とめどなく愛は溢れる
時計の針が日付変更を知らせ、更に2時間ほど刻んだところで宴会はお開きとなった。
当然のことながら、子供たちはとっくに床につき、それにつられたコテツも並んですやすや寝息を立てていた。最終的にはガルウェインに担がれて連れて帰られたが。
「あー・・・、少し酔った・・・」
かなり酒に強いアリマも頭を抱えて、少しふらふらしている。
「いくら明日は休息日とはいえ、これでいいのか俺たち・・・」
こんな所を一般人にでも見られようものなら、円卓の騎士のイメージはガタ落ちを免れない。
一部の声では騎士たるものが酒など飲んでいいのかという声も上がったが、騎士も人間なのでそこまでは束縛できまいと、真面目な騎士団長もさすがに禁酒は命じなかった。
それ故に時々騎士が問題を起こすこともある。それを収めるのももちろん黒馬の仕事だ。
「おーい、起きてるかー、ベル?」
「・・・・・・おきられない」
アリマほど酒に強くないベルヴィアは机に突っ伏している。先程まではライオロットと会話したり、にぎやかなこの場を愛おしそうに聖母の笑顔で見守っていたが、今ようやく酔いが回ってきたようだ。
「さすがに風呂は入らなきゃなぁ・・・」
そう言って、ふらつく足を進める。
何度か壁に激突しながら歩みを進めて、浴室の戸を開くと、窓辺に月明かりが溜まっていた。
手にはめていた指輪を1つ外すと、指輪はその直径を人の頭より大きいくらいにし、宙に浮く。その円の中は空間がねじ曲がっているように、景色がぼやけて見えない。
そして所有者がある魔法を唱えれば、不思議なことにそこから浴槽に向けて勢いよくお湯が注がれる。
これにより自動的お湯張りである。
「次・・・」と、人が出入りする大きさがある窓を開いて、彼は外に一歩踏み出す。
露天の浴槽にはまだ水が入っていない。ギシギシと音を立てて浴槽を真一文字に横切り、手すりに手を着く。
月に誘われたのか、ふらふらとした足取りは更に歩みを進めようとする。しかし手すりがそれを阻む。その先に道はない。目下には丘の下に建ち並ぶ家々が月明かりを浴びる様子が見える。
「ふぅ・・・。ちょっとだけ酔い冷めた気がする」
くるりと回って、手すりにもたれる。
「すぅ〜、はぁ〜、けほっけほっ・・・」
大きく息を吸い込めば、澄んだ空気が肺を満たし、酔いがすーっと夜の空に抜けていくような気がする。
しかしどうしても出てしまう咳は、過去の代償であり勲章でもある。
咳で曲がった背筋を伸ばし、そっと視線を前にやると、月明かりで視界が開けた。そして、
一糸まとわぬ姿を、申し訳程度にタオルで隠したベルヴィアが映りこんだ。
・・・・・・・・・・・・・・・。
「あれ・・・、ごめんベル。まだ外はお湯張ってなくて・・・」
さすがに夫婦。
今さら相手の裸を見たところで初心な少年のように、焦ることもなければ、照れることもない。しかし内心、視線が顔より少し下に逸れようとしていたようだが。
「今張ってるから、それまで中の方に浸かってて・・・って聞いてます?」
彼の忠告も彼女の耳には届いていないようで、先程と変わりなく空っぽの浴槽を横切って、とろんとした顔で愛する者の方へ歩みを止めない。
それは酔いによって理性が置き去りにされた人間の本能だった。
「ねぇ・・・、私を・・・おいていかないで・・・・・・」
「はいはい、お前は理性を置いていかないで」
裸同然の格好で抱きつかれても、彼にとってみればやれやれ・・・というような感じだった。
彼女は酔いが回れば甘え上戸になるということは、周知だったから。
気にせず同じ要領で、露天浴槽にお湯を張る。
そしてちょうどいい加減に湯が溜まったところで、彼女を引き剥がし、お湯につけてやる。
が、しかし、
「いかないでぇ〜・・・・・・・・・」
「のぼせないうちにあがってね。俺も入りたいから」
その言葉には、はやく入りたいというそのままの意味と「倒れられるとめんどくさい」という皮肉が込められている。
しかし今の彼女に皮肉は通じない。
「じゃあ一緒に入って」
「まあそうなるんですよね」
幸いか不幸か、この浴室は浴室というより浴場とも言えるほどに広い。浴槽も二つあり、両方とも泳げるくらいの大きさだ。なので家族全員で入ることもよくある、のだが。
「今、一緒に入ると変な空気になりそうだからやだよ」
「じゃあ、背中あらって?」
「・・・・・・本当に背中だけ?」
「うん」
ならばいいか、と室内の椅子に座るよう促し、素直なベルヴィアは、犬が尻尾を振るように従い、ちょこんと座った。
そしてアリマは棚から石鹸をとり、その真っ白な背中と向き合う。
白く、細く、しなやかで。彼からするととても頼りない背中だった。
しかしこんな背中に彼女もとても重たい物を背負っている。国や民の命。とても人一人には重すぎる荷物。
それは13人の円卓の騎士に、無数人の聖騎士に課せられた使命だ。彼女も自分もそこに名を連ねている以上、背負わざるを得ないのだと。
その騎士たちが集まって、今日羽目を外したのは何のためか。それは普段背負ったものを下ろして、忘れるためだ。
いわば労いなのだ。
国民は自分たちに歓声を与えてくれるものの、感謝を言葉にしてはくれない。永らく自分らの身を守ってくれる懐刀は、いつしか当たり前の存在になっているから。
だからこうしてたまに皆で集まって騒いでみたり、ぼやいてみたり、堅苦しい規則義務や理性を振りほどいて、本能のままに欲望をさらけ出さなければやってられない。
普段から委員長気質のベルヴィアなどは特に。
「じゃあタオル貸して」
背中を洗うための催促に、ベルヴィアはふるふると首を横に振る。
「タオルだめ。手で洗ってほしい・・・・・・」
「さいですか・・・」
これも労い、と手に取っていた石鹸をそのまま擦り泡立たせ、ぺたっと両手で背中の真ん中に触れる。
「んっ・・・・・・」
「変な声出さない」
「だ、だってっ・・・、気持ちいい、あっ・・・!」
背中全体へと手を走らせる。洗って欲しいと言ったのは彼女なので、遠慮もない。
肩甲骨から肩周り、脇の下にも軽く手を伸ばし、腰のあたりまで背中の曲線に沿って。満遍なく洗い上げたところで、指輪を召喚してお湯を流し、手で泡が残らないように流す。
その間にベルヴィアの変な声は止まらず、外から声だけ聞けば、風呂場で何してるんだ、と言われてしまうだろう。
もののたった数分だったが、鏡に映るベルヴィアの顔は悦に染まっていた。
「気持ちいい・・・。シロウ、女体洗うのが上手・・・」
「なんて卑猥で役に立たなそうなスキルだ・・・」
「じゃあ次は前、洗って?」
「この嘘吐き!」
さすがに労いといえどそれは聞けないと、アリマは立ち上がる。
「お前、さっき背中だけって言ったじゃん!」
「何? もしかして恥ずかしい・・・? 私の身体なんてもうたくさん触ってきたのに?」
「否定できないのが悔しい!」
二人は夫婦だ。さらに子まで授かっている。然らば、やるべき事もやって来ているということだ。
しかしてアリマは酔っ払いに丸め込まれていることを嘆く。
「ねぇ、一緒に入ってくれないの・・・?」
「もうこれは一緒に入っているも同然なんじゃないかな!? 俺が服を脱いでいないだけで!」
「シロウの裸・・・見たい・・・」
「それはただの変態だぁー」
平和?で穏やかな?夫婦のやり取りはそこで終焉を告げた。
話し合いで丸め込めないと観念したベルヴィアが、手をわきわきさせながらアリマに迫る。
「優しく、脱がしてあげる・・・から・・・!」
「くっ、来るな! 変態!」
子供が寝静まった夜遅くに夫婦の熱い夜が始まる。
比喩なんてない言葉通りの意味だった。しかしかたや追い詰められた哀れなウサギで、もう片方は獲物を追い詰めた捕食者の目をしている。
「言うこと聞かない悪い子には・・・、その身体に教育が必要・・・・・・」
「そのニュアンスの身体に教育は危険な匂いしかしないっ!」
そう言いながらもアリマは、ベルヴィアの背中を流した指輪をすっと彼女の背後に忍ばせていた。
(今日の酔いは少し度が行き過ぎてる。これで目を覚ましてもらおうか・・・!)
「大丈夫。ちょっと脱がせて確認するだけ。どれだけ筋肉ついたかとか見たり触ったりして・・・・・・・・・舌で」
「舌って言った!? ヤバみが予想の上を行ってるんだけど!? 普段の俺の嫁ならそんな卑猥発言はしない! どエロ淫魔悪霊退散ー!」
背後を取っていた指輪から勢いよく水が流れる。それはさっきみたいなお湯ではない。冷たい真水だ。
完全に不意打ち、先制攻撃だった。しかし、
「・・・・・・あまい」
「なっ!? わぷっ!」
ベルヴィアは虚をついたその放水をかわす。そして勢いよく流れ出た水は、その正面にいたアリマの顔面に直撃。
その一瞬だったが彼は視界を奪われる。不意打ちのはずが隙をつくってしまった。
そして今のベルヴィアには、その一瞬で充分だった。
さっとアリマの背後をとった彼女は、右腕を首に回し左手でしっかり閉め、ヘッドロックの体制をとる。
その立派なものが生で押し付けられているとか、もうどうでもよかった。アリマの頭の中では、危機を知らせるサイレンが鳴り響いている。
「はやっ!なぜ酔っ払いのくせにそんな動きができる!?」
「これも愛の力・・・・・・」
「それ間違い! 今のベルにあるのは・・・・・・欲、望の・・・力、だろ・・・・・・・・・」
ベルヴィアの左手がアリマの口元に回され、その瞬間に全身から力が抜けたように、彼は崩れ落ちる。
そっとなぜか眠ってしまった彼を膝の上に寝かせるベルヴィアの左手は、黄緑色の光に包まれていた。
「ふふっ・・・。やっと素直になった・・・私の可愛い人」
寝息を立て始めた彼の髪を愛おしそうになでるベルヴィア。そして赤子を抱くように、その胸に抱きしめる。
「私の・・・愛する人。今も・・・これからも・・・、ずっと傍にいてね・・・・・・」
囁かれるその言葉に返事はない。今の彼は、彼女の欲望を満たすための人形と化しているから。
アリマの生きていた世界では、彼女のことを「ヤンデレ」とでも言うのかもしれないが、今の彼女の顔は病んでいるというより、至悦の顔だった。
愛に飢えた者は恐ろしい。普段からそのとめどなく溢れる愛を、こらえて内に秘め続けている者ほど、本性を解放したとき恐ろしいものはない。