15-1 桜色男女ちゃん
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昔から自分の秘密を話すのは好きじゃなかった。
特に女の子になる話が好きだとか、女の子になってみたいだとか、そんな話は絶対にしてこなかった。
恥ずかしいし、変な奴だと思われてしまうからだ。
今でも同志以外には明かすべきではないと思っている。
こんな風に、お墓まで持っていくような秘密を小さな頃から抱えていたからだろうか。
いつしか僕は秘密について話すこと自体が苦手になってしまっていた。秘密主義というか。
しかしながら、ここは僕の頭の中である。何でも自由に考えることができる(注:赤ぶちメガネの女子中学生が近くにいなければの話。今は自宅の布団の中なので関係ない)。
例えば、小学生の時に一度だけ母親の下着を身につけたことがあるとか。
最近になって小学生の頃にいつも後ろについてきていた可愛い子が「明佳」という名札を付けていたことに気づいたとか、そんな話もできる。
前者は小山内一二三の一生の汚点であり、それこそ墓場まで持っていくつもりだけど、後者は別に五郎さんや仲田さんになら話しても良い気がする。でも、何だか話しづらい。
恋愛絡みの話はどうだろう。
僕には好きな人はいない。ただ気になる人はいる。その人に多少なりとも独占欲を持っている節もある。自分以外の人になびかれたら一月は立ち直れない自信もある。その人に魅力を感じない日はない。
こんなことを知り合いに話せば、何と返されるかな。
僕は自分の中できちんと好きと答えられるまで待たせてもらいたいのだけど、仲田さんには「早くしないと可哀想」と言われたし、五郎さんには「お前がモタモタしているとあいつが何かしでかすぞ」と注意された。あれ、自分からは何も言ってないはずなのに秘密がバレているような……。
ともあれ。僕の考えは変わらない。もう少しだけでも待ちたい。きちんと気持ちを固めてからでないと彼女にも失礼だと思う。
6月に好意を伝えられてから、もう2ヶ月になろうとしているけど、せめてあと1ヶ月だけでも待たせてほしい。
それが僕なりの誠意のつもりだった。
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目が覚めると、なぜか食卓にいた。
三人掛けのテーブルには白いレース柄のテーブルクロスがかかっており、その上には白いお皿にハムエッグとサラダが用意されている。
どちらも我が母のセンスではない。そもそもこんな凝った朝食を作ってくれるはずない。やたらとリビングが広いのも奇妙だ。天井に採光窓なんてあったかな。
なんて、トボけたふりをするまでもなかった。
なにせ僕には経験がある。目の前にいるのはダンディなおじさんと若々しい奥さん。彼らにも以前お会いしたことがある。
紅茶を口にふくんでみれば、いつもより猫舌だった。右手も細い。何より身体が全体的に小さい。
「どうしたんだ。急に黙って」
おじさんから話しかけられる。
ついさっきまでこの身体は饒舌にお喋りをしていたようだ。
話の続きなんてできるはずもないので、彼女らしく「休憩」と短く答える。
すると、おじさんとおばさんは嬉しそうに微笑んで、
「言ってから恥ずかしくなったんだな」
「小山内くんとデートだものね。遊園地なんてステキだわ」
ビックリするようなことを仰ってきた。
小山内くんとデート?
そんな予定、本人は全く聞いていないんだけど。今日は夏休みの課題に精を出さねばならず、外出するつもりはなかった。
もしかして自分の名前が外出のダシに使われたんじゃ……なんて本気で思うほど、小山内一二三は鈍感ではない。
これは彼女の企図したことだ。突然の『おれがおまえでおまえがおれで』に加えてデートだなんて。
くそう。くそうくそう。
僕は悔しさのあまりハムを平らげた。
悔しい。自分の望まぬ形で女性にされた上にデートまで強いられる。ごちそうさまの後に彼女の部屋へと向かってみれば、机の上に手紙があって、迎えに行くから用意した服に着替えておいてとあった。悔しい。本当に悔しい。
だって。
「こんなのただのご褒美じゃないか……!」
僕はパジャマ姿で錯乱しそうになる。
ああ、僕の中で元に戻りたい元男性が完成してしまっている。
早く元に戻りたいと思えば思うほどに、脳内にはない何かスピリチュアル的な存在が破滅的な快楽をばらまいてくる。それに抗うためには元に戻るしか方法がなく、余計に鏡に映る鳥谷部さんの表情筋がおかしくなる。
例えるなら自縄自縛のまま快楽物質の沼に漬け込まれたような気分だ。わけがわからない。
彼女のスマホに届いていたメッセージによれば、僕の肉体が迎えに来るのは1時間後らしい。それまでに手紙に書いてある通りに髪に手入れをしたり着替えたりしないといけない。くそったれ。誰が鳥谷部さんに入れ知恵したんだ。五郎さんあたりか。
とりあえず、姫カットのブラッシングから。下着はすでに付けてあるけどいっそ別のものに……いや後でバレたら気恥ずかしいな。
胸元に申し訳程度のフリルがついた白いブラウスとありふれたデザインのスカートに着替えさせてもらい、日焼け対策の帽子に身を包む。身体が覚えているせいかそんなに時間はかからなかった。それにしても男受けしそうな組み合わせだ。鏡に映る彼女は悔しいくらいに可愛らしく見えた。
卓上の時計に目をやる。迎えが来るまでもう少し。
ふと、僕はいつかの彼女の台詞を思い出した。
『机の引き出しの中身、見た?』
あの時はそれどころじゃなかったから見ていなかったけど、今は原理原則を理解済み。すぐにでも引き出しを漁ることができる。
今日だけでも散々悔しい思いをさせられたんだから、何より相手も同じことをしているかもしれないから……僕はおそるおそる学習机の引き出しを引いてみた。
『閲覧可』
つまり中身を見てもいいということだろうか。メモの下には日記とお小遣い帳がある。マメな彼女らしいなあ。
僕は引き出しを元に戻した。内容に興味はあったけど、何となく見透かされているようでイヤだったのである。
× × ×
鳥谷部さんは時間通りに僕を迎えに来た。
「おはよう」
例によって他人の目に映る小山内一二三は格好良くない。むしろニヤニヤと笑っているばかりでキモいくらいだ。遺伝子の宝くじには完全に外れている。どうしてこんな奴を好きになるんだろう。
「可愛い。すごく可愛い」
挨拶もそこそこに、彼女はじろじろとこちらを眺めてくる。
あまりにも熱心に見つめてくるので、思わず玄関の扉に隠れると、彼女は「ケチ。私の身体なのに」と不満を露わにした。
別に自分の身体なんて、それこそいつでも見られるだろうに。何のために部屋にあんな鏡を置いているのやら。
いや……待てよ。もしかしてこの子、僕の目から見た自分が可愛いことを喜んでいるんじゃないか。小山内一二三の肉体は鳥谷部さんに魅力を感じている。それを実際に体感できたからこそ、こんなふうにニヤニヤしているのだろう。
この推測を証明するかのように、彼女は「彼女にしたい」と息を吐く。申し訳ないけど、今そんなこと言われても困る。
それより、どうしてこんな状況を作り出したのか、彼女に訊かないと。
「鳥谷部さん、今日はなんで入れ替わり……」
「ダメ。今の私は小山内一二三。小山内くんと呼んで」
「いや、小山内は僕だから……」
「僕はTS作品が大好き。今お気に入りなのは『桜色男女ちゃん』だよ」
「やめて! 変に真似しないで!」
彼女の言動にハラハラさせられる。
なにせ、いつのまにやら玄関の近くに彼女のお母さんが立っていたのだ。会話の内容まではわかっていないようだけど、とても微笑ましそうに僕たちを眺めている。そんな人の前で同志の話は避けてほしい。
僕は「急に入れ替わりなんてどうしたのさ」と彼女に耳打ちしてみる。
すると、彼女は「えへへ」と恥ずかしそうにしてきた。ええい。相変わらず入れ替わったら妙に使い物にならなくなる人だ。
「うふふ。本当に仲が良いのね。小山内くん、今日は娘をよろしくね」
ここでおばさんがリビングに戻っていった。
よし。耳打ちしなくて済む。
「鳥谷部さん!」
「……また入れ替わってみたかったから」
くっつくような体勢から身を離したこちらに対して、彼女は名残惜しそうに耳を触りながら答えてくれた。
よほど以前のピンチが楽しかったらしい。
「だったら、別に今日じゃなくてもさ。昨日まで東京にいたから今日中に数学の問題集を解かないとマズいんだよ」
「宿題なんて夏休みの初めにやっておくべき」
「完全なる正論だけど、とにかく早く元に戻ろうよ」
「……わかった」
彼女は小さくため息をつくと、なぜかこちらの肩をつかんでくる。
そして近づいてくる、小山内一二三の顔……。
「え、ちょっと勘弁してよ」
「やめない。これが元に戻る方法」
「いやいや、嘘つかないで普通に「石室」に行こうよ」
「そういうふうに設定したから」
鳥谷部さんはいけしゃあしゃあと答えてみせる。
口づけで元に戻る。なんともベタな設定だけど、やらされる身としては非常に困る。だって自分とキスなんてしたくもない。
彼女は「あと今日は休館日。でないと小山内くんも当番でしょ」と付け足した。たしかにそのとおりだ。
「別に休館日でも「石室」には入れる気がするけどね」
「委員の私が許可しない」
「だよね……ああもう。わかったよ……」
「口づけ?」
「しないけど、予定通りにはするから」
僕は彼女の財布に入っていた『こうりえん』のチケットを彼女に見せる。
鳥谷部さんの望みは遊園地デートなんだから、それさえ叶えてあげれば「石室」で元に戻してくれるはずだ。
「ケチ。初めてじゃないのに」
当の彼女はあれをしたかったらしく、ちょっと惜しそうにしているけど、それについてはお断りさせてもらう。
あと以前の不意打ちはノーカウントにしてもらいたい。あれはズルいよ。というか、鳥谷部さんはずっとズルい。今の姿で言うと自画自賛みたいになっちゃうけど、まず可愛いのがズルなんだから。それだけで何もかもが許されるのはどうなのさ。
僕はそんな彼女の告白を保留した自らを棚に上げつつ、おもむろに握られた右手を払おうか払うまいか悩むことにした。




