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私は、叛乱されない魔王に ~恋を知って、恋で生きて~  作者: 者別
余聞 安穏のなかで、ひとり鍛錬を
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閨にて整うお二人さま

 コアイの手には、湯の入った桶と空の(たらい)が持たされている。


「お楽しみ……とは、腰湯とはどういう意味だ」

 素直にそれ等を受け取りはしたが、それ等……特に盥を渡された理由に合点がいかない。

 そんな思考を表すかのように、コアイの視線は手持ちの盥に落とされている。


「え、そりゃ湯を張って……ああ、旅人さんこの辺は初めてかい?」

 下女はコアイの問いの、一部にだけ答えようとしたらしい。

 そうした理由も、やはりコアイには分からない。

 分からないが、()ずは話を続けることにした。


「湯を張っても、この深さでは腰まで()かることが出来ぬ」

「うん、だから腰だけタライに入れるのさ。そこに座るような感じでね」


 コアイは下女の話から、その所作自体は何となく理解できたが……そうする理由についての理解が深まらない。


 コアイは一旦スノウの意見を聞こうか、と考え部屋の奥へ振り向いてみた。

 しかし彼女は何時の間にやらベッドに寝転がっており、そこから何の動きも見せない……早くも眠ってしまったのだろうか。


 コアイは仕方なく、下女への問い掛けを続けることにした。



「それで、そうする意義は」

「ほんとうは薬草を煎じて湯に混ぜてやるといいんだけど、湯だけでもきれいにはなるからね」

 しかし、どうも下女との話はあまり噛み合っていない。


「そう回りくどいことをするのなら、風呂に入れば良いのではないか」

 そこでコアイは、浮かんでいた疑問をはっきり言葉にして()いてみた。


「あ〜やっぱり知らないのかい、この辺りはきれいな水が貴重なのよ。風呂に入れるだけの水を集めてたら、それだけで日が暮れちまうよ」

 不平を言うかのような下女の口ぶりだが、その表情はやや晴れやかに見えた。


 確かに、コアイは水を得る手間についての懸念をしていなかった。

 考えてみれば、これまでに何度も入浴したり、時には川で水浴びをしたが……その時には、水不足を感じることもなかった。



「旅人さんのふるさとは水が多いところなんだろうねえ、水の節約にも慣れてなさそうだし……もう一杯お湯を出しとこうか」

 そこまで言った頃には、下女の顔にはすっかり笑みが広がっていた。

 そしてそれと時を同じくして、下女の背後から別の声が聞こえてきた。


「おれ、てぬぐいもってきた、メリバン」

「おや、二本持ってきたのかい? いい気づかいじゃない」

 下女は声に振り向いて、手拭を受け取ったらしい。


「悪いけどお湯をもう一度沸かしといてくれるかい? 少し熱めにね」

 次の指示を出してから、メリバンという名らしき下女は振り向いた。


「お湯を追加しておいたから、まずはこれでよろしくね」

 そしてコアイに手拭を渡そうとして……両手が塞がっていることに気づいてか、二本とも桶の取手に掛けてくれた。


「じゃあ、ごゆっくり……お湯はあとから使えるように熱めにしておいたからね、それとお代もおまけしておくよ……ヒッヒ」


 下女は去っていった。

 その後ろ姿を見送って扉を閉めたところで、コアイは『お楽しみ』の意味を聞きそびれたことに気付いた。



 コアイは湯桶と盥を空いた場所に置いて、スノウの様子を見ることにした。

 ベッドの上で横たわる彼女に近付き腰を下ろすと、微かにベッドの軋む音が聞こえる。

 そのまま距離を保って彼女を観てみると、普段より寝顔が柔らかくほころんでいるように見えなくもない。酔い潰れたというよりは、食休みといった様子だろうか。


 彼女と話せないのは、少しさみしい。

 とは言え、幸せそうな顔をしている。それを邪魔したくはない。



 そう考えて、ただ彼女を見つめていると……先ほどの下女が追加の湯桶を持ってきた。


「おや、待ってたのかい? あとは明日朝までお邪魔しないから、ごゆっくりお楽しみを」

 コアイは湯桶を受け取って、扉に手をかけたところで思い出し……


「お楽しみ、とはどういう意味だ」

 と口にしたときには既に、下女は立ち去っていた。

 それに対して、湯桶を置いてから改めて目にしたスノウの姿は……ベッドの上で微動だにしていなかった。機敏に立ち去った下女とは対照的なほどに。




 ……綺麗にはなる、か。


 彼のような彼女(コアイ)は、ひとり部屋でローブを脱いで……聞いた通りに盥を使い、腰だけを湯に浸からせてみる。



 少し熱めらしい湯の熱は、腰のあたりから身体中に伝わっていく。


 それはあたたかいはずなのだが、どうやらコアイにとっては独りでそうしていることの切なさが勝っていた。



 側にいたい。声を聴きたい。触れられたい。

 けれど、無理に起こしたくない。



 腰を浸けたままで、眠るスノウの顔をひと目見て……ふと寒気のような震えを感じて、反射的に背を丸めていた。

 その動きで身体が縮こまって、その分だけ下に外れていた視線を再びスノウの寝顔へ戻す。


 するとコアイの心情を察したかのように、閉じられていた彼女の瞳が薄く開いていて。

 コアイは思わず両膝を抱き寄せていた。もちろん、彼女から目を離さないままで。



「ん〜……あれ寝落ちしてた? ごめーん」

 スノウは身体を起こして、少しコアイへ近寄ったところで動きを止めた。


「えっと……なにしてんの、それ? 服も脱いじゃって」

 彼女は眉を寄せながらコアイの盥を指差して問いただす。

 腰だけを盥に据えて湯に浸かるのは、どうやら彼女にも馴染みのない行為らしい。


「身体を拭き清めるついでにこうすると良い、と言われたから……試している」

 コアイは素直に答えたが、そう答えたところで恥ずかしくなった。

 彼女に見られているこの姿は、間抜けではないだろうかと。


 しかしここではまだ、スノウの視線が色味を変えていたことに気付いていなかった。



「あ、そうか、水不足ってやつかな……ま、世界は広いしそういうこともあるよね」

「そういうものなのか? あれで身体を拭き清めろと言っていたが」

 何やら勝手に納得したらしいスノウに、コアイは手拭の掛けられた湯桶を指して状況を説明する。


「しかし、この後どうするのか良く分からないのだ」

 とまで話し終えたところでコアイは漸く、彼女の眼が熱くコアイの皮膚を刺したように感じて……身震いした。


「ふふ、そっか……そうだね、とりま洗ってあげなきゃね!」

 彼女はそう言って勢い良く立ち上がった。その黒く潤んだ瞳を爛々とさせながら湯桶と手拭を手にして、


「んふー……」

 息を荒くしながらコアイの許へ駆け寄ってきた。


 コアイは身体を動かさなかったが、彼女に引き寄せられるような心地を感じていた。

 彼女の振る舞いを目と耳で追って、彼女に抱き締められたような高揚を感じていた。

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