16-4
× × ×
群山学園は日本橋の近くにある。
学校の正門から西日本屈指の電気街まで五分もかからないという好立地は、高校受験を目指すオタク系中学生たちの間でしばしば話題になっているらしい。
群山ならば、放課後の買い物には困らないだろうと。
「さあ。ボクたちの力を見せつけてあげるとしようか」
日本橋に数軒あるマンガがたくさんある店のうち、トルコ料理店にもっとも近い店の入り口まで連れてこられた僕たちは、仲田さんから「ひとり30分。新しい同志にボクたちの知識を分けてあげようね」と提案を受けた。
新しい同志――それが遠山さんを指していると自分が気づいたのは、一番手の五郎さんが遠山さんをコミック棚に連れていってからだった。
「あの……源五郎丸さん、この『111人いる!』はどんな内容なんですか」
「宇宙時代に学問を志した若者たちが大学の入学試験で宇宙船に閉じ込められる話だ。ヒロインが女性みたいな容姿でありながら性別を持たない幼生なんだが、兄のような偉い人になりたいからと男性になることを目指していてだな。女扱いされると怒るし、オチもTSF好き向けだな。それ抜きでも紛うことなき名作だ」
「源五郎丸さん、こっちの『メイドさんは純国産』についても教えてください」
「メイドにならないと母親にアレを切られてしまう主人公が、女装してメイドの専門学校に入る話だ。他のメイドはみんな女の子なんだが、ライバルのメイドは主人公の好きな人の父だったり、他にもふたなりのメイドが出てたか。設定面の何もかもが狂っているのに、内容はやたらと熱いから侮れねえぞ」
「源五郎丸さん、いや師匠! その手にある『ユニバーサル!』はどうですか!」
「この作品は雑誌『いぇい!』でいちばんオレ好みでな……」
遠山さんはマンガを両手と両脇に持ちながら五郎さんを質問責めにする。
彼がある程度の知識を持っているのはわかっていたけど、これほどの喰いつきっぷりは予想外だった。すでに彼の足元はマンガの入ったカゴで埋め尽くされている。
女装作品を中心にTSモノにまで手を出して、五郎さんの説明を受けるたびにカゴに入れていくその姿は、まるで三日ほど食べ物を得られなかった漂流者のようだ。
「ああ! すごい! こんなにあるんだ!」
遠山さんは『ヒロインファンド』の女装ライバルを描いた同人誌や、カップル未満の男女の入れ替わりや女性化を描いたチョイエロマンガ『すりーあうと!』を脇に抱えながら、五郎さんが持ってくる新たなマンガや小説たちによだれを垂らしている。見た目だけなら制服姿の女の子なので、遠巻きに見てもかなり目立っていた。
あんなに興奮しちゃって……大丈夫なのかな。学校の近くだしクラスメートがお店にいてもおかしくないんだけど。
一応、見張っておいてあげよう。
「――小山内くん、よくやった!」
近くを通りがかった仲田さんに背中を軽く叩かれる。
彼女のもう一方の手には『罰×82』の単行本があった。
たしか、ラスボスの博士が美少女になってしまってショックで自決するんだっけ。結局死にきれずに話は続いて、娘に父と認識されなくなったりするんだよね。
ちなみに仲田さんもピエロの格好なのでお店の中では目立ってしまっている。
たまにレイヤーさんも歩いているオタクの街とはいえ、あんまり近くにはいたくない。
僕は少しばかり距離を取りつつ、彼女に訊ねる。
「えーと、何のことですか?」
「またまた。やっと明佳に代わる新しい同志を探し出してくれたじゃない。なかなか面白い子を見つけてきたもんだね!」
彼女はこちらの肩を抱いてくると、「……おっ。次は『邦﨑伯耆の情事』でストレートに行ったね。同じ作者の『天子と悪童!』も持ってきてるのはさすが五郎くん。あれも4巻で女装シーンがあるんだよね!」と語りながら遠くの二人を指差した。
どちらも読んだことないから、今度五郎さんに借りてみよう。
なお、僕と仲田さんには地味に身長差があるので、肩を抱くというよりは腕を抱いている感じになっていたりする。どちらにしろ色々と近い。相手が仲田さんでも多少はドキドキさせられてしまうのは言わずもがな。
それにしても……新しい同志かあ。
僕としては何となく気が進まないんだよね。
別に遠山さんがキライとかではないよ。何というか、自分の中で同志があのメンバーで完成しちゃってるというか。
「ところで小山内くん、さっき君はどうして「石室」に行ったんだい」
「へ?」
「なんか気になったんだよね。まさかボクが「石室」であの子の悩みを取ってあげると思ったのかな?」
仲田さんはなぜか心配そうにこちらの目を見つめてくる。
たしかにさっき、僕と五郎さんは真っ先に「石室」に向かった。仲田さんの言うとおり遠山さんの悩みを取り除いてあげるためだ。
悩みの種である女装癖をなくしてしまえば、彼の問題は解決するはずだった。
しかし仲田さんが選んだのはTS作品と女装作品を彼に与えるという手法で、彼を新しい同志にするつもりらしい。
悩みを解決するには程遠いように思える。
それを彼女につぶけてみると、
「……小山内くん。ボクはできるだけ「石室」を使いたくないんだよ。本当は君たちに使わせたくもないんだ。だから明佳や君たちにも初めは教えないようにしていたし」
その「石室」を作ったのは他ならぬボクなんだけどね。
彼女の声にはいつもようなハリがなかった。その目はまつ毛と共に伏せられ、自らの胸元に向けられている。
「おかしいかな? おかしいか。だって今のボクは紛れもなく「石室」のおかげだもんね。この目も、この声も。昔から欲しくてたまらなかったおっぱいだって、貧相だけど「石室」のおかげであるんだよ」
彼女は「でもさ……代わりに失ったものも多いって、小山内くんには前にも言ったよね」と呟く。
その右手が指折り数えるのは三つ。
それぞれが何を意味するのかは察するしかないとして――ふと、他ならぬ自分自身も「あるもの」を失っていたことに気づかされた。
足元の台には『オレがNL好きでアイツがケモノオタで』の単行本が並べられているのに、全く目が行かなかったということが、その喪失を証明してしまう。
「……愛すべき作品への渇望。あんなにも愛してやまなかったのに、下手に手が届いてしまったから、夢を見れなくなった。君も同じじゃないかい、小山内くん」
「な、仲田さん」
「図らずもまた同志になっちゃったね」
彼女はやや自嘲気味に笑うと「あの頃の滾るほどの想いが懐かしいよ」と足元の台からマンガを取り上げた。
タイトルは『ふらふら学校生活』。オビに「学校の男子がみんな女性化!」とあるあたりTSモノなんだろう。完全にノーマークだった。
あの頃の滾るほどの想いは、たしかになくなっている。
好きなことは変わらないし、小説でもマンガでも読めばたまらなく萌えるのだけど、欲しくてたまらないような「渇望」は失われている。
入れ替わって、女の子になってみて、さながら一度ジェットコースターに乗ってしまった後の二度目のジェットコースターのような。
「ボクが遠山くんをここに連れてきたのは、あの子が女装をやめたいように見えなかったからなんだよ」
「……本人はやめたいって言ってましたよ」
「本気でやめたいと考えている人間が、わざわざ学校でも女装姿を通すものかな。モテないから女装をやめたいって話なのにむしろ女子たちに女装を見せつける形になっちゃうよ」
「まあ、たしかに」
「ボクの予想では、たぶんあの子は女装をやめる理由じゃなくて、女装をやめないで済む理由を求めていたんだと思うんだ。やめたいに対して可愛いからやめなくていいじゃんと返してほしかったんじゃないかな。ナルシストらしいし」
仲田さんは「今ああやって女装作品をカゴに入れているのも、もちろん好きなのもあるだろうけど、自分の中で女装する理由を補強したいからだとすることも……なんてのは、小説の書き過ぎかもね」とため息をつくと、カゴに入れていたマンガをレジに持っていった。
残された僕は、相変わらず五郎さんから渡される作品に目をキラキラさせている遠山さんの姿を、少しばかり妙な気分で見てしまう。
懐かしいわけでもなく、羨ましいこともなく。
仲田さんと同じく、僕も失った代わりに何かを得たからかな。
ただ、やっぱり――また、あれほどの渇望を持ちたいという気持ちはある。あの渇望と、水を得られた時の喜びをもう一度。そのためには何が必要なのかな。
リアルのTSよりもすごい何か?
そんなものあるのかな。いや……ある。ありえる。
「……仲田さん!」
「な、なんだい小山内くん」
僕はレジに並んでいた仲田さんに追いつくと、彼女に、「また僕を滾らせるような、もっと欲しくなるような作品を作ってください!」とお願いしてみた。
それ以外に思いつかなかった。
対して仲田さんは、少し戸惑った顔をしていたけど、
「もちろんだよ。ボク自身も元よりそのつもりさ!」
すぐにそう答えてくれた。
同時に僕は本屋の本棚を見渡す。
まだ見ぬ作品、まだ形になっていない作品、そしてまだ自分がしっかりと内容を吸収できていないであろう、愛すべき作品たち――それらが僕をまた、滾らせてくれることを祈って。
× × ×
本屋を出た頃には夕方になっていた。
あれから僕や仲田さんのオススメする作品も紹介することになり、遠山さんはお財布が空になるまでマンガや小説に手を伸ばすことになった。
そのせいで帰りの電車代がなくなってしまい、凄まじい数の本を運ぶ手間もあってか、曰く祖父だという老人に車で送ってもらっていた。明らかに執事っぽい人だったし、タクシーをもっと豪奢にした黒塗りの車だったけど、本人の弁ではお金持ちではないらしい。
五郎さんとは地下鉄の駅で別れ(その際に仲田さんの時と同じ話をしたら「お前も考えるんだよ」と返された)、仲田さんとはウチの家の近くのカフェで紅茶を飲んでから別れ、僕は数冊のマンガと共に自宅に戻ってくる。
西長堀の自宅からは珍しく騒がしい声が聴こえてこなかった。
学校指定の革靴を靴箱に入れたところで、お母さんに話しかけられる。
「一二三、彼女さんが来てるわよ」
「ええっ!?」
「アンタも案外スミにおけないわね。お父さんったらビックリしすぎてひっくり返っちゃったんだから」
ちなみに弟は悔しそうに歯ぎしりしていたら虫歯の詰め物が取れたらしい。バカばかりだ。
さらに冷やかそうとしてくるお母さんの傍らを抜けて、リビングまでやってくると、制服のままの鳥谷部さんがソファでお茶を飲んでいた。
さすがに何回も入れ替わっているだけあって、勝手知ったる様子だ。
「鳥谷部さん」
「嘘つき。今日も一緒に帰る予定だったのに」
「ご、ごめん」
「だからやり直し。ちゃんと二人で学校から帰る」
彼女はそう言うと、こちらの手を取ってきた。
そのまま外に出てしまえば、彼女の足は元来た道をたどっていく。どうやら本気で帰宅をやり直すつもりらしい。
先に行く彼女の表情を窺ってみる。ほんのりと赤い。
好かれてるんだなあ。ありがたいなあ。
ふと、五郎さんから言われた台詞が脳内をリフレインした。
僕が選んだのは鳥谷部さん。個人的には選ばれた気がしてならないけど、自分だって選んだということは忘れないようにする。
そもそも他に選択肢があったわけでは……ない……か、いや……。
あったのかもしれない。
「……地下鉄。イコカ出して」
「あ、うん」
彼女に言われるがままにポケットからイコカを出す。
そして今度はこちらから、彼女の手を取らせてもらった。
「…………」
彼女は心の底から嬉しそうに笑ってくれた。
3部おしまい。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!