16-2
× × ×
実質的なファーストコンタクトから、昼休み、放課後と時間が経つにつれて、僕の中で彼女に対する疑念は少しずつ膨らんでいった。
疑念。それは彼女の行動に由来する。
転校してきたばかりなのにすでに仲の良さそうな友人が何人かいるのは、きっと彼女の人当たりの良さが理由なんだろう。ちょいちょいイジったりイジられたりしていて、いかにも健全な人間関係を築いているように見受けられる。
ならば、なぜ彼女は彼らに学校の案内を頼まなかったのか。どうして、あえて冴えない小山内一二三が選ばれたのか。
鳥谷部さんが自ら率先して手を挙げた――ありえない。だって、あの子は自分から人に話しかけるようなタイプじゃないから。
先生が決めた――これはありそうだけど、それこそ僕を選ぶ理由がない。
同じ女子たちに任せるのがベターだ。先生の立場としては早くクラスの女子社会に馴染んでもらいたいだろうし。
となれば、やはり彼女が小山内を指名したと考えるのが合理的となる。
その理由を推察するためには、今のところ材料が足りない。
「で、五郎さんはどう思う?」
「モテ期おめでとう。とっととくたばれ」
「そうじゃなくてさ!」
二日続けての同志の会合。
目の前で絵を描いている五郎さんは、獅子の雄たけびのようなあくびをした。すごくどうでもよさそうだ。これでは話にならない。
こうなったらストレートを投げるとしよう。
僕はあの転校生について、今日ずっと抱いていた疑念をぶつけてみることにする。
すなわち、もしかすると。
「……転校生、伏原くんなんじゃないかな」
「……は?」
「だから、伏原くんが正体を隠して帰ってきたんじゃないかな、と思うんだよ」
僕はそう言ってから、自分の発言に自信がなくなってくる。
伏原明佳。
7月の終わりに「石室」で自らの存在を消した中学生。
僕にとっては大切な同志であり、友人であり、恩人でもある。たくさんのマンガや小説を教えてくれたし、この『第2保管室』に呼んでくれたのもあの子だった。
今は新しい名前と姿を得て、どこかで暮らしている――はずだ。あれから一度も会ってないから詳しいことは知らない。
ひょっとすると、今は別の世界にいる可能性だってある。「石室」にはそれだけの力があるからね。
あの時、彼はいつか僕たちの元に戻ってくると言っていた。三年後になる「かもしれない」とも。
つまり、基本的には未定なのであって、別に今日や昨日帰ってきてもおかしくはないのだ。あれで寂しがりやなところがあるし。
五郎さんから返事が返ってこないので、何となく彼の手元に目をやってみると、なぜかペン先が止まっていた。トン。彼のシャーペンがイラストの上を転がっていく。拾う気配はない。
目線を上げてみれば、彼の力強い瞳はまぶたに隠されていた。
ガチャリ。パイプ椅子から体格の良い身体が立ち上がる。
そして口が開かれる。
「……仮に伏原だったとして、何のために戻ってきたんだ?」
「え、いや、そりゃいつか戻ってくるって言ってたし」
「今なのか?」
「まだ3年は過ぎてないけど、別にきちんと決まっているわけでもないから……」
「小山内。今なわけ、ないだろ」
五郎さんの目は据わっていた。じぃっと僕だけを見ていた。
殺される。久しぶりにそう感じたのは、きっと彼が本気で怒っているからだ。
よくよく考えてみれば、五郎さんにとっても伏原くんは大切な同志だった。それが僕のせいで――僕が彼の願いを叶えられなかったせいで消えてしまったのだから、怒っていてもムリはない。
むしろ、その怒りの火種を今までずっと胸中に秘めていていたんじゃないか。彼はずっとガマンしてくれていたんじゃないか。
そこに火をつけてしまったのは、他ならぬ自分だった。
「あいつは、お前の……!」
五郎さんが良い人なのは、みんながみんなよくわかっている。
なのに、ここまで本気で怒らせてしまうなんて。
「ご、ごめん!」
僕の口から反射的に出たのはそんな台詞だった。
対して、五郎さんは、
「……いや、こっちこそすまん。つい、カッとなっちまった」
バツが悪そうに、ゆっくりと席に座った。
そしてイラスト上のシャーペンを拾うと、指先で器用に回し始める。
僕の手には何もないので、ぷらぷらさせるのみ。
お互いの目線は、そんな手たちに否応なく向けられる。
ぎこちない空気になっているのは僕たちだけでなく誰の目にも明らかだ。うーん。五郎さんの火種が半端に残ってしまったからかな。
いっそ、きちんと怒らせたほうが――ダメだ。まだ死にたくない。
「……なあ、小山内。なんでお前は伏原が転校生だと思ったんだ」
おもむろに五郎さんが訊ねてくる。
「へ? えーと何となくかな」
「何となく……か」
こちらの答えに、五郎さんはじぃっと目を見つめてきた。
こうも見つめ合ってしまうと、素直にお喋りできなくなる。
「……あれだな。お前は生きづらそうだな」
「そんなことないつもりだけど……まさか見た目の話じゃないよね」
「違うに決まってるだろ。つーか、男が見た目なんて気にしたら……って、こんなのTSF好きのオレらに言えたことじゃねえか」
五郎さんは少し笑みを浮かべると、「まあ、とりあえず小山内には一つだけ忘れないでほしいことがある。それで済ませるか」と人差し指を立ててきた。
その一つを忘れないことで手打ちにしてくれるってことなのかな。
「いいよ。というか、そんなことでいいなら」
「だったら絶対に忘れるなよ。お前が他の誰でもなく鳥谷部を選んだってことだけは、死んでも忘れるんじゃねえぞ」
彼はそう言うと、こちらの右手をグッと握ってきた。
ゴツゴツしているだけあって、とても力強い。気を抜いたら折られてしまいそうだ。これがフィジカルエリートの力なんだろう。
「わかった、忘れないから、そろそろ……」
「おう」
やっとのことで五郎さんは手を解放してくれる。
ああ、地味に痛かった。そんなに強く握らなくてもいいのに。やっぱりまだ怒ってるんじゃないの。なんか笑ってるけど。
「ところで小山内、その転校生についてなんだが――」
「――見つけたよ、一二三くん!」
ガチャリとドアが開け放たれて、外からエアコンの涼しい風が流れてくる。
ちょうど話題になりかけていた転校生・遠山さんは、仰々しくこちらを指さすと、その端正な顔つきを心の底から嬉しそうにほころばせた。
「ここが、TS部なんだね!」
そして、すごく妙なことを言い出す。
え……何そのヤバそうな部活。ここってそんな名前だったっけ。
自分としては図書部に入るきっかけになった「TS部にようこそ」のポスターくらいしか思い浮かばないんだけど。あれって作った犯人は誰だったのかな。
「やっぱりこいつか! ウチのクラスでも噂になってたんだ!」
「五郎さんは知ってるの?」
「お前も昨日はウチのクラスにいただろ! ……ってああそうか。平尾としか話してなかったんだったか」
五郎さんは自分の中で納得してから、「オレたち、5組の転校生がヤバいって話でずっと持ちきりだったんだよ」と話を続ける。
たしかに遠山さんはヤバいくらい美人だと思うけど、だからといって話題を独占するほどのことかな。
そんなのは未だに『女子の人気投票』とか『学校のマドンナ』が存在する、マンガ次元だけの話だと思っていた。あの手の世界は往々にして主人公のクラスメートが各クラスの可愛い子の写真を売っていたりする。そして主人公が女性化したら主人公の写真も売られる。
五郎さんったら、創作の世界に毒されすぎなんじゃ。
「その様子だと、小山内は本当に知らねえみたいだな」
「なにが?」
「そいつ、男なんだぞ」
僕はパイプ椅子から崩れ落ちた。




