五 ソレらの名と実
屋敷の周りには森と小径があり、小径は集落へとつながっているらしかった。一人では色の視えない路も、二人ならきっと楽しく、歩いてゆける。
コアイは彼女の手を取り、遠くの灯りを頼り、暗い夜道を通り。時々彼女が星空を見上げようと立ち止まるのに合わせながら、自分でも星を見つめてみる。
天上の星々は様々な色の輝き、光の瞬きを見せるという。人間はそれらを愛で、翠魔族はそれらから気候や収穫の豊凶を推し量り、緋魔族はそれらを魔力に、糧に変えるという。
それらはいずれも、以前のコアイには解せなかった。星々の煌きを愛でることも、それらから何かを読み取ることも、それらに力を感ずることもなかった。
しかし今なら、少しだけ解る……ような気がしている。
コアイは手に熱を感じながら歩き、時々彼女に視線を向ける。
「ねえ、おに……ねーさん、名前はなんていうの」
「私は、コアイという」
「コア……イ?」
「やはり口にしづらいか」
コアイという名は、昔からどうもこの世界の者たちには馴染まない響きのようだ。彼女は異界の者だが、ふと昔のことを思い出した。
「コアイ……コアイ、コアイ……コ」
彼女は何度か繰り返し、何か腑に落ちたらしい。
「ねえ、アイコって呼んでいい?」
「アイ……ク?」
「アイクじゃないよアイコだよ」
「アイクォー?」
変な響き、変な名前だと思った。
「良いでしょ~?」
「……それはやめてほしい」
「いーじゃんノリ悪いなあ」
彼女はがっかりしたのだろうか。その表情も変なのだが、これは少し好ましい。
「ところで、そなたの名は」
「アッ、ハッ、ハイッ!?」
突然、彼女が声を上ずらせた。
「ハイ、ワタシは……」
彼女は突然表情を固くした、動揺しているようだ。名を訊くのはまずかったのだろうか?
「ワ、私は眉村ゆきの と申しまス! 北川大学から来ました!」
彼女は腕も脚も背も直立させ、固い表情のまま声を張り上げた。と、思いきやすぐに溜息を吐きながら座り込んでいた。
「はあぁ~……」
「大丈夫か」
彼女はこちらを見ながら、無言で手を差し出してきた。取れば良いのだろうか?
コアイはゆきのの意図を理解しきっていた訳ではないが、その手を取りたくなり己の手を差し出した。触れた手が少し震えていた理由をコアイは知らないし、将来においても全てを理解することはないだろう。しかし、それは重大な問題でないとコアイは思っている。今、己と彼女がこの世界に在り、彼女に触れられる。それならきっと大丈夫だ。
二人は次の句を継がず、木々を縫うように道を歩く。時折ふらつくゆきのをコアイが支えながら、いつしか二人は集落の端に辿り着いていた。
「さて、酒場があれば良いが」
「のもー、のもー」
彼女が元気な声を上げた、久しぶりに声を聴けたようでコアイは楽しい心地になった。
「無ければ、適当に供出させよう」
「あれって、酒かなあ?」
彼女が指差した先には、入口の傍に樽を置いた家屋がある。あれが酒樽ならば、恐らく酒場を示すために置いてあるのだろうが。
「行ってみよう」
コアイは迷いなく家屋へ歩み寄り、ドアを開けた。
「客か? いらっしゃい」
中では屈強そうな男が一人、椅子に腰掛けていた。男が掛けている以外にも何組かの机と椅子が置かれているが、それらは使われもせずただ並べられていた。
「見ての通り他に客はいない、適当に座ってくれ」
「酒でいいかい、お二人さん」
「何があるの~?」
「ウチはワインを置いてる、白と紫があるが」
「じゃあ私は白で、コアイは?」
「……同じものを」
「あいよ」
男は返事をして離れていった。
「ここ、ワインしかないのかな? ワイン専門のお店とかあったっけ?」
「なにか、気になるのか?」
「ビールとかないのかな、って」
「ビール?」
二人話をしていると、男が取っ手の付いた器を二つ持って戻ってきた。
「白二つ、六ディルだ」
「ろくでぃる?」
「高いか? 安い方だと思うがな」
「高い、安い……お金のこと? 今払うの?」
「そりゃそうだよ、何言ってんだ?」
そういえば、金目の物を何も持っていなかった。さてどうするか……コアイは解決策を考えてみる。
「お金……これでいい?」
「なんじゃこりゃあ」
彼女は包みのような物から銀貨のようなものを数枚取り出してみせたが、男は納得していないようだった。そんなことをせずとも脅し取ればいいだろう、力あるものが糧を得る。それが現実だ。コアイはそんな結論を得たが、少し様子を見てみる。
「こりゃ確かにいい輝きをしてるが……が、一体どこの銀貨だ? 随分軽いようだが」
「あれ、使えない? じゃあこれ」
「ん、なんだあ? 人の絵が描いてあるのか……本の切れ端かなんかか?」
「えぇ……」
ああ、面倒な連中だ……
二人のやり取りを見ていたコアイの、率直な感想であった。




