15-3
× × ×
食事を終えて、彼女と共にレストランから表に出る。
僕はペペロンチーノをいただいた。服に落ちないように食べるのが大変だった。味はまあまあ。彼女のハンバーグもそれなりの味だったらしい。
そこから先は、午前中と同じくアトラクション巡りになった。
急流すべりやウォーターライドでは濡れないように。
フリーフォールでは必ずスカートを抑えるように。
パターゴルフではいつもと異なる平衡感覚に気を付けて。
鳥谷部さんの身体は体力がないので、ちょくちょく休みながら、僕たちは午後の『こうりえん』を楽しんで回った。
それはとても、とても楽しい時間だった。
ゆえに、過ぎてしまうのも早いわけであって。
あっという間にやってきた夕方と、終わりを告げる蛍の光の音色。乗れそうなのはあと一つといったところか。
「鳥谷部さん。あれに乗ろう」
そんな中で彼女が選んだのはパークの中央にある観覧車だった。
いかにもデートの終わりに使われそうな、二人きりになれてしまうアトラクション。
係員さんのエスコートを受けて、地上からゴンドラに乗り込んだ僕たちを待ち受けていたのは、夢の時間を終えつつある遊び場の風景だった。
西の夕日はまるで家に帰るように告げる母の色のようで。
眼下に散らばるアトラクションは、片づける前のおもちゃのようで。
「……今日は楽しかった」
「そうだね」
彼女の台詞に僕は素直に同意した。
楽しかった。それはきっと遊園地だけの力ではない。
この人と一緒に過ごしていたからだ。
「まさか、鳥谷部さんとデートするなんて思わなかった」
彼女はポソリと呟く。
お互いのふりはまだ続いている。
「自分から誘ってきたのに?」
こちらのツッコミに、彼女は「ニッ」と静かな笑みを返してきた。
もぞっとした気分にさせられたのは、その笑みにちょっとしたイタズラ心を感じたからか、はたまた、わずかに胸が高鳴ったからなのか。
彼女はそんなこちらの反応を眺めてから、「春に出会った頃」と言葉を続ける。
「あの頃。僕はこんな風になるとは思わなかった。鳥谷部さんをいつもダメ出しばかりしてくる女の子だと思っていたし、僕もムキになって反抗したりした」
あー……まあ、そんなふうに思ったこともあったかな。
別にお金をもらえるわけでもないのに、図書館の掃除なんかしたくなくて。
って、なんで彼女に自分の思い出を代弁されているんだろう。いくらふりをするといってもやりすぎなんじゃ。まさか記憶が混ざってるわけじゃないよね。それは業界的には危ない兆候だ。
「でも、話しているうちにすごく楽しくなってきたんだ。鳥谷部さんとなら、なぜか自然に話すことができたし、なぜか笑いもこみあげてきた」
「えーと……小山内くん?」
「いつからと言われても、わからない。いつのまにかだと思う。目で追うようになって、たまに追いかけるようになって、鳥谷部さんが珍しい趣味を持っているのも知った」
「ん? いや、それはたぶん僕の話だと」
「初めは自分に興味を持ってもらえないかもしれないと思って、すごく不安になった。身勝手にも矯正できないかとすら思った。でも必死にTSについて説明するあなたの姿に、そんなことはどうでもよくなってきた。ちゃんと説明を聞いたら、違うのもわかったから」
小山内の姿をした彼女は、ゆっくりと思い出を語り続ける。
それは時に僕の話だったり、彼女の話だったりしたけど、紛れもなく僕たちが歩んできた時間の話だった。
「必死。気づけば、鳥谷部さんの回りには源五郎丸くん、仲田さんがいて、あと、あんまり思い出せないけど中学生の子もいたんだよね。それで僕は何だか置いてけぼりにされたような気分になったんだ」
ゴンドラが揺れる。
そんなつもりは全くなかったんだけどな。
でもたしかに、同志という共同体は彼女からしてみれば一種の「仲間外れ」に見えたのかもしれない。
「だから石室で入れ替わった時は、すごく嬉しかった。入れ替わると仲良くなれるって大和路さんの本に書いてあったから」
「ああ……あの時は」
「その後で勇気を振り絞って告白したのに、待たされたのはムカついた。他の人の件が終わったのに待たされたのはもっとムカムカした」
「ごめん」
「今のは鳥谷部さんの話。だから、まだ謝らなくていいよ?」
彼女は窓の外に目をやると、「今がてっぺん」と呟いた。
ちょうどゴンドラがもっとも高いところに来ていた。地味に怖い時だ。おかげで吊り橋効果なんて言葉が脳裏に浮かんでくる。お尻がひやりとしてきた。
唯一、高所を感じずにいられる正面には、自分の顔。……このドキドキはどこから来るんだろう。怖いから来るのか、なら何が怖いのか。
ゴンドラの高さではなく、期待を裏切られることが怖いとするならば、僕の、この肉体の期待するものは何なのか。
たぶん、今にもわかってしまう。相手の口が動く。
「鳥谷部さん。僕はあなたが好き。すごく好き」
ストレートだった。
何のヒネリもないストレートだった。真ん中の直球だった。
そのせいで、他のことまでわかってしまった。
今回の件は――何もかもが「彼女のやってほしかったこと」だったということを。
小山内がやってくれないから、彼女が小山内の代わりにやってみせたのだ。
手をつなぐことも、リードすることも、食事をおごることも、可愛いと言ってあげることも、デートそのものも、そして今の告白も――みんなみんな、鳥谷部さんがずっと待ち望んでいたことだったんだ。
あまりの申し訳なさと情けなさに、僕のこの涙腺の弱い肉体は耐えられなかった。くそう。何が自分なりの誠意なんだ。答えから、不確かな未来から逃げていただけじゃないか。
もはや悔しいなんてもんじゃない。あらゆる意味で自分を軽蔑したくなった。
そして、そんな自分だとわかりながら、こんなにも好きになってくれた子を、当の自分が好きにならないはずがなかった。
すでにボールは渡されている。返すのは今からだ。
もう待たせるわけにはいかない。
「……私も」
あなたのことが好き。
できるだけ彼女らしく返したら、自然と身体が嗚咽を漏らした。
そんなこちらの手を、小山内の手が握ってくる。
お互いの手から伝わるものが、ゴンドラの揺れと合わせて、どこか脈打っている。
やがて「嘘つき」と笑ったのは、僕だったか、私だったか。
× × ×
ゴンドラを降りる頃には、僕たちは元に戻っていた。
一日ずっと背が低かったせいで、何だか空に浮いているような気分になる。足元がふわふわしている。
ゲートを抜けて、京阪の駅までやってくると、ちょうど急行が止まっていた。
慌てて飛び乗り、空いている席に二人で座ったところで、鳥谷部さんが安心したように息を吐く。
よほど気が休まったのか、あるいは単に疲れたのか。彼女は列車が萱島を通過した頃にはすっかり眠ってしまっていた。
こんな状態では放っておけない。僕は彼女を家まで送ろうと決める。
なにせ明日は始業式だ。長い夏休みが終わって、また学校生活が始まる。マジメな鳥谷部さんを初日から遅刻させられない。
「……ん? メール?」
ポケットがふるると揺れたので、右隣の彼女を起こさないように気をつけながらスマホを取り出してみる。
差出人は五郎さんだった。
明日は当番なので同志の会合を開くとのこと。楽しみだ。今日の件を伝えるかどうかはまだ決められない。
ふと、対面の窓に目をやれば、夜の暗がりが鏡を作り出している。
目をつぶっている彼女と、彼女にもたれられている自分の姿が映っていた。来る時はこうじゃなかった。
そう考えると僕も安心してしまい、ぼんやりとした睡魔に身を預けたくなってきてしまう。
しかし彼女を送るのだから眠るわけにはいかない。僕はしっかりと目を見開いて正面を見据える。迷路から抜け出したカップルが座っていた。
3部は「番外編」や「短編集」に近い内容で、主に本編で描ききれなかった登場人物の話をまとめてみました。
五郎の妹たち、仲田の小説、そして今回ですね。
それらの描きたかった部分も15話までに大体は表に出すことができましたので、次なる16話では久しぶり(?)にジャンルのお話をする予定です。
終わり際なのに新キャラも登場します。
あと少しではありますが、お楽しみいただければ幸いです。




