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月が隠れるとき

雲の下、瞬くもの

作者: いちい千冬

以前活動報告で書いた「とある役人たちの会話」の大幅修正・加筆版です。

時系列としては「月と雲と星々と」の直前くらいです。




「あーもう、やってられっかってんだ」


 舌打ちしながら帰ってきた同僚に向けて、スマルトはおー、と片手を上げて見せた。


「お帰りユンド。どうだった朝議は」

「けっ」


 決まり文句として聞いてはみたが、彼の仏頂面を見れば明らかだ。


「今日も今日とて、なーんにも決まらない」

「……まあ、そうだと思ったよ」


 ヒュイス王国。

 決して大きくはないが小さくもなく、それなりの歴史を持ったこの国は、非常に危機的な状況に陥っていた。

 政治的にも、経済的にも。

 つい先日、国王陛下と宰相閣下が突然揃って引退してしまったのだ。

 引退、といえば聞こえはいいが、片方は強制的な隠居、片方は自発的な国外追放である。


 彼らを国政から追い払ったのは、世継ぎである王太子ジェンティアンとその一派の貴族たちだ。

 理由は、二人が権力を振りかざして政を私物化したから。

 国内外から賓客を招いた大規模な夜会において、彼らは宰相オーキッド・レイズンを糾弾。王太子は、その一人娘である令嬢との婚約も次期王妃にふさわしくないとして破棄した。

 その勢いで、国王を離宮へと追いやり政から遠ざけることにも成功。現在、国の実権は王太子派と呼ばれる人々によって握られている。


 これらを聞いただけなら、人は「よかったね」と手を叩くだろう。

 横暴な政治を行っていた悪人たちが追いやられたのだ。これから平和が訪れるにちがいない、と。


 が。これにはいくつか問題があった。

 公衆の面前で宰相に突きつけた罪状が、まったくの出鱈目であったこと。

 宰相が、その場できっちり濡れ衣だと証明しこれを返り討ちにしたこと。

 にもかかわらず、混乱を招いたとして宰相自らあっさりその地位を退いたこと。

 そして、これによって俗に宰相派と呼ばれている優秀な人材が次々に辞表を出していること。


 なにより“悪人たち”の統治下、王国がそれなりにちゃんと平和だったことだ。

 というか、様々な要因から傾いていたヒュイス王国を立て直したのが、前述の二人なのである。


「やっとやる気になったんだろ? 王太子殿下」

「やる気があるのは大変けっこうなんだけどな」


 ユンドは吐き捨てるように言う。

 そこにはすでに敬語もへったくれもなかったが、スマルトも気にしない。


「進行役を差し置いて仕切ろうとするから、話がぜんぜん進まねえんだよ。朝議がどういった場なのか、分かってない」

「……いままで出て来なかったからな」

「その内、あれも無くなるだろう。毎回あんな調子じゃ、開いても無駄だ」


 現国王と元宰相が始めた朝議は、身分を問わず広く意見を交換する場である。

 貴族はもちろん、ユンドのような平民出の官吏でも、場合によっては一般市民でさえ出席する機会を設けられている。

 もちろん王太子にだって参加する権利はあったが、これまでは顔を出したこともなかった。

 国王と宰相のやる事成す事すべてを毛嫌いしていたからだ。

 その殿下が毎回朝議に出席しているのは、少々意外ではある。

 だが、これでは意味がない。


 朝議の進行役は、全ての意見において平等でなければならない。

 しかし王太子は、国王と元宰相に近しかった者たちの意見は聞き入れない。

 聞こうという姿勢すら見せない。

 そこに理屈はない。対案があるわけでもない。ただ、反対なのだ。王と宰相がいた時と同じように。

 こんな対応をされれば、どんな有能な官吏でも、いや有能であればなおさら辞めたくもなろうというものだ。

 退いた二人に、どれだけ頼まれていたとしても。


 王太子は気付いているだろうか。

 宰相の言いなりで他の諫言を聞き入れようとしなかったと、そう決めつけた父王と自分の有様が同じだということに。

 そして彼が味方につけた貴族たちこそ、政を私物化しようと目論んでいる輩だということに。


「あーあ。またお貴族サマの横暴政治に逆戻りか」

「お前もいちおうお貴族サマだろ」

「一緒にするな気分が悪い」


 指をさされて、スマルトは眉をひそめた。


「貴族といっても端くれだ。残念なことに、あいつらのやり方じゃ端くれまで恩恵は来ないんだよ」

「そうそう。そうなんだよ!」


 朝議でのやりとりを思い出したのだろうか。ユンドが声を荒げる。


「ちょーっとでも奴らにとって不利だったり面倒だったりしたら速攻で却下だからな。いままで抑えてたのが陛下と閣下だったのに」

「王太子はあいつらの言いなりだからな」

「とくにマルベリーの野郎にな」


 スマルトはため息を吐き出した。

 マルベリー卿。現在もっとも力を持つ大貴族にして、王太子の現在の婚約者ローズ・マルベリーの父親でもある。


 とんでもないのに捕まりやがった。

 それが、宰相派の官吏たちの共通の意見である。

 前の婚約者が気に食わないにしろ、熱を上げたのがよりによっていちばん権力欲が強いタヌキ親父の末娘とは。

 宰相を追い出そうとしたのだって、実は義憤にかられたわけではなく宰相の一人娘との婚約を破棄したかっただけではないのか、と言われている。


「他人の好みをどうこう言うつもりはないけどさ。なんでフロスティ嬢じゃなくてあの令嬢なんだろうな」


 つい、呟いてしまう。

 きらきらと黄金色に輝く髪に、大きく明るい栗色の瞳。そこに居るだけでぱっと周りが華やぐような、 ローズ・マルベリーは生粋の貴族令嬢である。

 見惚れるような美人だ。それは認める。認めるが。


「あれはないわ」

「ないよなあ」


 独身男性ふたりは、揃って首をかしげた。

 蝶よ花よと育てられた、ご令嬢。蝶や花のように愛らしく庇護欲をそそるが、同じく重みもない。ふらふらと落ち着かず、人の話をちゃんと聞いているのかと思う事もしばしばである。

 それでも次期王太子妃。のちの王妃なのだから、彼女に群がる人々もさぞ多いと思いきや。

 実は王太子に“悪女”と蔑まれた先の婚約者フロスティ・レイズンの周囲のほうがまだ人がいた。その彼女も当然王宮にはもう顔を出さない。

 現在は頻繁に夜会が開かれてはいても、いつもどこか閑散として白々しい空気が流れている。

 あの夜会以来、ずっとだ。


 フロスティ嬢の前例があれば、さすがに人々はローズ嬢に近づくのをためらう。

 たとえば複雑な意匠を凝らしたドレスの裾がからんで、令嬢が転んだとする。それを十歩以上離れた場所で親しい友人たちと談笑していたフロスティ嬢がドレスの裾を踏みつけて嘲笑っていたことになった。

 たとえば給仕の真似事をして王太子に飲み物を運ぼうとした令嬢が、赤ワインを取り落としドレスに少しこぼしてしまったとする。するとたまたま背後を通り過ぎただけのフロスティ嬢が、故意にぶつかったことになっていた。

 そして、ローズ嬢はこれを肯定しないが、否定もしない。

 否定しないので、決めつけがそのまままかり通ったのだった。


 いろいろとおかしいこれらの出来事が、夜会では立派な断罪理由として声高に叫ばれたわけだ。

 それを見た人々が、迂闊に近寄って自分も糾弾されたらたまらない、と思うのは仕方がない。

 周りに人がいないのは、彼ら自身の責任である。


「フロスティ嬢のほうが絶対いいと思うけどな」

「あの人が悪女とか、どう考えても無理だと思うんだけど」


 フロスティ・レイズンもまた種類の違う美人だった。

 あちらが蝶だ花だというならば、こちらは穢れなき清水、あるいは春の若草だろうか。

 髪や瞳の色が薄いので澄ました顔は少々冷たく見えるかもしれないが、だからこそにこりと微笑んだときの破壊力がすさまじい。

 それを普段から出し惜しみしているわけでもないので、彼女が仕事場に父を訪ねてきた時などは、老若男女を問わず人だかりができていた。「持ち場に戻らんか!」と父宰相が怒り出すほどだ。

 気さくで誰とでも分け隔てなく言葉を交わす。話してみれば、知識も豊富で頭の回転が速いのだと知れる。また、相手への気遣いも忘れない。

 王妃とともに考えたという他国の賓客に向けた彼女のもてなしや土産の品は、それはそれは好評だったのだ。王妃その人も手放しで褒め称えていた。


 ただし婚約者である王太子の話題になると、いつも少しだけ寂しそうな顔をして笑う。

 彼女にこんな顔をさせる婚約者はアホだな、と思ったものだ。

 

「……高嶺の花だって分かってても、婚約が決まったとき泣いた奴、たくさんいたなあ」

「あの公開婚約破棄で、そいつら敵に回したよな」

「あと宰相派と、おれら平民出身の官吏もな」


 元宰相オーキッド・レイズンは、もとは平民。王宮に出入りする商人だった。

 気さくな性格もあり、そのため彼とその娘は一般市民の間でも人気が高かったのだ。

 ただしそれを快く思わない貴族たちからは「平民風情が」「商人の分際で」と吐き捨てるように言われていた。

 同じ王宮を行き来する平民出の官吏たちが、それを聞いていないはずはないのに。


「もし相手が貴族の令嬢だったら、あんなさらし者にしようと思わないだろうに」

「フロスティ嬢本人がその場にいなくて良かったよホント」


 茶番というのも申し訳ないほどのくだらない茶番。

 宰相派だけではない。各国からの賓客たちも、眉をひそめていた。

 冷ややかな空気に気付かなかったのは、宰相らを追いつめた側――王太子派の連中だけだ。



「あー、そうそう」


 思い出したようにユンドが言った。


「そう言えば、最近物流が滞ってるだろう。それも宰相のせいだって例の貴族連中が怒ってたな。怒るだけじゃ何も解決しないんだが」

「……閣下のせいって言えばそうかもしれないがな」


 スマルトが呻いた。

 ヒュイス王国の物流の要、オーキッド率いるレイズン商会が手を引くきっかけを作った本人たちが、何を言うのやら。


「おれが商売人でも、手を引くぞ。あいつらのせいで評判がガタ落ち。商売が成り立たなくなったんだから」

「裏で妨害してる、とか勘繰ってたよ。王太子も真に受けて怒ってた」

「………あの人がそんな姑息な手段使うわけないのにな」


 問題の夜会から、まだ一か月と経ってはいない。

 しかし相当な数の目撃者がいる。情報が早く、人一倍損得に敏感な商人たちであればさっさとヒュイス王国から逃げ出してもおかしくはない。

 下手な裏工作など、必要ないのだ。


 というか、まだそこか。

 スマルトは額を押さえる。

 ただ文句をつけ愚痴っていれば、いずれ改善するとでも思っているのだろうか。

 彼らは具体的な打開策も何も打ち出せていないのだ。

 何もできないなら口も出すな。そう一喝してやりたいとどれだけ思った事か。


「王太子、レイズン邸に怒鳴り込みそうな剣幕だったぞ」

「……ほんとうに、聞けば聞くだけ残念な跡取り息子だな。陛下はまともなのに」

「こんな職場にまで来て、平民のおれにまで「国をよろしく頼む」って握手してくれるような人なのにな」


 国王がそんな人でなければ、ユンドもスマルトもとっくに城を出て商人に戻った元宰相に付いて行っただろう。


 オーキッド・レイズンは早速仕事で国外を飛び回っている。

 しかしまだ屋敷にフロスティ嬢が残っていたはずだ。それも、引き払う準備を行う数日間のことだろうが。


「いちおうレイズン邸と閣下に連絡しておくか?」


 ちなみに現在の宰相位は空いている。

 マルベリー卿が並々ならぬ執着を見せ、そうであるかのように振る舞ってもいるが、まだその地位にはいない。国王陛下が認めていないのだ。

 一線を退かされたとはいえ、人事の最終決定権は国王にある。

 それだけが、現在の救いだ。


「……国王陛下にも、な」

「ああ。念のためな。てか陛下だけでも帰ってきてくれないかなあ」


 はあ、と官吏たちはそろってため息をついた。




 そして数日後。彼らはさらに重いため息を吐きだすことになる。


 彼らの不安が的中し、王太子がフロスティ嬢が残るレイズン邸に乗り込んだのだ。

 そんな暇など、どこにもないのに。







王子様よりも先に、お花畑な婚約者が乗り込んで行きましたが(苦笑)


読んでいただき、ありがとうございます^^

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