後日談(上) 神の縄。
× × ×
中央区にある私立図書館『むらやま』にも、他の地域と同様に紅葉色の季節は訪れる。
面白いもので、外周道路に落ち葉が積もり、お客さんの忘れ物に上着が出てくるようになると、それまでの夏の残り香はまるで元から存在しなかったかのように消えてしまう。
むしろ最近は冬の足音が近づいてくるのを感じるほどであって、このところ窓際のケトルは同志の喉を温めるのに大活躍している。
「一二三くんは文化祭には行かないの?」
「行きたいのはやまやまだけど、あいにく明日の用意があるからね」
パイプ椅子にもたれかかり、退屈そうに紅茶を混ぜている遠山さんに、僕は本を紹介するためのポップを描きながら答えた。
秋は過ごしやすい時候であると同時に、図書部員にとって試練の季節でもある。
読書の秋――理由の説明はこれだけで十分だろう。
唐の文人が生み出した風習のおかげで、僕たちは様々な形でこき使われてしまう。
特に仲田さんの時代から続いているという「読書の秋フェア」はあらゆる人的資源をつぎ込んでの大規模イベントであるらしい。伝聞なのはまだ経験していないからだ。
仲田さんの話によればお祭りさわぎで楽しいそうだけど、その用意をするために肝心の学校のお祭りに参加できないのは極めて不条理だった。
まあ、昨日は鳥谷部さんと少し回れたからいいけどね。
ちなみに群山学園では体育祭・文化祭(2日間)・読書の秋フェアが連続して行われており、意欲のない生徒は自宅で4連休を楽しむことも可能である。
もっともそんな奴は春の時点で図書部にぶち込まれているだろうけど。
「……俺は忘れ物班の当直だから、やることなくてすごいヒマ!」
「だったら遠山さん、僕のポップを手伝ってくれる?」
「やだ!」
遠山さんは立ち上がると、おもむろに後ろ髪を赤いヒモでまとめ始める。相変わらず男性とは思えないほどつややかだ。振る舞いも様になっている。うなじも魅力的。
これで髪の扱いが上手ければ「おおっ」と声でも漏らしてみせるところだけど、残念ながら三つ編みを後ろで上手くまとめるのは彼には難しかったようだ。
「もういい! 男の子バージョンにするし!」
遠山さんはシンプルなポニーテールを選んだ。
ある意味では完璧に映画『神の縄。』のヒロインを表現できている。ヒロインと入れ替わった主人公が同じように髪をまとめられなくて雑なポニーテールにするんだよね。あれがめちゃくちゃ可愛いんだなあ。
そういえば遠山さん、日曜日に五郎さんと映画に行ったとか言ってたっけ。
あえて女装ではなく男らしい格好で行ったら、五郎さんにものすごく複雑な顔をされたんだとか。僕もその顔を見たかった。
ところで出会った頃には僕にべったりだった遠山さんだが、今では五郎さんを師と仰ぎ、仲田さんをお姉様と呼ぶようになっている。
僕の扱いは何というか「普通のお友達」みたいな感じだ。ランクダウンは否めない。
あとは同志に慣れてきたせいか、ちょいちょい性格的に奔放なところ……クラスでの取り繕った形ではない、地の性格も見え隠れするようになった。
まあ全部ひっくるめても良い子ではある。さっきもさりげなく僕の分の紅茶(注:二番茶)まで入れてくれたし。
たまに「俺って可愛いでしょ」って感じのポーズや目つきさえしなければ、近くに女装している生徒がいるのも特別気になったりしない。
何より同志なので話が合う。
「はあ。師匠に借りたマンガを読み直そう」
遠山さんは立ち上がったついでとばかりに、『第2保管室』の入り口近くにあったカバンから3冊のマンガを取り出した。
あれは『はなしのアステリズム』じゃないか。
女装モノであり、嘘と秘密を絡めた恋愛作品だ。キャラクターの心理描写が上手くて、読むたびにハラハラドキドキさせられるんだよね。
メインは百合なんだけど、けっこう美味しくいただけた。
「あ、これも借りてたんだった」
そう言って、遠山さんがもう1冊取り出したのは『神の縄。』の小説版。しかも外伝のほう。僕はまだ読ませてもらっていない。
ええい五郎さんめ。前は一番に僕に貸してくれたのに。たぶん先週借りた『プラチナさむい』を返していないからだとは思うけどさ。
今日は当直を遠山さんに任せて、妹たちと文化祭を楽しんでいるであろうマッチョマンに念を送りつつ……ふと、同志つながりで伏原くんのことを思い出す。
あの子も『神の縄。』を観たのかな。
久しぶりのTSを大きく取り扱ったアニメだし、珍しくテレビでもプッシュされてるから、日本にいるかぎりは存在を知ってそうだけど……本当にどこにいるのか、わからないからなあ。今ごろ異世界で魔王で戦っている可能性すらある。
あの子なら、あの作品にどんな感想を抱いただろうか。どんなふうに僕に話してくれるだろうか。
――やはり入れ替わりは一般に受け入れられやすいジャンルといえますね。
小生としては正統派も好きですが、入れ替わり特有のあの空気は別腹です。相手のふりをしながらもつい出てしまう地の自分。生じるギャップ。
建築会社の息子と男の子的な計画を立てているシーンなんてたまらなく可愛いですよね。
ふんふんと息を荒くしながら語ってくれるあの子の姿が、ありありと浮かんでくる。
まだ、きちんと思い浮かべられる。忘れてない。
「……ダメだな、いない人の妄想をしちゃうなんて」
「よくわからないけど、マジックペンで手に名前を書いてあげよっか?」
「別にいい。役に立たない気がするし」
「ははは」
こちらの返しに遠山さんは笑ってくれる。
この人と伏原くんがもし出会っていたら、一体どんな会話を――あ、ムリだな。あの子、リアル女装はマジでダメだし。
「ところで一二三くんは、もし女の子と入れ替わったら、やっぱりおっぱい揉んじゃう?」
「……揉まないよ」
「その目は、嘘をついている!」
遠山さんは「男同士なんだから正直に言えばいいのに」とニヤニヤしてくる。
くそう。実際に揉んじゃったからなあ。
でも映画みたいに揉み応えは……やめとこう。この話題で鳥谷部さんにポップコーンをぶっかけられたのは記憶に新しすぎる。
× × ×
ポップを作り終えた頃には、夜風が吹き込み始めていた。
寒くなってきたね、と遠山さんが窓を閉めると、それまで聞こえていた後夜祭の騒がしい声がパタリと止んでしまう。
せめて気分だけでもと思っていたので、ちょっぴり寂しい。
「あっ。一二三くんの作業、もしかして終わった?」
「遠山さんが1枚だけ手伝ってくれたおかげで、無事に終われたよ」
「ふふん。ありがとうが足りなくない?」
彼は自身が作ったポップを机から拾い上げる。本来は運営委員から指示された本のポップを作らなければならないのだけど、この人は『まじドラ!』のポップを描いてくれた。まだ単行本化されていないウェブマンガなので、当然ながら本棚のポップには使えない。
ちなみに五郎さんと違って、彼の絵はものすごく下手だった。
「ぷぷ。一二三くんの絵はナスカの地上絵みたいだねえ」
なのに、自分を棚に上げて煽ってくるものだから、思わず「稔くんの絵はラスコー洞窟の壁画に似ているね」と返してやると、彼は「稔くんはやめろ!」と五郎さんみたいなキレ方をしてきた。
今さらながら、遠山稔が彼のフルネームである。
クラスでは読みを変えて「みのり」と呼ばれていることも多い。
みのりくん、みのりちゃん。そのあたりはお好みで。
なお、彼が女装している理由については今のところ僕たち同志しか知らされていない。なぜなら遠山さん自身が話していないからだ。
学校にも女装登校の許可を受けただけで特に説明はしていないらしい。
本人は「なんか察してくれた」とか言っていたけど、はたして何を察したのやら。あんまり考えないほうが良さそうな気もする。
「全くもう。師匠みたいな怒り方しちゃったじゃん」
「最近はもう諦めたのか、五郎さんと呼んでもあんまり怒らないけどね」
「なら昔はもっと怒ってたんだ。ふーん……」
ブレザーのポケットに手を入れて、パイプ椅子に腰を据えた遠山さん。
やることも終わったし、そろそろ帰ろうかな……と思い、僕が逆に椅子から立ち上がると、彼は目をパチクリさせてから話を続けてきた。
「ねえ。たまには昔のことを教えてよ」
「遠山さんが入る前のことなら、かなり話したつもりだよ」
「本当にぃ? なんかさ、自分だけ大切なことを教えてもらってない気がするんだけど。仲田のお姉様がセキシツとか地下とか一二三くんにコソコソ話しかけてるの耳にするし。みんなで古墳でも掘ってるの?」
「あれは日本史のやりすぎでおかしくなってるだけだから……元々おかしいけど……」
僕は忘れ物の整理をするふりをして、遠山さんから目を逸らす。
彼にはまだ「石室」の件は話していない。
これは僕と五郎さんと仲田さんが決めたことであり、いずれ必要になる時が来るまでは隠し続けるつもりだ。
あれは何というか、劇薬で危険物だからね。
今、遠山さんから目を逸らしたのも、例のクセで秘密の存在を悟られないようにするため。
ゆえに相手の表情はうかがえないものの……不満そうなのは口調から伝わってきた。
「もう! とにかくお話してよ! どうせ俺は閉館まで帰れないんだしさ!」
「僕はもう帰れるし……」
「こんな可愛い子を放っておいて、一人だけ帰ったりしないでしょ!? 夜道だよ! 都会だよ! 危ないじゃん!」
「相変わらず、すごい自信だね……」
彼の全力ナルシストっぷりに、どこかマンガのヒロインめいたものを感じつつ。
何となく中身を広げていた段ボール箱から、ふと僕は「あるもの」を見つけた。
それは、まさしく遠山さんが求めていた「過去」の証であり……今はいない少年の残り香をわずかに感じさせる代物だった。
語るにはふさわしいアイテムかもしれない。
僕はそいつを両手で取り出すと、長机の上に静かに置いた。
遠山さんの猫っぽい目は、おのずとそちらに向けられる。
「なにこれ。クッキーの缶々(かんかん)?」
「フタを見てごらん」
僕の言葉に、彼はクッキーの缶を手元に引き寄せる。
スチールのフタには『TSFすごろく』とマジックペンで鮮やかに記されていた。
さらにフタを外せば、消しゴムを削ったコマが目に入ってくる。それぞれセーラー服や女性用のスーツを模したカバーを付けており、それがプレーヤーの状況を示している仕組みだ。
「TSFすごろく……一二三くんってこんなの作れるんだ」
「まさか。仲田さんが持ってきたんだよ。面白いからやってみてって」
今から3ヶ月ほど前になるかな。
そのあたりの経緯も含め、僕は遠山さんに昔話を始めさせてもらう。
まだ、この小さな部屋に中学三年生の少年がいた頃の話だ。