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心に根を張っていて

 給仕の男は、コアイの前に酒器を差し出した。


「今度のは、ちょっと好き嫌いが分かれるやつだ……俺は正直苦手なんだけど、これが一番好きだって人もいる」

  


「これはプオルとモルスリン、それとマルグ・ラーフを使ったものらしい……きれいな赤色で、見た目にも楽しめるよ」


 コアイは男の説明に聞き覚えのある単語が含まれているのに気付いたが、それは特に気にせず酒器を上から覗いてみる……すると中身の液体は先程の酒よりも鮮やかな赤、でありながら器の底がうっすらと見えるほどに透き通っていた。


「それと、料理を……」


 コアイが酒の彩りを見つめていると、それとは別に深めの器が供されていた。


 器の中央に肉と菜らしきものが入り混じった具材が盛られ、その周辺をやや茶色がかった赤いソースが囲っている。


「とりあえず、今ならこれが定番かな。ストローガという流行りの料理だよ」

「……またこれか」

 コアイは見覚えのある料理に、退屈な様子を隠せなかった。


「また……? あまりお気に入りじゃなさそうだね、良ければもう一品用意しようか?」

「そうだな、頼む」


 昨日と同じ料理……しかし良く見ると、所々に記憶と違う部分がある。

 中央の具材は少し大きく、肉や菜らしき形を保っている。

 周辺のソースは少し赤く、また別のソースらしき白い汁が添えられている。

 そして器の奥側に、昨日は見られなかった薄黄色の塊が盛られている。


 しかしコアイはそれらの違いによる料理の差異を確かめるよりも……先に、酒に口を付けてみた。



 すると何故か分からない、分からないが……全く無意識のうちに、酒器の半分ほどが飲み込まれていた。

 少しだけ口に含もうとしたはずなのに、酒のほうから喉へ流れて行ってしまったような。


 その流れがもたらしたものを、コアイはとても好ましく感じた。

 上手く言葉にできないが、自然とスノウの……彼女の眩しい笑顔が浮かぶような。

 それでいて、その好ましさは名残りもなく消えていった。


 例えるなら、中空に掲げられた(きら)びやかな宝玉が音も無く砕け、光とともに霧散するのを観たあとのような……いや、違う。

 気が済むまで彼女を抱きしめて、彼女のあたたかさに浸る……そんな夢を見て、それが夢だと悟ったときのような。


 彼女が笑顔のまま、薄れて消えていくような。


 コアイはふと溜息を漏らした。すると息の抜けた辺りに、別の顔をした彼女が浮かんだ……気がした。



 突然、胸が痛む。

 それを呼び起こしたのは……その直前に浮かんだ、間近な彼女の顔。

 仰向けに寝転がったコアイの上で抱き留められた彼女の、愛らしい寝顔……それを知覚したコアイの皮膚が、微かに震える。


 コアイは身を震わせたところで、「そのあと」に生まれた唇への感触を思い起こしてしまった。

 そして、ひとたびそれを意識してしまうと……胸から身体中へ染み込んでいくような、手足の指先まで染め上げてくるような心地好い脱力感が生まれて……それに満たされて、痺れてしまう。

 そして、すっかり満たされているはずなのに……なおも熱く、せつなく、何かを求めているのを自覚してしまう。



 コアイはあの時と同じように、身体の内側から繰り返し強打されているかのような音を胸の奥に聞きながら……顔が()けたように熱くなっているのを感じて(うつむ)いていた。




 ジュウジュウ、と何かがはじけるような音が聞こえて、コアイは我に返った。


「ぼーっとしてたようだけど、大丈夫かい? 急に飲みすぎたか?」

 声に反応して顔を上げると、給仕の男が皿らしきものを持って立っていた。


「……大丈夫だ」

 コアイは、不意に声をかけられたことを少し恥ずかしく感じていた。

 彼女が隣にいるわけでも、彼女の絵を見つめていたわけでもないのに……彼女への想いにすっかり入り込んでいた自分への気恥ずかしさ。

 それは、そんな自分を目にした者への怒り、憤りよりも強く。



「さて、こいつはどうだい? っとその前に、脂が服にかかるからこいつで受けてくれ」

 男はそんなコアイの気を知ってか知らずか……布切れをコアイに渡してから、皿らしきものを机に置いた。

 それはジュワジュワと音を立てて周りに脂を飛ばしながら、血肉の焼け焦げた臭いとは少し違った香ばしい匂いを漂わせている。


「アムレン、この時期に獲れる大きめのオンコウラの腹身の……要は鉄板焼きだね。これなら、お兄さんも満足だろうと思って用意してみたよ」

 コアイは言われた通り布切れを拡げて、黙って男の説明を聞いてみる。


「いい火加減で上手に焼けると、見ての通りたっぷり脂が出てきて味があって、それなのに全然しつこくなくてまぁウマいんだ。けどちゃんとしたアムレンを焼くには火加減が難しいから、ウチ以外じゃこの味は簡単には出せないはずさ」

 男は語りながら、先に出したストローガなる料理を机の端に寄せてくれた。


 やがて木皿の内側、鉄板の上で鳴るはじけるような音が……パチパチ……と、弱々しくなっていく。

 説明の途中で、布切れに脂避け以外の意味がないことを察していたコアイは布切れを除けてみた。


「あ、まだ脂が……」

「それは問題ない」


 斥力による護りを用いられるコアイには、飛んでくる脂を避ける必要などない……そうせずとも、それがコアイに届くことはない。



 料理から脂のはねる音がしなくなったら食べ頃だ……という男の勧めに従い、コアイはアムレンなる料理に手を付けた。


 それは、彼女が串に刺して焼いてくれた、美味しいと言っていた魚の味に……どこか似ていた。

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