六 キザシはシズカに熾り
「なんでぇ~マンサツだよ~~」
「マンサツってなんだよこのおっさんの名前かなんかか?」
既に酔っているかのように、顔を赤くしながら男女が言い合う。コアイはそれを、冷めた心地で見ている。
これだから、酒を好む連中は鬱陶しい。
「いいがら早くちゃんとした銅貨を寄越せっでの」
次に聞こえた、店主らしき男のがらがら声が切欠となる。
「五月蠅いな」
「あん?」
コアイは、耐えられなくなってしまった。男の声が耳障りだったからか、彼女が自分と話していない状況に苛ついたからか、理由はわからない。
「金など出さぬ、彼女が満足するまで酒を飲ませろ」
「な、なに!?」
「えっおねーさん? それはちょっと?」
「おいおい、ふざけたことを……」
「ふざけ? ふざけてなどいない」
「力有る者、彼は欲するものを得る。それが魔族の姿ではなかったか」
そう言ったコアイは、いつしか男が軽く笑みを浮かべていることに気付いた。それ自体は特段好ましいとも感じなかったが、それを見たコアイは彼女の微笑みならば、と思った。そのことは、少し心地が良かった。
「ははあ、どこぞの詩人にでも誑かされたか。いっちょ現実を教えてやろうじゃないの」
男は上着を脱ぎ捨てながら言う。
「特別だ、俺と力比べをしよう。アンタが勝ったら、今日は奢ってやるよ」
「力比べ?」
「あははっやっちゃえ~ おねーさんならイケるイケる」
いつの間にか、彼女はワインの器に手をかけて……いや、男が目を離した隙に一杯飲み干したらしい。器の一つが横倒しにされている。
「ん、お姉さん? アンタ、女なのか? ずいぶん奇麗なツラした兄ちゃんだとは思ったが」
「あの娘にそう言われた」
「え? ……ああ、まあいいや、手加減はせんが方法は決めさせてやるよ。手押しでも腕押しでもいいぞ」
「それは何だ、普通に手合わせしてはいけないのか」
男の表情が曇った。
「おいおい……そりゃ無しだぜ、アンタ自分が何言ってるかわかってんのか」
「自ずから誘っておいて、命を惜しむのか。小者が」
コアイの胸に不快な澱が生まれる。
「いや命ってのは大げさだが、俺ぁ山行きなんてごめんだぜ」
「何を、言っている?」
コアイには男の言葉の意味が理解できない。
「む……本当に知らないのか? アンタら、何モンだよ……」
「何のことだ?」
「ふぅん、俺をからかってるってわけでもなさそうだな。わかった、少し話をしてやる。一旦座ろう」
男は椅子を取ってコアイの前に据えてから、少し離れた別の椅子に腰掛けた。
「それよりおかわりちょーらい、別のやつ」
「えっ」
「ところでアンタら、一体どこから来たんだ」
「分からぬ。気付いたら屋敷に居た」
「わかんなーい、気付いたらおねーさんに持ち帰られてた」
「あ、ああ……? ま、まあ詮索する気はないんだ。ただ、人間の法を……人間を、まるで恐れていないのが気になってな」
「人間の法、だと?」
「ほーりつをまもろー」
「ああ、細かいところは村々で違うだろうが、どこでも人間の許可なき鍛錬や試合は禁じられている。もし奴らに見つかって捕らえられたら、徒刑を受けることになる」
「とけいをうける?」
「鉱山や荒れ地なんかに駆り出されて、碌な飯も食えねえ所で何年も働かされるのさ。途中でおっ死んじまう奴も……大勢いる」
男の声が、少し沈んで聞こえた。
「待て、どういうことだ」
「どうした?」
「何故、魔族が人間などの法とやらに従うのだ」
コアイが生きた時代はもちろん、目を通した限りの書物に記されていた過去においても、魔族が人間に従うなどあり得なかった。そのようなことは、考えられなかった。
「何故、と言われてもな……人間の兵士は数が多くてな、今の俺達では勝てない。昔は、魔族のほうが強かったらしいんだが」
「ねーおかわりまだ~」
「おいおい、飲み過ぎじゃないか?」
「飲まなきゃやってらんない日だってあるでしょが~」
男は嘆息しつつ、酒を用意してやる。
「まあそんな感じで、今はどこも人間中心の社会になっちまってるんだ。だから、魔族の姿だとか、誇りだとか……そんなもんはどこにも無いんだ」
男は少し寂しそうに、独り言ちた。
「なんか俺も、今日は飲まなきゃやってらんねえなぁ……」
男の話を聞く限り、現在この世界は人間たちに支配されているらしい。弱き者たちが、随分と偉くなったものだ。しかしそれ自体はどうでも良い。誰が世界の支配者であろうと、私の邪魔さえしなければ別に文句はない。
コアイはそう解釈していた。
彼女が、美酒を求めるまでは。




