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後日談(中) おらのおとしもの


     × × ×     


 7月初旬――僕と鳥谷部さんが初めて入れ替わりを経験し、五郎さんが幼女に憑依してしまった「あの件」から少しばかり時が過ぎた、ある日の放課後のこと。

 僕はいつものように教室から忘れ物カウンターに向かっていた。隣には五郎さんの巨体。たまたま校門を出るのが同時だったので連れ立っていたのだ。

 当時は夏であり、当然ながら今よりもムシムシしていた。

 校門から外に出れば、すぐにも水っぽい汗が背中を流れ始めるし、外周道路から『むらやま』に向かう道のりだけで全身が汗まみれになってしまう。

 寒さは服でごまかせるのに暑さはどうにもならない。僕は夏が好きじゃなかった。


「小山内」

「なんだい五郎さん」

「汗でシャツが背中にくっつくと、なんかブラジャーしてる気分にならねえか?」

「ならないよ」


 例によって、五郎さんの発想にドン引きしつつ。

 僕は『第2保管室』のメッキの剥げたドアノブを回した。

 室内の様子は今と変わらない。両側のスチール棚に挟まれる形で長机が配されていて、風通しはあるはずなのにほんのりとホコリっぽい。ああ。ケトルが布をかぶっているのは今と違うところかな。

 なんだか間違い探しをしている気分になる。


「おっ。仲田さん、やっと読み終わったんだな」


 五郎さんは長机の上にあったマンガの束を手に取った。

 タイトルはたしか『スリーピース』だったっけ。

 世界平和を目指す秘密組織に加入した主人公・ハチが女装を得意としているんだよね。それもあまりにも精巧な女装ゆえにヒロインから別人と思われてしまい、後半で正体を告白したのに信じてもらえなかったレベル。

 女装作品としては積極的に女装を利用していくタイプのマンガになる。


「小山内はもう読んでたよな。なら持って帰るか」

「伏原くんには貸さないの?」

「あいつは女装モノを読まねえだろ」


 五郎さんはそう言って、全巻をカバンの中に入れた。

 たしかに女装を推した作品ではあるけど、中身は正統派の少年マンガだからあの子でも読めそうな気がする。

 ○○だからと理由をつけて、1ページも読まないのは勿体ない。

 もっとも、五郎さんがあの子に『スリーピース』を貸さなかったのは、他に貸すためのマンガを用意していたのもあるようだ。


「あいつには『女性化メッツ学院~オレのエース、狙われてます~』を貸すつもりだ。ヤンキースの投手が女の子になってライバルに迫られる」


 彼がカバンから取り出してきたのは単巻のTSマンガ。

 おバカな主人公がステロイドのやりすぎで女の子になってしまい、ずっとケンカを売っていたライバルに強引に押し倒されてしまうお話だ。

 元々は女性読者をターゲットにしていたのか、ライバルはいかにも少女マンガに出てきそうなオレサマ系である。

 そんな相手に主人公は身も心も打ち込まれ、ホームランを連発されてしまう。本人も知らぬところで乙女になっていく姿はなかなか見応えがあった。

 ただし、問題が一つ。


「……たしかチョイエロだよね、それ」


 僕は過去に読んだ記憶を辿った。規制に引っかかるような完全なるエロ本ではないけど、その手のシーンの多い作品だったはずだ。

 そのマンガを中学生に読ませて大丈夫だろうか。当時の僕は五郎さんのチョイスに首をひねらざるを得なかった。


「チョイなら大丈夫だろ。あいつだってもう14なんだから」


 当の五郎さんは「そもそもエロシーンがダメなら『吉里吉里人』や『樹の上の草魚』だって読めなくなるぞ」と笑い飛ばした。

 どちらもエッチなシーンがある僕の大好きな小説だ。でも純文学は別枠だと思う。マンガみたく絵がついてないし。


「やっぱり伏原くんにエロは早いよ。さんま1巻のサンマがおっぱい晒して人道家のお父さんがハミガキを口の中にぶっ込むくらいがギリギリだって」

「お前、よくそんなシーン覚えてるな……オレもあそこ好きだけど」

「小生もあのシーンは好きです」


 五郎さんのツッコミに続いて、いつのまにか部屋に入ってきていた伏原くんが『さんま』の話に乗ってきてくれる。

 やたらと背が低い中学生。3年生なのに1年生にしか見えない。下手したら小学生に間違えられそう。

 そんな少年は自身の犬っぽい毛をもしゃもしゃと掻いてみせると、「そもそも『吉里吉里人』も『樹の上の草魚』も小生がセンパイに教えて差し上げた作品ですよ」と柔和な笑みを浮かべてきた。

 そういえばそうだった。


「……それは『女性化メッツ学院』ですね。もう読みましたよ」

「おお。さすが伏原だな」

「ここ数年、ネット配信発で長文系タイトルのエロめなTSF作品が連発されてますからね。みんなまとめてチェックしてます」


 伏原くんは五郎さんに「ゆえに心配無用です」と親指を立ててみせる。

 その上でチラリとこちらに目を向けてきたのは、別の意味での心配無用を僕に伝えるためだったのだろうか。

 まあ、ぶっちゃけTSはエロスありきな部分もあるし、今さらすぎる心配ではあった。


 会話が一段落したところで、僕たちの目は何となく長机に向けられる。

 中央に銀色の缶が置かれていた。お中元に喜ばれそうなクッキーの缶々だった。おそらく仲田さんが僕たちのために残していったんだろう。当時の僕はそう解釈した。


「あれ、クッキーだよね」

「ですね」


 僕も伏原くんもお菓子には目がない。お互いに目配せして、久しぶりにケトルでおいしい紅茶を沸かそうとしまったのは、もはや甘党の本能に近かった。

 ところがケトルのフタを外そうとしたところで、僕は五郎さんにガシリと肩をつかまれてしまう。


「おい小山内。これ、クッキーじゃねえぞ」

「なら、丸めたラングドシャ?」

「お前にはこれが食い物に見えるのかよ」


 五郎さんはそう言って、缶から消しゴムを取り出した。

 なぜかセーラー服や水着などの服を模したカバーが付けられており、よく見るとそれは紙に絵の具を塗っただけの拙い代物だった。

 子供が作った人形遊びのオモチャかな。忘れ物だとしたら、当人に返してあげたいな。

 そんな自分の予想は、五郎さんが缶の底から4つ折りの厚紙を取り出したあたりで頭の中から消え去っていった。

 長机に広げられた厚紙は紛うことなき『すごろく』だった。

 紙上――否。盤面には複数のゴールに枝分かれする形式のマス列が描かれており、各マスにはボールペンでイベントが記されている。荒々しい字体だが読み取ることは容易い。というか明らかに仲田さんの字だった。


「……へえ。TSFすごろくですか。ちょっと面白そうですね」


 目新しいオモチャにほっぺを上気させてウズウズしている様子の伏原くん。ちょっとなんてもんじゃない。ものすごくやりたそうにしていた。

 そんな彼の姿を見てしまえば、もう「これやるの?」なんて無粋な言葉は引っ込んでしまう。

 そういえば、僕たちはいつもTSの話をするか、マンガや小説の貸し借りをするばかりだったから、こんな感じでみんなで遊ぶ流れになるのは珍しかったかもしれない。


「こっちの消しゴムがコマなんだろうな。やり方は……サイコロを振るだけか。なぜか知らんが20コも入ってたぞ」


 五郎さんは大きな手の平から全てのサイコロを転がしてみせる。

 どこかの100均で売られていたのであろう、同じ大きさのサイコロたちは出目を合計するととんでもない数字を弾ぎ出した。

 全部使うとしたら、あっという間に終わってしまいそうだ。


「いや、盤面の記述によれば、使うのは1つだけみたいですよ」

「ならなんで20コも入れてんだよ……」


 伏原くんの説明に、五郎さんは呆れたような笑みを浮かべた。

 ちなみに消しゴムは4つだった。カバーの数はその8倍。初めは何も着せずにスタートさせるとルールブックには記されていた。

 ルールブックといっても、ベースがすごろくだからシンプルなものだ。

 サイコロの出目の数だけ進んで、初めにゴールした奴が勝者となる。ただし例外規定が一つだけあって……それはまあ、後で説明するとしよう。


 僕たちは各々の席に座り、すごろくの盤面を囲んだ。

 ルールブックに「カルカソンヌ方式で年下からゲームを始める」とあったので、初めにサイコロを振るのは伏原くんだ。

 小さな両手でサイコロをこねてから繰り出された数字は「5」だった。


「いち、に、さん、よん、ご……イベント。野原を歩いていたら謎の宇宙人に誘拐されてしまった。あなたは女子高生になった」

「いきなりだね……」


 僕は思わずツッコミを入れてしまう。

 いくらタイトルが『TSFすごろく』といえども、さすがに始まってすぐにTSするとは思わなかった。イベントの近くに添えられたシュールな絵がまた何ともいえない気分を助長させてくれる。仲田さん、せっかくだから五郎さんに発注すれば良かったのに。


「えーと。あなたは女性化ルートに移動する。さらにコマにセーラー服を着せる」


 伏原くんはイベントの内容を口にしてから、コマを別のルートに持っていった。

 どうやら女性化するとメインの道から外れる仕組みらしい。たしかに今までのようには生きられないから、正しいといえば正しい。

 伏原くんが移動した先には「本人が女性化」「別人になる」「入れ替わり」「憑依」などのルートの名前が大きく描かれていた。ジャンルごとにルートが分かれているみたいだ。


「次はオレだな」


 五郎さんの出目はいくつだったか覚えていない。特にイベントは起きなかったので、コマはまだ裸のままだった。女性化しないと服をもらえないなんて男性差別だ。


 彼からサイコロを渡され、いよいよ僕もサイコロを振らせてもらう。


「……おっ。僕はクラスのマドンナに入れ替わりだって」

「センパイはそっちのルートですか。どちらがゴールに近いんでしょうね」

「お前らだけズルいぞ!」


 はしゃぐ僕と伏原くんに対して、ほんのり拗ねたような口ぶりの五郎さんだったが、彼もまた次のターンには交通事故の末に幼馴染のパティシエに憑依することになった。


 それぞれが女性化を果たしたところで、すごろくは次の段階に進んでいく。

 すなわち本ゲームのキモであるサイコロの多さが活かされる時がきた。

 というのも、このすごろくはイベントで心の女性化が起きるたびにプレーヤーのサイコロが多くなっていく。当然ながら進行速度は加速度的に上昇していき、終盤はあっという間に他のプレーヤーを追い越すのもしばしばだった。


「オレ、好きだった幼馴染に憑依したくせに他の男に惚れるとか、なんか複雑だな……サイコロ4つになったからいいけどよ」

「小生は同級生に告白されてドキドキしてしまいサイコロ5つです。さっきは先生からも告白されましたからモテモテですね」


 サイコロをたくさん抱えた二人はすぐにもゴールを迎えた。

 ちなみに僕は、

 ①入れ替わったマドンナが元に戻る方法を探るために中国の奥地に向かってしまい(ルート分岐)、②彼女が帰ってくるのを待っていた5年間で3人の男と初めての結婚(原文ママ)、③初産・離婚を繰り返した挙句、戻ってきたマドンナもまた現地で子供を作っていたので、④お互いにののしり合ってから初めての子供(原文ママ)を産んだ喜びを分かち合う……という謎すぎる流れになった。

 イベントの踏み方によって分岐があったり、なかったりするから、盤面の小山内一二三には子供がいたりいなかったりする。このゲームでは子供の数なんてフレーバーテキストに過ぎないのである。人生ゲームみたく子供の数が資産に変換されるわけじゃないし。


 ちなみに子供は作りまくっているのに、心の女性化は1回だけなのでサイコロは2つ。

 伏原くんや五郎さんは結婚すらしていないのに4つ以上だったから、僕は生活のためにその気が無くても結婚するしかなかったパターンなんだろうか。

 なんかイヤな人生だった。3位だったし。


「これがTSF作品なら『すごろく』で起きたことがリアルに! ってなるところですね」


 1位になった伏原くんが縁起でもないことを言い出す。

 やめてよね。仲田さんが作ったゲームならありえそうで怖いじゃないか。まあ、もし強制されるなら甘んじて受け入れるけどさ。


「どうだ、もう一度やるか? 小山内は?」

「そうだね。次は正統派なラブコメをやりたいよ」

「オレはさっきみたいな話も好きだがな。そうだ、どうせなら2回目は景品を出すとしようぜ」


 五郎さんはカバンから新しいマンガを出してくる。

 あれは『レイヴ・ボーナス』じゃないか。ネットで表紙だけ見たことがあるけど、まだ読んだことがない作品だ。

 ただ、とてもエロいということは知っているので、あれが景品になるなら1回目よりも努力しないといけない。未熟な中学生に渡すのは危ないからね!


 当時の僕は五郎さんの誘いに乗り、消しゴムの経産婦から服をはぎ取った。

 2回戦の始まりだ。

 このゲーム、出目の運も去ることながら、各ルートにある分岐点やたまに入手できるプラスカード(出目に数字を足せる)を上手く使って、どんどん心を女性化させていくのが肝要になってくる。サイコロを増やせばその分だけスピードが上がる。

 個人的には心の女性化はゆっくり描いてくれたほうがニヤニヤできるから好きなんだけど、これはゲームだから話は別だ。


「ちなみに女性化せずにゴールすると、特例で1位になるみたいですよ。ルールブックに書いてありました」

「女性化せずにゴールって、ずっとメインルートを通ればいいの?」

「はい。そういう勝ち方もあるみたいです。まあ、道中には女性化イベントが多いので難しいみたいですけど」


 伏原くんはさっそく初手のサイコロを振り、今度は朝おん(朝起きたら女の子になっていたジャンル、いわゆる王道)ルートに入った。


 なるほど。男性のままでいれば、必ず勝利できるのか。

 さっきは迅速に女性化する戦術が強いと考えたけど、だからといって必ずしも勝てるわけじゃない。サイコロが増えると出目の幅も広がるから、仮に上手く女性化できても運であっさり負けてしまかねない。

 ましてや相手も同じ戦術を取ってきたなら、それこそ「運試し」になってしまう。


 しかしながら、男性のままなら絶対に勝利できる。

 ここはひとつ……そいつを狙ってみようか。


 この時、五郎さんと目が合ったのは、彼もまた同じ考えをしていたからだった。

 かくして『すごろく』は第2ラウンドを迎えた――。


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