3 胸いっぱいの愛と情熱がふたりを
……身体にはなにも起こってない、とくになにもされていないらしい。
といっても、この街の治安がいいというよりは……単に誰にも見つからなかったとか、裏路地の行き倒れには誰も関心をもたないとか……それだけの話だろう。
けれど、それならそれでむしろ……都合がいい。
『魔王』コアイがいるはずのこの街から離れずに、誰にも気に留められないところに隠れられるのだから。
もういちど『魔王』を探しに……『魔王』に近づいてこの星の可能性を知るためには、それより先に『通信』をしなければいけないらしい。
どれだけ時間がかかるのかわからない。余計なことはせず、早めに済ませておきたい。『通信』をするのは初めてのはずだから、他の問題がないかも心配だけど……とりあえず、人目を気にしなくていいってだけでも助かる。
物陰のなるべく隅っこに身体を詰めて、『通信』をしようと意識した。
するとそれだけで目の前が真っ暗になり、身体のどこにも力が入らなくなる。
I believe……they get someday, someway……aye, believe…………
Launch completed.
ふと視界が戻り、すぐにまぶしさを感じて……顔に手をかざした。
身体が動く。目を移しながら手足を動かしてみる。
見た目にも感覚にも、とくに変わったところはない。問題なさそうだ。
すこし安心しつつ、目を細めながら空を見上げると……『通信』の前とは日差しの向きが変わっている。
それでまぶしさを感じたのか。太陽は南南西に浮かんでいる、どうやら昼すぎくらいらしい。
さて、『魔王』コアイの粒子の匂いは……よかった、今も色濃く辺りに漂っている。
『魔王』は普段からこの街に住んでいるのか? それとも、たまたま昨日、今日と滞在しているのか?
どちらにしても……今日も、この街の中を探してみよう。
私は、ヒトが歩いている通りをひたすら巡回してみることにする。
日の光が赤く染まり、地に沈み……夜になるまで似たような通りを歩き続けたが、記憶の可視化はされなかった……つまり、『魔王』らしき者との接触はなかった。
しかし周囲の粒子の様子が変わらないことから、『魔王』が今も街の中にいることは分かる。
いちど別の区画へ行ってみようか……
と、向かいに手をつないで歩く男女らしき姿が見えた。
この季節にしては服を着込んでいる、凛とした美形の男?
と、周囲とは異なる服装をしている小柄で可愛らしい女。
二人に視線だけを向けて何も言わず、すれちがおうとした。
すると二人が真横を通り過ぎたところで軽い目まいに襲われ、視界が淡い色合いに変わっていく!
まずい、ここで歩調を乱すのは……
て、あれ? 今まで通りの道、人の流れがうっすらと見えている。目がおかしくなったのか?
この、別のものが混ざったような視界は、どういう……?
まさか、さっきの二人が……なにか仕掛けてきたのか?
いやそんなはずはない。二人とも、こちらには一目もくれなかった……はず。
人混みの中を歩く流れと並立するかのように、おそらく二人の記憶が……水鏡に映った半透明の風景のように可視化されていた。
はじめて二人が出会った日のこと、森の中の夜道を歩いたときのこと、二人で川遊びをしたときのこと、囚われた土着種を救い出したときのこと、二人で入浴したこと、入浴しながら酒を飲んで笑ったこと、はじめて…………
はっきり認識できているのは、どの記憶も……
互いに想いあい、暖かな日々を過ごした二人。
互いに恋い焦がれ、幸せそうに触れ合う二人。
はっきり、間違いなく見えたと感じられるのは、それらばかりだった。
一方で、それらとは違う……ぼんやりとではあるが『魔王』コアイの、または『魔王』でなかった時分のコアイの、闘いの日々を知れた……気はしているが。
そうか、あのきれいな男が『魔王』コアイ……か。それは分かった。
けれど心に残ったのはどれも、二人の楽しそうな……『魔王』らしからぬ姿。
この星の歴史は……? あり得た可能性は? そして、これから先……未来のことは?
私は余さず、記憶できているのだろうか。
………………
記憶に抜けがないか、という点については今でも心配だ。なにせ、この時は……『魔王』コアイが男だという思い込みすら無くせていなかったのだから。
二人が水遊びや入浴する姿を可視化していたはずなのに、そこには考えがいたらなかったのだから。
このときも心配ではあったが、それよりもただ……もっと多く、二人の過去を知りたい……と感じていた。
………………
このときはなぜか、この星に大きな影響を及ぼす可能性を持った『魔王』を深く知る使命……というよりも、ただ二人の過去と可能性を追いかけたくなっていた。
なぜかは分からない。
ただ、そうしていたかった。幸せそうな、恋い焦がれる二人をもっと見たかった。それだけは確かだった。
ともかく、私はもういちど二人に接触しようとあわてて引き返した。
不自然でない程度に速度を上げて、人混みを縫い、抜けて……なんとか追いついた。
二人が先ほどと同じように手をつないだまま、建物へ入っていくところをなんとか見つけられた。
窓から室内をのぞき込むと、そこはどうやら飲食店らしい。建物のなかでは、多くのヒトが食事を楽しんでいる。
そのうちの一角に、『魔王』コアイと連れの女がいた。
店内で酒食を楽しむ二人を見ると、周りにいる他のヒトたちよりも……とても暖かく、満ち足りているような気がした。なぜかは分からないが。
周りのヒトたちも、ときおり二人へ視線を向けているように見える。もしかしたら、彼らも二人からそれを感じていたのかもしれない。
なぜかは分からないが、二人を見ているだけの私も…………
と、いつしか『魔王』たちは食事を終えていたらしい。
二人はまた、手を取りあって……店を出ていった。
足を早めて、そんな二人に近づいていく。
おそらく三度めの、接触。
可視化される、二人の記憶らしきもの…………
川で魚を獲ったこと、馬車で駆け回って落ちかけたこと、大きな宝石を贈ったこと。
優しく抱きとめながら騎馬で駆けたこと。
そしてある一夜のこと、それとは別の一夜のこと。
最後に、なぜか昨日のことだと確信した……また別の一夜のこと。
こ、これって、まさか……
えっちょっと、二人とも完全に……えっ?
これはまずい。実にまずい。
目が離せない。見ちゃいけない気がするのに、意識を切り替えられない。ドキドキする。
とにかくとても悪い気がして、裏路地に駆けこんでいた。
胸がドキドキする。うろたえているのが分かる。
なにをどうするのか、知識としては知ってたけど……現象として見るのは初めて。
これが、恋人同士の……そしてその先には、夫婦の…………
ってあれ、二人とも……女の身体? つまり、女どうしでって……てことは…………
つまり、『魔王』コアイは……
だからといって、それが何か影響するわけでもないのだけれど。それより……
それよりも、最後に意識させられた……「そのこと」ばかりが頭に残る。
「そのこと」、一夜のことばかりが気になってしまう。
胸がドキドキ騒いで、頭がこんがらがって、二人のことが焼き付いて。




