一 叛乱されたキオク
「コアイ様、大変です! お屋敷が魔族の兵に囲まれています!!」
裏切り? 私はすぐにそう察したが、我ながら意外と冷静であった。
何度も経験することで、徐々に慣れていくのだろう。得てして魔族とはそういうものなのだろう。
首謀者はクチュルクかアンクゥか、任地と実力を鑑みれば恐らくどちらかであろう。
フフ、私を討たなければ、反乱に意義はないぞ。
私は鉄面の下で静かに呟きながら、首謀者を待つ。
「──来たか。クチュルクか、アンクゥか、それとも?」
「俺だよ、俺が出たんだよ」
赤らんだ肌をところどころ露出させた、背の高い痩せぎすが名乗り出る。
「アンタに使われるのも飽きてきたんでね」
「……コアイ殿、私はクチュルクに付かせてもらう」
全身を黒光りする甲冑で包んだ、堂々とした体躯の男が小声で続く。
長身のクチュルクと鎧武者アンクゥ、二人が肩を並べ堂々と玉座に歩み寄ってきた。
ほう、二人ともやる気なのか。
私は謀反に少し腹を立てつつ、全力での闘争を予感し悦んでもいた。身体の奥が疼いている。久しい、そして心地好い。
「クチュルクとアンクゥ、外にも兵か……なれば加減はせぬぞ」
クチュルクは嗤いながら壁に穴を開ける。
「ざぁんねん、アンタはろくに力を出せないままくたばるんだよ。外見てみろよ」
私はクチュルクの嗤い声に少し不快感を覚えつつ、外に目をやる。
あれは、クチュルクの眷族と……人間?
クチュルク、こ奴は人間に与するような男でも、このような醜悪な笑みを浮かべるような男でもなかったはず……何がこ奴を変えてしまったのだ。
この男は、軽口を叩きつつも……純粋に強さを願い、勝利を求め駆け回る陽気な男だったのに。私や他の強者達を真っ直ぐな目で見つめ、その戦技を盗んで実力を付けていった爽やかな男だったのに。
「なんでも、魔族の祖先と人間の神、両方の力を借りられれば……例えアンタが相手でも力の大半を封じ込められる、らしいぜ」
「人間の入れ知恵に拠って、刃向かうのか」
「ああ、そのための秘法も用意してんだぜ」
私は心底呆れてしまった。何十年、何百年か思い出せないほど長く、共に戦ってきた忠臣。私はそう思っていたが──こやつにとっては、私はたった一度助力するだけの人間より軽い存在らしいのだ。
そう考え込むと……抗うことすら面倒になってくる。
しかし、それはこの者等と闘わぬ理由にはならない。
「他の者は、退がれ……」
「さあ見せてみよ、その秘法とやらを」
「もちろんそのつもりさ」
クチュルクは懐から紅い石を取り出し、握りしめながら詠唱を始めた。
「来たれ来たれ、来たれ」
「汚穢を、排するために」
「来たれ守人よ、来たれ」
「楽園を、失くさぬために 『渦炎剣』」
クチュルクの術を、発動する現象を、受け止めてやる。
その上で、こ奴等を叩いてやろう。
私は、そう考えていた。
詠唱の後、クチュルクの掌から飛び出した紅く輝く渦が私を包む。しかしそれがもたらすだろう熱や力は、私にはまるで届かない。
この程度で、私を……?
「何かの冗談か?」
私は呆れながら指先を囓り、出血させ……血術を起こそうとした。
しかし。
「よっしゃ! うまくいったぜ!」
何も起こらない、私の血が動かない。
「へへっ、かかったな! 何もできねぇだろ!」
「……恐ろしいものだ」
私は魔力を想起し、詠唱してみる。
「風よ我が刃よ、『突風剣』」
魔力が鋭い風刃として具現化された、はずだったが。
「くっ!? ……あービビったあ」
「何もされていない、落ち着けクチュルク」
何も起こらない、私の魔術が発動していない。
「……どういうことだ」
「ウルスラから聞いた通りだ……俺にゃよくわかんねえから、アンクゥ説明してくれ」
「神々の力と我々の力を合わせた秘法で、世界の境界を増やした。コアイ殿はもはや、この世界の外に存在する……ようなものらしい」
「というわけで、もうアンタはその渦の中でしか居られねえんだとさ」
「言わば封印、か」
今、私には、何もできないらしい。
これが魔術によるものなら、何時かは解けるだろうが……どれほど続くかは分からない。
あるいは、神の秘法とやらが魔術を超える永続的なものならば……
それが私の行く末ならば……仕方がない。
「ならば一つだけ、助言をしておこうか」
「うーん……とりあえず聞いておくよ」
「力を併せれば私をも抑え込めるということ、それはすなわち、御主らなど後で如何様にもできるということだ。留めておくがよい」
クチュルクの反応は薄かった。
「はあ、そんなことか。俺はウルスラ……あの娘を、あの子とあの子が信じる人間たちを信じてるからさ」
「……私は、そんなお前を信じる」
そうか、女か。
クチュルクはどうにも締まりのない顔をしている。こんな情けない顔をする男ではなかったはずなのに。
アンクゥはクチュルクに顔を向けている。その顔を見て、少し呆れているのだろうか。それでもなお、クチュルクのためにと裏切られた私には、まるで関係のないことか。
それにしても、私にはついぞ分からない価値観だった。私は永く生きた。多くの種族を見、魔族を従え、多くの者を屠って生きてきた。
知性を持って産まれた生命として、この世界で識り得る殆どを識り、殆どを恣にしてきたはずであった。そんな私が、彼らには身近であろう事柄を最期まで僅かにも理解できなかった──というのは少し心に残る、か。
孤独な私は、玉座に腰掛け…………誰を信じることもなく自ら意識を閉じた。
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「これ、どうすりゃいいんだ? 首を取るどころか傷すら付けらんねえぞ」
「……魔術も、まるで効いておらんな……」
「一旦戻り、例の娘に訊いてみてはどうだ」
「そうすっか、戦勝報告にもなるしな!」
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ふと、身体中に纏わり付く霧が晴れたような、そんな感覚がした。
それからしばらくして、気がつくと私はとても見覚えのある玉座に座っていた。
これは一体、どういうことだろうか?
もしや、彼の術が解けて……?
「な、なんかすごく厚着してるやつが出てきた……」
「どうしようミィナちゃん、魔族? っぽい体形だけどマスクで顔がわかんないねえ」
声の先では、魔族の子と思しき小さな娘二人が戸惑っていた。その物言いは、外見の幼さにしては少し大人びている。また色白なその耳は、上向きに尖っている。
つまり娘達は、森の近くならばどこにでも居そうな典型的な翠魔族の娘という姿をしている。
「む……めよ……」
「ひぃっ!? しゃべったぁ!?」
話しかけようとしたが、上手く声が出せない。身体が弱っているのか? 声以外にも、様々な力が衰えているのだろうか。まあそれは、追々確かめよう。
「きゃああああぁぁぁー!!」
「まっ……て……」
娘達は壁の穴、少し忌まわしげな横穴から外へと逃げ出してしまった。
しかし私には、追いかけることが出来なかった。身体も思い通りに動かないが、それ以上に、まず「追いかけよう」という程の気力が湧かなかった。
辺りは澄んだ静けさに支配された。今、恐らくこの近辺には先程逃げた娘たちの他には誰もいないのだろう。
とりあえず身体の動きを最小限に、視線を動かす。周りには、見慣れた配置の玉座の間……だったと思しき古ぼけた内装しか見当たらなかった。
まずは現状を、取り急ぎ部屋の外の様子くらいは確認すべきだろう、そうは思うのだが……動きたくない。
とかくこの世は面倒だ。なぜそう思うのかも分からないが。
怠い。まだ、座ったままでいよう。
怠い。
────いつしか、眠っていたような気がする。
どれくらい眠っていただろうか? 分からない。分からないが、さすがにそろそろ動かなければならない気がする。先の娘たちが、敵対者を連れてこないとも限らない。
しかし、私の身体はそれを拒む。
娘たちがいた頃とはうってかわって、身体の感覚がはっきりしている。だからけして動かせないわけではないはずだ。だが、動きたくない、働きたくないんだと感覚が伝えてくる。
しかし、思考は……悪くない気がする、そのうち何か思い付きそうだ。
ふむ……そうだ、閃いた。
久しぶりに、『異神召喚』をしよう。そして当面は喚び出した者に働かせてみよう。上手く行けば動かずに済むし、現状での魔力の質と量を測る機会にもなる。
私は手袋を片方外し、指の腹を囓った。皮膚の上に、血が滲む。私の血が、外界と繋がる。
私は指先の血に命ずる。足許の床に想像した召喚陣を、その通りに描けよと。
私が手を差し出すと、指の切っ先から血がとろとろと流れ出す。朱い流体は徐に、それが在るべき姿であるかのように整然と召喚陣を象どった。
指の出血は既に止まっている。過不足なく、召喚陣を象どる量だけ血が失われていた。
ここまでは順調だ、少なくとも自分の血を意のままに操るだけの魔力は残っているらしい。
私はその血で象られた環の中に入らぬように気を付け……といっても玉座から立ち上がってもいないが、ともかく私は左手を高く掲げながら指を召喚陣に向ける。
そして、
「mgthathunhuag La-la!!」
私は、どこで知ったかも解らぬまま何故か今も覚えている、この世界の言語とは異なる呪文を発声した。
赤い召喚陣が、色を喪う。
召喚陣は周囲の色を、光を吸い取りながら自らも艶のない闇色に染まっていく…………
闇色は更に周囲の空間を侵し、やがて私以外の全てが、冥く冥く沈み込んでいく────
その後に、光があった。