十一 フタリの道に戻って
「大丈夫か」
「まだちょっとダメっぼい゛」
コアイは膝を付いたままのスノウに声をかける。
どうすれば良いかは分からないが、私はひとまず彼女の側に寄る。すると少し、酸い臭いがする。
しかしそれもまた、彼女の姿なのだ。
「さて、お主らは夜が明ける前に去ったほうがいいだろう」
「なンで?」
「今ここらの村人に見つかったら、ここで死んだことにできないだろ」
少し離れた所で、男達が話し合っている。
「けど、後で領主にバレねーかな?」
「俺らの村からは結構離れてるし、すぐにはバレないさ。それに」
「それに、領主殿もそれどころではなくなるだろう」
「なンで?」
男達のうち二人が、こちらを一瞥してから向き直した。
「どう考えてもアレは領主殿の力では止められん、お主らも早めにここを離れたほうが賢明じゃろ……アレの気が変わる前にな」
「任地がシャーガー伯領から離れてて幸いだったな、とりあえず逃げとこうぜ」
「へ? どういうことだってよ?」
「そうと聞いたわけではないが……あれだけの力があって、何の考えも無く代官殿を襲ったわけではあるまい」
「考えが無いとしたら、それはそれで危ない」
「オイ何の話か分かンねぇぞ」
男達の会話は全て、コアイにも聞こえていた。しかしそれ自体には、興味が湧かなかった。
何の話かは知らぬが、放っておこう。彼女を見ているほうが、私にはずっと楽しいから。
「う゛~……み、みず……」
コアイはスノウの傍から動かない。
「さて、俺らはそろそろ帰ろうか」
「けどよジョー、金も無しに帰れるンか?」
「ふむ、これも縁じゃ。持ってけ」
「ありがとう、助かります……って、金貨!? そんなに貰っていいんですか?」
「構わんよ」
突然スノウが顔を上げた。
「きんか?」
「シャーガー伯領と言っていたな。遠回りかもしれんが、一旦西へ向かい人間の集落へ寄って、そこで旅支度をするのが良かろう」
「なるほど、そうします」
「ねえおじさん、ウチらにも金貨くれない?」
スノウは平然と会話に割り込んだ。
「……お主らに金が必要なのか?」
戦士は怪訝そうに言葉を返した。
「飲み屋のおじさんにお金払いたいの」
そう答えを聞くと、戦士はにこりと笑いながらスノウに何かを持たせた。コアイには彼女が、彼が何を考えているのか分からない。だがそれとは関係なく、彼女から目を離さぬよう、彼女を危険に巻き込まぬよう常に警戒すべきだと痛感していた。
先の件は失態だった。私が近くにいながら、みすみす彼女を恐怖に晒してしまった。
もし、もしも、彼女が討たれてしまったならば、私は…………
「それじゃ、俺らは行くよ」
「うむ、俺も一旦山に隠れよう。さらばだ」
「じゃね~」
「そンじゃ、元気でな」
小規模な惨劇を生き残った人間達が声を掛け合い、それぞれの道へと岐れていく。
「さて……私達はこれからどうしようか?」
もう暫くすると、空が白み出す頃だろうか。
「何かくさいからシャワー浴びたいかな、リクスーは……諦めよ」
スノウの言葉は、いつもより不可解だった。
「しゃわー? りくすー?」
「あ~……お風呂とか、ない?」
「風呂か、風呂なら大きめの家には備えがあるだろう」
コアイは屋敷のあった方向に目をやった。そこには瓦礫があった。
「あっ……」
「うん…………とりま、飲み屋にでも戻ろっか」
鳥の声が響きだし、空が明るさを少し取り戻した頃、二人は帰ってきた。
「おお、アンタらか。そろそろ寝ようと思ってたんだがな」
「おっちゃん、とりあえずこれ飲み代」
スノウは男に金貨を差し出した。
「ん? わざわざ済まんな……っておい、こりゃ金貨じゃねえか」
「釣りは要らないぜ!」
「いや、流石に貰いすぎなんだよなあ……」
男は当惑しているようだった。
「じゃあさ、その代金でお風呂使わせてよ」
「風呂? 済まんがウチにはない」
「俺らは普段、川で水浴びして済ませてんだ」
聞くとこの村の者は、時間を惜しみ風呂を沸かさないという。
「しょうがないかあ」
酒場の男は、水浴びに適した川岸の位置を教えてくれた。
二人は酒場を出て、言われた方向へ歩いていく。その道中で、奇妙な叫び声を上げる老婆を見かけた。
「おお、かみよ、我らを許したまえ! 再び我らに救いを、再び我らに力を!」
老婆は手を組み、空を仰いで言葉を繰り返している。
「……アレはちょっとヤバそうだね」
二人は視線を向けず、足も止めず、早々に立ち去ることにした。
さらに歩くと、視線の先に看板と像が立てられていた。像は特に変わり映えのない人型であったが、それは近寄るのも憚られるほど酷く汚れていた。
「うわ……何の像だろ?」
コアイは看板の記載を確かめてみた。そこには
『心の汚れ、妬み嫉み、憤り……醜いそれらは……我欲のために祖先を裏切り、人間に阿り、我等を貶めた愚者クチュルクに押し付けよ』
と、記されていた。
「クチュルク……」
人間の女のために、自分に叛いた魔族がいた。その者と同じ名を持つこの像は、奴と何か関連があるのだろうか。
「知ってる人?」
「……いや、先を急ごう」
彼女の存在に比べたら、そんなことは些細なことであった。
彼女の希望に比べたら、そんなことは取るに足らぬ些事であった。




