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九 ホシイ、ホシイの、あれが

「多分、そこの赤い瓶に甘ワイン(オペ)が詰めてあると思う。納品に立ち会った時、この瓶は慎重に扱えと村人が言っていた」

 番兵の一人……ジョーだったか、男が部屋に置かれた棚の一つを指差す。棚の奥には、赤茶けた土瓶が二つ並べられていた。


「二本だけぇ?」

 悲しむような、甘えるようなスノウの声。コアイはそれが、胸の奥を緩く絞めてきたように感じた。それに対する、自分の声は出ない。声には出なかったが、彼女を満足させてやりたいという意識が胸中に拡がり、胸の締め付けを押し戻していく。



 しかし今は、これにばかり浸っている場合でもない。今この屋敷には、愉しみたいものがもう一つある。

 なかなかの魔力を具えた存在、此方(こちら)の魔力を捉えて心を乱している存在。


 この存在は、私の魔力を知覚して動揺しているのか? それとも、高揚しているのだろうか?

 この存在は、私を……どこまで? どのように?


 コアイはまだ(まみ)えぬ「敵」に、過度かもしれない期待を抱いていた。



「おーいし~~!!」

 悲鳴にも似た甲高い声が、コアイの意識を引き戻した。


「強いぶどうの匂いとバターみたいな風味が口の中でどろっとした甘さとまじり合って! それを飲み込むとかすかな酸っぱさと残り香! 最初の甘さがウソみたいな、はかない後味が! もっと飲めろとアピールしてくる!!」

 一体どうしたのだ、彼女は。コアイは呆然と、酒瓶を(あお)るスノウを見ることしかできなかった。


「ふたくち目も  おいっし~~!」

 スノウはとても幸福そうに破顔しながら叫んだ後、

「ふああぁ……これ最高(さいっこお)…………」

 と、しみじみと(つぶや)く。感動を口にしながら、(はかな)い後味とやらを噛みしめているのだろうか。


「あれ、お姉様、飲まないの?」

「の、飲まねえンなら、俺にも一口!」

「だめ!!」

 彼女は両手に酒瓶を保持し、手放そうとしない。私にも、けして飲ませる気はないようにすら思えた。

 しかしそれは、()ぐにどうでも良くなった。


 恐らくスノウの声を頼りに近付いてきた存在、その魔力はすっかり均衡を失い、焚き火の先のようにゆらゆらと振れていた。距離が近付いたために互いの魔力が干渉し、相互に揺らぎを与えられている。相手は、その影響を受けやすい性質(たち)なのかも知れない。が、実際のところそれは個人の戦闘力とあまり関係がない。コアイはそれを経験的に解っている。


 そしてその存在は何時の間にか間近に、扉の先に感じられた。


 私はここにいる、さあ闘おう!


 コアイは期待に浮かされ、思わず食料庫の扉を開ける。そこには、背の低い小太りの男と、同じく背丈は低いものの筋肉質な男の、二人がいた。


「な、なんだお前は!? 曲者め!? 何の用だ!?」

 小太りの男は早口でまくし立てた。コアイは一瞥(いちべつ)するが、そこに魔力の輝きはない。それを持っているのは、もう一人の男で間違いない。


五月蠅(うるさ)い」

 コアイは小太りの顔を肘で押し退け、もう一人へと近寄る。


「貴公が」

「お主が」

 筋肉質の男も、直ぐにコアイを認識したように思えた。


「闘おうか」

()るなら、こんな狭いとこじゃなく、外にしないか」

「それで良い、案内を頼む」

 話が早い。コアイは微かに、ぞくりと感じた気がした。



 男に付いて歩いていくと、屋敷の中庭らしき広場に出た。


「さて、俺はこいつを使わせてもらうが……構わんな?」

 男はどこからか斧を取り出していた。その刃は淡い緑色に光り、男の身体を照らしている。


「好きにせよ」

 コアイは先に番兵を締め上げた際の指の(きずあと)が、まだ(ふさ)がり切っていないことを確かめる。


「ぶつぶつぶつぶつ────」

 男は詠唱を始めたらしい。コアイはそれを妨げない。男の魔術でどれほどの事が起こされるのか、見てみたいからだ。


「────『裂流(フロウジョン)』!」

 男の持つ斧の刃先は色濃く輝き、深い森の夏色のような(みどり)(たた)えた。男は一瞬だけ視線を刃先に向けた。そして、その輝きを認めたような、満足気な表情を見せた。


「良し、行くぞ……『飛切(クロス)』!」

 男は突然叫ぶと、斧を振り下ろした。(はた)から見ればそれは、ただの素振りであった。しかしコアイには、己に向かってくる斬撃の波が見えている。指から己の血を鞭のように伸ばし、緑色の波を(はた)き落とした。


「ふむ、流石に()えておるか。ならばこうじゃ!」

 男は再び、斧を振り下ろした。緑色の斬撃の波がコアイを斬らんと飛来する。


「二度同じ……っ!?」

 コアイは再び血の鞭を振り下ろして斬撃を叩いた、しかし斬撃の波はその一筋ではなかった。叩き落とされた波の直ぐ後を、同じような波がいくつも連なっていたのだ。コアイは感心しながら血の鞭を振り上げ、振り下ろし、また振り上げと繰り返して連なる斬撃の波を打ち落としていく。


「ふむ、面白い」

「それは良かった、ほれもう一度!」

 男はもう一度、斬撃の波を連ねてコアイへ放った。ただし今回は、その直後に男が駆け出して波の束に追い付き、それを殴りつけた! 斬撃の波は少し乱雑になりながら加速し、コアイに向けて飛び掛かってくる!

 コアイはやはり血の鞭で全てを迎え撃ったが、数本の波を叩いたところで血が衝撃により霧散してしまう。

「ほう……」


 叩ききれなかった斬撃の波がコアイに襲いかかる。コアイは慌てずに魔術を想起する。詠唱を必要としない、魔族のみが扱える魔術の想起。


 土よ参集せよ、壁となれ、我が身を護れ。


 果たして、男に押された斬撃の波は、突如現れた土壁に全て阻まれた。

 しかし。

 男は斬撃とは別の方向から現れ、一思いにコアイの頭を割らんと斧を叩きつける!


 コアイの表情が歪む。


 恐怖でも、苦痛でもなく。喜悦に、歪む。

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