16-3
× × ×
三次元の女装――すなわち現実での女装について、以前、同志の中で言い争いが起きたことがあった。
当時は伏原くんが男性アイドルの女装した姿を見せたことで「現実はNG」という結論に至ったはずだ。ただ、後に中学生ちゃんの正体が明るみになったことから、「男性だと知らなければ女性として扱える」という半ば肯定的な意見に変わっていった。
女性にしか見えない女装は現実にもありえる。
そのことをまた学ばされてしまうとは。
僕は床に倒れたまま、小さく拍手をさせてもらった。
天井が白い。白すぎる。
「どうしたの一二三くん……大丈夫?」
遠山さんが近づいてくる。
スカートの中が見えそうだからあんまり来ないで。
「大丈夫だよ」
僕はそう言って床から起き上がり、ズボンとシャツについたホコリを払ってから、改めて目の前の男性の全身を眺めてみる。
うーん。やはりクオリティの高い女装だ。
心のおちんちんは反応しないけど、下の名前で呼ばれているのがちょっと嬉しい程度には女子に見える。
女子用のカッターシャツとスカート。目立った起伏こそないものの、全体的にどこか丸みを帯びている白い肌。ウエストには補正下着でも付けているのかな。やたら形の良い脚なんてどんな仕掛けなのか推測すらできない。
髪の毛も綺麗な黒髪で、キューティクルが天使の輪を作り出している。顔つきの美しさについては言わずもがな。唇の瑞々しさがすごい。猫のような目にも魅力があふれている。
「本当に大丈夫?」
そんな彼女――いや彼が妙に得心のいかない表情をしているのは、おそらく昨日の時点で自身が男性であることを小山内を含めた学友たちに告げていたからだろう。なのに僕がビックリして卒倒しちゃったもんだからね。
今朝のクラスメートの反応に内心で納得しつつ、僕は遠山さんに訊ねてみる。
「心配してくれてありがとう。ところで忘れ物班に何の用かな?」
あえて彼がもらしていた「TS部」というワードには触れず、あくまで『第2保管室』で休んでいた一人の図書部員としての立場からの問いかけ。
これに対して遠山さんは少しばかり気まずそうに自分の毛先に触れてみせる。仕草まで女子っぽくて本当に男子なのか疑わしいんだけど。
「……ここに来たのは、一二三くんに相談したいことがあったからなんだ」
「僕に相談?」
「昨日、校内を案内してくれている時に言っていたでしょ。女装作品や女性化作品が大好きで、いつも研究してるって」
彼はこちらの手を取ると、まるでおにぎりでも作るかのように両手で包んできた。おかしい。手の形にゴツさがない。
若干ドキッとしたのは彼の魅力ゆえではなく、昨日の自分がこの人とどんな話をしていたのか不安になったからだ。鳥谷部さんは何を考えていたんだろう。僕を困らせたいわけではないとするなら、何が目的なのやら。
「あの時は女装してる自分に何を言うんだと引いちゃったけど、女装マンガに明るいなら、自分の悩みもわかってもらえるかなと思ったんだ」
「いや、そこまで詳しいわけじゃないよ」
「だとしても、他の人より理解はあるでしょ」
まあ、それはそうかもしれないけど、かといって理解者としてふるまえるほど人間が出来ているわけではないからなあ。
「――俺、女装を治したいんだ」
その真剣な眼差しに僕は返す言葉を失う。
いや。だってほら。女装って服を脱げば終わるのが特徴の一つだし。
化粧や体型の補正を含めたら、お父さんがお母さんのふりをする『ニブンノイチ』みたく元に戻るのに少し時間がかかることもあるだろうけど、それでも病気みたいに平常を取り戻すのに数日かかることは少ない。
何なら一部の作品ではウィッグの有無だけで別人の扱いになったりするほどだ。着脱はたったの一コマ。
本来は治すなんて大げさな単語を使う話ではない。
「……あれか、女装癖を治したいってことか?」
五郎さんの問いに、遠山さんはちょっと気後れしつつも「そうです」と答える。やっぱり初対面だと五郎さんは怖いらしい。自然と敬語になっている。
それにしても、なるほどね。
クセになっているのを治したいわけか。
これほどのクオリティの女装ともなれば、きっと一日二日の積み重ねではないはずで、学校にすらこの姿で来ているほど日常的にやっているクセ――それを治したいと。
「何のために?」
「……俺自身の未来のために」
遠山さんは容姿に似合わない一人称で返答してくれる。
具体的には「今のままじゃ女子にモテない。でも、どうしてもやめられないんだ」とのことだった。こんな格好をしていてもノーマルに女の子が好きらしい。まあ、己の性自認と性的指向と好きな服装は関係ないしね。
「小山内。この案件は、あの方式で行くべきじゃねえか」
「そうだね」
僕は五郎さんの話に乗らせてもらう。
あの方式とは言わずもがな、同志に伝わる大会形式のことである。
お互いにアイデアを出し合って、より良いアイデアを出した者にせんべいやチョコレートを差し出す。最もせんべいを集めた者には栄冠が授けられる。
一見ふざけているようだけど、色んなアイデアを出せるからわりと便利だったりする。今までも何度か窮地を乗りきる策を練り出してきた。
ぶっちゃけ――主人公が他人から女装を強いられる作品は数あれど、今回みたく本人の意志で女装しているのを本人が辞めたがる(けど上手く行かない)作品はあんまり見たことがないから、自分だけだと「あれをマネすればいい」と良い案が出せそうにないんだよね。
そんな時は文殊の知恵に頼るほかない。
そうと決まれば、さっそく紙コップ二つほど「三つだよ!」――仲田さんが来たみたいだから三つほど用意して、袋入りのおせんべいを机に何枚か広げる。
「一二三くん、何を始めるつもりなの……?」
「コンペみたいなものだよ。アイデアを出し合って、いちばん使えそうなアイデアを出した人を称えるんだ」
今回は悩める高校生男子の女装癖を治すための方法を生み出すのがテーマなので、優勝者に与えられるタイトルは『男性ホルモン』といったところかな。マジでいらない。
困惑気味の遠山さんには長机のお誕生日席に座ってもらい、五郎さんと窓から入ってきた仲田さん、僕はいつもの席に座らせてもらう。僕の隣は今日も空いている。
「外から話は聞かせてもらっていたよ!」
一番手に名乗りを上げたのは仲田さんだった。
「遠山くんだっけ? そんなに似合ってるんだから、やめないで逆にもっと極めるべきだとお姉さんは思うなあ。世の中には君みたいに可愛くなれない人のほうが多いんだよ。君のそれは才能なんだから、活かす方向にシフトチェンジするべきだね!」
年上っぽい台詞で大人の余裕を見せる仲田さん。
一方でピエロらしくメイクされた両目は、心底羨ましそうに女装男子の美しい姿を見つめている。
たしかに元々の仲田さんの容姿……ひいては僕や五郎さんの容姿では、どんなに頑張っても遠山さんみたいな出来にはならないんだから、その素質を活かすべきという指摘には一考の余地がある。
しかしながら、当の遠山さんは「一二三くん、この女の人はいったい……」と、ピエロ姿の女子大生に困惑するばかりだった。
そりゃ、いきなり窓からピエロが入ってきたらビックリしちゃうよね。僕たちにとってはいつものことだから、そのまま大会に混ぜちゃったけど。
一応、紹介しておこう。
「この方は仲田さんといって、僕たちの師匠みたいな人だよ」
「へえ、一二三くんってサーカス団でバイトしてるんだね!」
「してないよ」
どうでもいいといえばそうだけど、さっきから遠山さんがほとんど僕としか会話してないのも気になる。
クラスではみんなと話しているのに、案外人見知りなのかな。
もしくは今は女子モードではなくて「素」の彼だからなのかもしれない。女装すると人格も変わるような作品は多いし。例えば『俺が女装して歌ったらバレた件』とか。恥ずかしがる女装も好きだけどノリノリの女装も楽しいよね。
仲田さんがムーッとほっぺを膨らませているので、僕は遠山さんに「それで活かす方向はどうなの?」と訊ねてみる。
すると彼は「女装を極めても何にもならないのは、俺がいちばん知ってるから」と半笑いで返してきた。
そう言われると、何も言えなくなるなあ。
ちなみに自分の女装を活かして『パンデミック・インク』のヒカリみたくコスプレイヤーをするとか、『相対アイドル』のようにアイドルになってみたりするつもりは一切ないらしい。遠山さん、わざわざ作品名を出してきたあたり、自分以外の女装=創作も好きとみた。あるいは研究のために読んでいるのか。
ともあれ、仲田さんには僕からおせんべいを半分差し上げておき、次は五郎さんにアイデアを出してもらおう……と思ったら、なぜか五郎さんはイラストを描き始めていた。
「五郎さん、何を描いてるの」
「アイデアだ!」
彼はものすごいスピードでイラスト3枚を描き上げると、それらをクリップでまとめてから遠山さんに手渡した。
当然ながら気になるので、遠山さんの後ろから読ませてもらえば、我が目に飛び込んできたのは――筋トレのマニュアル。
リアルな人体イラスト付きで全身の筋肉の鍛え方が説明されていた。さりげなく五郎さん家のスポーツジムの住所が載っているのが微笑ましい。
「やめたくてもやめられないなら、女装に向かない身体を作ればいい。周囲がムリヤリにでもやめさせるだろうからな」
五郎さんは自信ありげに説明する。
僕の脳裏にいつぞやの伏原くんのお兄さんの姿が思い浮かんだけど、あまり思い出しすぎると吐きかねないので手近な仲田さんで中和しておいた。僕に見つめられた彼女は「ん?」とせんべいを口に入れる。食べてどうするんですか。
「ウチに任せれば半年でジェイソン・ステイサムにしてやるぞ」
「あー……」
五郎さんのそんな誘いに、遠山さんは明らかにイヤそうな顔をした。
女装はやめたいけどムキムキにはなりたくないらしい。まあ日本ではムキムキはモテないもんね。
「ねえ。そもそも、どうして君は女装をするようになったんだい。きっかけと原因を教えてほしいな」
仲田さんがおせんべいを食べながら、油のついた指先で遠山さんに問いかける。
対して、遠山さんは少しばかり悩むようなそぶりを見せてから、
「――従姉たちより上の存在になりたかったんです」
己に訪れたきっかけについて話し始めた。
曰く、彼には年の近い従姉が二人して、どちらもすごい美人らしい。
小さな頃から親戚が集まる場では一緒に遊ぶように言われ、当然のごとくオモチャにされてきたとのこと。
物心ついた頃には、すでに女の子の服を着せられていたそうだ。
「イヤなのに抵抗できない、みんなの前に出されて恥ずかしい。だったらいっそ、早苗や祥子より女の子の格好が似合うようになってやろうって」
遠山さんは中学生時代から行ってきたという努力をいくつか教えていれる。
適度に筋肉を付けつつ、ぜい肉にならない程度の肉も付けることで形の良いラインを作り出す。お肌の手入れは欠かさない。日焼けはしない。ひたすら大豆を食べる。
「……トレーニングなんて『パンデミック・インク』のヒカリくんみたいだね」
「『こち鶴』の婦警もやってたな」
「『青空にとおく叫びたい』の刑事も忘れちゃいけないよ」
僕と五郎さんと仲田さんがそれぞれタイトルを出し合ったのに対し、遠山さんは苦笑しつつ「あとで一二三くんに読ませてもらおう」と呟く。
いや、どれも五郎さんに借りたマンガだから今は手元にないよ……もしかしてクラスでマンガを奢るとかいう話をしていたのも、本屋で僕に女装作品を教えてほしかったからなのかな。
その件はともかくとして、そうして女装に目覚めた遠山少年は、いつのまにか従姉たちを超える容姿を手に入れていた。
しかしながら、あくまで手段だったはずの女装はいつのまにか目的と化してしまっていたらしい。
「だって、みんなにチヤホヤしてもらえるんだもん」
その旨みに足をとられ、その甘みに依存するようになり、その深みから抜けられなくなってしまった。
加えて自分よりも可愛い女子でないと好きになれないので、なかなか好きな人を作ることもできなかったらしい。
「……我ながらナルシストだよ」
おそらく僕を含めて三人とも思い浮かんだであろう英単語を、遠山さん自身が口にした。
本人もわかっているみたいだ。それでいてそれを治したいと。
「遠山くん。ちょっと来てもらえるかい?」
おもむろに仲田さんが立ちあがる。
彼女は遠山さんの手をとると、そのまま2人で『第2保管室』から出ていってしまった。
いったい何をするつもりなのか、おおよその検討はついていたので、僕と五郎さんは特に何も考えずに「石室」へと向かう。
ところが、中央ホールに彼女たちの姿はなかった。
どこに行ったんだろう。
五郎さんと首をひねっていたら、ポケットのスマホにメールが送られてきた。
『早く外においで。これからみんなで本屋さんに行こう』
見れば、遠く出入口のガラス戸の向こうで、仲田さんが手を振っている。
次回、3部最終回です。




