イ、イリーさん、待って〜……」
別の声に、彼女の話が遮られる。
それは、彼女を追って駆けつけてきた一人の老婆の声らしい。
「あっそうだったごめんなさい、きょうはおかいものにいくとこなの」
彼女は息切れする老婆に気づいて、苦笑している。
「ぜぇ、ハァ、ハァ……あなた、イリーさんのお知り合いかしら」
「はい」
私はその、特に何も感じ取れないヒトへ顔を向けて返事をした。
彼女のそばにいる、と決めた以上は……周囲の者ともうまくやっていくべきだろうから。
「よかったら、これからもイリーさんと仲良くしてもらえるかしら」
「もちろん、喜んで」
「周りにイリーさんと歳の近い子がいなくてねえ、ありがとうねえ」
二人が去っていったのを見て、私は裏路地へ戻る。
そこでまた、学びのために……私は『魔王』の過去を覗き見る。
『魔王』コアイが恋人を抱いたまま通りを歩いている。
その姿は、通りを歩く人々の注目を集めてしまうが……コアイが気にする様子はない。
恋人は眠ってしまったらしい、コアイは何度も彼女の表情や様子を確かめている。
コアイは恋人が苦しそうな姿を見せていないことを確かめながら、宿で休ませようと歩いているらしい。
しかしその姿は、他者から見れば……多少幼くも見えるが年頃の娘とおぼしき恋人を、彼のような彼女が抱いている。目を引く、大胆な恋人たちの姿。
けれど私には、その姿からとても深いコアイの気づかいが見えたような気がして。
コアイは恋人を抱いたまま宿に入り、ベッドに寝かせる。
当のコアイはそのまま恋人のそばに寝転がり、じっと見守り続ける……
少しずつ分かってきた。
『魔王』コアイも、恋人のため懸命に気づかっているのだろう。
そうしてあげたい存在を見つけて、必死になっているのだろう。
つまり私も同じなのだ。
彼女のため、彼女を癒やせるよう気づかっていきたいのだから。
そうしてあげたい存在を見つけた私は、全て彼女のためだから。
意識が戻ったのは夜だった。
私は念のため、表通りに出て……道行く人々のなかに彼女がいないことを確かめる。
夜がさらに深まり、人の行き来がなくなった辺りで私も裏路地へ戻った。
そこでも私は、『魔王』の過去を覗き見る。
先に見た記憶の宿よりも豪華な寝具や絵画が置かれた寝室にいつもの二人がいた。
「んぅ〜〜、やっぱベッドが一番!」
そう聞こえるが否や、恋人が豪快にベッドへ飛び込む。コアイはそれを見守るように眺めていた。
「王サマは寝ない? 気持ちいいよ」
そう言いながら恋人は、これまでの記憶からは思いもよらない真剣な、それでいて可憐に潤んだ眼差しをコアイへ向ける。
コアイは少し戸惑いを見せただろうか、しかし何も言わず恋人の隣に寝転がった。
「んぅ」
コアイが隣に寝転がったのを確かめてか、うつ伏せになっていた恋人が身体をよじって全身をコアイの側へ横向ける。
身体を向き合わせた二人はお互いの愛情を混ぜ合わせるように、真っすぐに見つめあいながら手を取りあい……互いの熱をつなげる。
二人はどれほどの間、見つめあっているつもりなのだろうか。
離れて見ているこちらが根負けしそうなほど、微動だにせず……いや、視線すら動かさないでいる。
一体いつまでそうしているのだ? 眠っているようでもないし……
じれてくる。けど、動きがあるまでは私も目を離せない。
長い静止の先で、恋人の視線が揺らいだ。
恋人は、ずっと握ったままだったコアイの手を引いていた。
そこにはコアイの身体を動かすだけの力はなかったらしく、コアイの顔には動きのないまま。
そこへ恋人の顔が近付いていく。
「んぅ」
「んっっ!?」
二つの影が触れあった。
直後に後ずさりしたコアイの顔はすっかり紅潮していた。相当強く感じたものがあるのだろうが、それ以上の動きは見せない。
そのうちに、恋人の手がコアイの頭をつかまえて、もう一度。
そのまま見ていると、二つの影は言葉も交わさず何度も触れては離れ、離れては触れてをくり返していた。
「すき……」
やがてこぼれた、どちらのものとも分からない微かなつぶやきののち、また触れあって…………
そこは誰にも侵されざる二人だけの世界……とでも言うべきか。
傍観者としてであっても、あまり触れないでやるべきなのかもしれない。とは感じたものの、後学のため、彼女のため……と考えると、私にも目が離せなかった。
私も、もし彼女が望むなら……二人でベッドを、枕を、あるいは一夜をともに……
あ、いやその、そんな……そこまでは、できなくてもいいんだけど。彼女がそうしたいなら、ね。
そう言い訳したくなるほど、恥ずかしいことだけど。
次の日から、私は……昼には彼女と会い、夜には学びのために『魔王』の過去を覗き見る。
それを毎日繰り返していた。
私はもともと……この星の歴史を知り、それを「彼ら」へ知らせるだけの存在だった。
けれど彼らとは話をしたこともない、顔も知らない……
今も生きているのか、いや……実在するかどうかも知らない。
どこかにいるのかすらも分からない、そんな人たちよりも……私は…………
彼女と一緒にいたい。
彼女のために生きたい。
彼女を少しでも救いたい。
実存する彼女に触れて、そう思ってしまったから。
だから私は、伝えゆくべき通史に
サヨナラを。
けれど私が、彼女のために生きられる時間は短いだろう。
サヨナラを、伝えるときまでに……彼女のことを少しでも。
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「エーラ、明日はひま?」
「暇だけど……イリーさん、どうかしたの?」
「晩ごはんを用意してるから、エーラがよければ……今日泊まっていかないかなって」
「晩ごはん食べたら、眠たくなるまでずっと二人でおしゃべりして、そのまま寝ちゃうの」
今回の更新が、本章のラストとなります。
次回投稿の際には、いつもの二人を中心とした新たな章が立ちます。
ともあれ、本作を楽しんでいただけていれば……幸いでございます。




