七 前夜災、トモ
「ねえ~、もっろ美味しいお酒ないのぉ??」
彼女は顔を赤くしながら、男に絡む。
「程々にな……どんな酒が欲しいんだ?」
「ん、甘いのがほし~」
「甘いの、か……あいにく、果実漬けは切らしてるしなあ」
この地域特産の甘い美酒、過去にそんな話を聞いた気がする。それを思い出したコアイは、男に尋ねてみた。
「以前、オーパ? とかいう酒が独特な甘さで美味いと聞いた。持っていないのか」
「オペのことか? ここらではマブロダ……紫のオペを作っている。だが、今あれを飲めるのは人間の貴族や金持ちくらいだぞ」
「それらも、すべて人間のものか」
「……ああ」
「気に入らんな、気に入らん」
腹立たしい。弱き者たちが贅を尽くすなど。
コアイは、過去に時折己の思考を支配した、昏い悪意を思い出しかけていた。しかしすぐに彼女の声が聞こえ、コアイはそれを忘れた。
「甘いのないー? 飲み足りないのに持ってないの!?」
「だから飲み過ぎだろお嬢ちゃん」
「良いじゃないか、飲みたいと言うのだから飲ませてやろう」
そうだ、彼女を喜ばせて……その楽しそうな姿を、眺めていよう。きっと、そのほうが私も楽しい。
「この辺りで、それを持っていそうな者の住処を教えろ」
「盗みにでも入るつもりか?」
「それは面倒だ。堂々と、無理にでも貰い受けよう」
男は失笑し、それを誤魔化した。
「ンンッ……アンタ本気かよ!?」
「この娘がそれを欲しいと言うならば、飲ませてやりたい」
それは嘘偽りのない、コアイの本心であった。
「フッ、ファハハ、アンタ、奇麗な顔して怖いもの知らずだなあ」
男は少し嬉しそうに笑った。
「ここを挟んで、ちょうど遺跡の反対方向に……代官の屋敷があるんだ。今年醸して領主に納めた分がまだ運び切れていないはずだ、少しは屋敷に残ってるだろう」
「そうか、助かる」
「飲みったりっな~い、飲みったりっな~い、飲み足りないから待ってるのぉ」
「行こう」
コアイは彼女の手を取り立ち上がらせた。
「次どこお? カラオケ?」
「甘くて美味い酒があるところへ」
「なあ、アンタら」
「なんだ」
「酒代の代わりと言っちゃなんだが、名前を聞いてもいいかい」
「私はコアイという」
「? そりゃお伽話の魔王の名前じゃないか? まあ詮索はしねえけどよ」
お伽話、とはどういう意味だろうか。コアイは微かに疑問を抱いたが、それは後で確かめれば良いことだと思い直した。
「この娘は、まゆむら」
「えっちがうよそんな名前じゃないよ~」
「いやそなた、さっきは確かまゆむらゆんぐっっ」
何時の間にか後ろに回り込んでいた彼女の手が、コアイの口元に強く押し付けられた。
熱い。彼女の手が、熱い。それを感じると、胸が高鳴る。
胸が高鳴る。口元から感じる彼女の手の熱さ、そして胸の高鳴りを意識すると、胸が早鳴る。高鳴りそして早鳴る私の胸は、同時にむずむずと狼狽えている。
彼女の手から私の顔に、熱が伝わる。それは熱い筈なのに、身体のあちこちが熱に反してぞくぞくと震えているのを感じる。これは、何事なのか。
わからない。頭にも熱が回り、考えがまとまらない。けれど、もう少し感じていたい。
コアイは動けないでいる。
「あっあはっ、そうね、あたしは、ええっと……その……スノウっていいます」
「んっ!? むぐぅ」
「アハハじゃあねおぢさ~ん」
コアイは彼女に引きずられながら外へ出た。
「また来てくれよ、飲みながら話でもしようや」
「これから悪いことしようって人が、気軽に本名名乗っちゃダメでしょ~」
「そういうものか」
彼女の手が一旦離れたからか、コアイの心身は平静を取り戻していた。
「お酒盗みに行くんでしょ、うちら完璧悪人じゃん」
二人はもう一度手をつなぎ、代官の屋敷を目指し歩いていく。
「それにしても、ヤバい夢だわ~」
夢、か。
「イケメンお姉さんとか酒泥棒とかは超面白いのに酒がまずいっまずいぞー」
夢、か。そうかもしれない。
彼女にとってここは見知らぬ世界で、私にとってここは居るはずのない世界。
しかし彼女と共にいるこの世界は、それだけで好ましいと感じられる。
夢、か。だとしたら、これは随分良い夢なのだろう。そう考えたコアイの心は、とてもあたたかかった。
一人では薄ら寒く暗い途も、二人なら優しい景色になる。
優しい景色に包まれながら、二人は代官の屋敷らしき建物に近付いた。
入口らしき門の傍には、棒状のものを持った番兵が立っている。彼らの佇まいからは、魔力も、技量も感じない。
「ス……ノウ? さあ、行こうか」
彼女を狙われなければ、特に問題はないだろう。
「えっと……あっ、そうだった! はい、よろしくてよお姉様」
「…………何だそれは」




