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14-3


     × × ×     


 僕たちの街と同様に、東京にも夜は訪れる。

 ファミリーレストランでドス黒いうどん出汁に悩まされてから、予約していたビジネスホテルまでやってきた僕たちは、そこで二つの部屋に別れることになった。


 ふふふ。まさか期待していたのかい?


 なんて軽口を叩いてくださる仲田さんはもういない。

 今、隣の部屋にいるのは、あらゆる希望をなくした生ける屍である。

 出版社からの帰り道を魂の抜けた姿で歩いていた彼女は、レストランでも存分にゾンビぶりを見せつけてくれた。

 まず料理が来るまでは放心状態で、次にしょうゆ味のうどんをひと口すすってから「ダシ使えよ、ダシ」「これじゃ汁を飲めねえよ」「なんで薬味が白ネギなんだよ」と、イライラした目つきで人格が変わったような呟きばかりしたかと思えば、しまいには悔しそうに涙を流し始める始末。

 そうした感情の起伏を繰り返した末に、心の器が限界を迎えてしまったようで、やがて彼女は現在の真っ白に燃え尽きた仲田さんに収束していった。


「……仲田さん、大丈夫かな」


 僕はビジネスホテルのベッドに横たわり、今も燃え尽きているであろう彼女に想いを馳せる。

 夢に近づいたはずが、己の羽を溶かされてしまった仲田さん。

 いつもお世話になっていることだし、せめてもう少しだけでも慰めの言葉をかけて差し上げるべきか。それでほんのちょっとでも元気になってくれたら幸いだ。

 僕は靴を履いた。隣の部屋に向かうためだ。


「仲田さん、小山内です」


 コンコンとドアにノックしてみる。

 反応がないのでドアノブをひねってみると、カギがかかっていなかった。無用心だなあ。

 どうせベッドで倒れているんだろう。

 中に入らせてもらうと……何やら水の流れる音が聞こえてきた。


 これは……たぶんマズイやつだ。見れば、バスルームの灯りが、廊下を挟んだ対面の冷蔵庫を照らしている。

 僕はその眩しさから逃れるべく、密かに彼女の部屋を出ようとした。


「待って、小山内くん」


 しかし呼び止められてしまう。バレていた。

 うーん。別に他意があってきたわけではないのに、何も言わずに逃げるのは逆に怪しまれそうだなあ。

 でも、仮にも女性のシャワー中に滞在するのは……なんて内心で悩んでいると「お願いがあるんだ」と話しかけられた。続いてシャワーの音が止まる。

 落ち着こう。相手は女子大生だけど男の人だ。初めて会ったのが女性の姿だからついつい女性扱いしてしまうだけじゃないか。平常心を保つんだ。僕は今まで元男との関わり方を死ぬほど学んできたんだぞ。成果を出すべき時が来たんだ。


「な、何ですか、仲田さん」

「カバンからバスタオルを持ってきてくれないかい。ここの奴はさっき顔を拭くのに使っちゃってさ」

「あ、はい」


 僕は言われるがままに彼女のキャリーバックを探る。ありがたいことに下着の類いは目につくところに入っていない。件のバスタオルはライブ用のピエロ衣装の下にあった。

 問題は、これをどうやって仲田さんに渡すか。


「あの。バスルームの前に置いておきますから、僕が外に出てから拾ってもらえますか」

「そんなことしなくても、ドアを少しだけ開けるから手渡しておくれよ」

「わかりました……」


 僕は血の巡りが良くなるのを感じる。

 出来るだけドアから目を背けながら、左手でバスタオルを手渡せば、「ありがとう」と彼女から声が返ってきた。

 ああ、生きた心地がしない。

 するすると水気を拭き取る音から意識を逸らすべく、僕はテレビをつけようとリモコンを探してみる。見当たらない。脳内で伏原くんに「お主は阿呆じゃのう」と笑われてしまう。お主キャラがブレておるぞ。


 ガチャリ。不意にバスルームのドアが開け放たれた音がした。

 よくよく考えてみると、仲田さんにはバスタオルしか渡していない。

 つまり。


「……早急に出ていっていいですか」

「ふふふ。君がそうやって慌ててくれるのがすごく楽しいよ」


 仲田さんは「小山内くんは姉や妹がいないんだっけ」と言って、ほのかな熱と共にこちらの目の前まで歩いてくる。

 いけない。見たらダメだ。反射的に僕は目をつぶる。


「仲田さん! はしたないですよ!」

「君になら見せてもいいつもりさ」

「そんな!」


 抗えずに目を開くと、そこには浅黄色に柄の入った子どもっぽいパジャマ生地があった。バスタオルは忘れていたのに、パジャマは持って入っていたらしい。

 僕は思わず「お主、めちゃんこ怒るぞよ」と口走ってしまう。

 いや、別に期待していたわけじゃないんだからね。


「ははは。ごめんよ。でも、おかげで元気が出たかな」


 仲田さんは楽しそうに笑いながら、バスタオルで自分の髪をわしわしと拭き始める。ふんわりとした香りはシャンプー由来なんだろう。アロマ効果で怒る気が失せていく。

 パジャマ姿の女性か――なんか見ていると妙な気分になってくるなあ。生活感がダイレクトに伝わってくるというか。肌が上気していたり、水がしたたっていたりするのも、いつもの仲田さんのおふざけなイメージから逸脱していて……メイクを落としてもあんまり顔は変わらないのか……。


「ところで、小山内くんはなぜボクの部屋に来ていたんだい?」

「それはまあ元気づけてあげたかったからですけど」

「……小山内くん、ボクはすぐに落ちるから言葉には気をつけないと大変だよ。めちゃくちゃチョロいんだよ?」

「そんなつもりはありませんから……」


 実際、本当にチョロかったらバンドのギターさんとくっついているはずだし。

 僕は苦笑いしつつ、仲田さんが元気になってくれたことに内心で安心を覚えた。あとは部屋に戻るだけだ。


「どこに行こうというのかね?」

「なんで急にラピュタ王になるんですか……いや、そりゃ帰りますよ」

「ボクが逃がすと思うのかい? この千載一遇の好機を」


 ニヤリと人相の良くない笑みを浮かべる仲田さん。その右手にはお風呂上がり用の化粧水が握られている。相変わらず全力で女子を満喫している方だ。

 こういうのって誰かに教えてもらっているのかな。


「小山内くんは気づいていないようだけど、ボクがわざわざ君を呼んだのは、君と二人きりで話がしたかったからなんだよ」

「え、たしか五郎さんだと代役ができないからじゃ」

「あれは大した問題じゃないと説明したよね。指パッチンで済ませる方法もあるし。何より五郎くんとは鳥谷部さんと3人でプールに行ったからさ。あれに加えて旅行なんて誘ったら関係を疑われちゃうよ」

「ちょっと待ってください、それ初耳なんですが」


 あの3人でプールに行っていた?

 この夏休みに?

 僕は仲間外れにされたショックでベッドに倒れそうになる。足元が全くおぼつかない。

 今さらながら、いつぞやの五郎さんの悩みを理解する羽目になるとは。


「あ、別に小山内くんを仲間外れにしようとしたわけではないよ。ただ君はあの日、河尻と海遊館に行っていたからさ」

「くそう、別の日にしておけばよかった!」

「行かなきゃよかったと言わないあたりが小山内くんの良いところだね」


 仲田さんは「とにかく君と話がしたいんだ」とベッドに座った。ぽんぽんと隣を叩いているのはそこに座れということなんだろう。

 プールかあ。良いなあ。行きたかったなあ。前に河尻組と行った時はすごくアウェーだったから次があったら絶対に楽しみたいと思っていたのに。


「――で、小山内くんは鳥谷部さんと付き合うつもりがないのかい?」


 その質問は内角をえぐる150キロのストレートだった。

 いきなり、なぜそんなことを。

 こちらがそう訊ねる前に、彼女は化粧水をパンパンしながら話を続ける。


「ボクが知るかぎり、君はあらゆる選択の末に彼女を選んだわけだよね」

「え? いや、そんなことは」

「小山内くんに自覚がないにせよ、もしくは彼女に選ばれたにせよ。小山内くんがあの子を好きなのは嘘じゃないだろう?」


 仲田さんはこちらの目をじろりと見つめてくる。

 別の意味合いで目を逸らしそうになるのを、僕はぐっと堪えた。


「はあ……まあ……」

「なら、早く彼女を気楽にさせてあげたほうがいいと思うんだ。いらないお節介かもしれないけど、そうしないとあの子も可哀想だよ」


 彼女はふっと目を窓の外にやると、こちらに寄せていた身体を大きく逸らして、「そうさ。あの子が、だよ」と呟いた。


 どうして仲田さんがそんなことを言ってきたのかはさておき。

 自分が鳥谷部さんとの件を未だに決定付けられていないのは、決して彼女の気持ちを疑っているわけでもなければ、他に気になる人がいるわけでもなく、TS娘でないと好きになれないわけでもなく――単純にそういう経験が今までなかったからだ。

 つまるところ、どうすればいいのか、さっぱりわからない。むしろ中学までに「付き合う」という行為を経験している人たちがおかしいような気さえする。こういうことってもっと難しくて慎重になるべきことだと思うんだけど。


「……付き合うって何なんでしょうね」

「おうふっ! ダメだよ。ダメダメ! 生まれてからまともな恋愛したことが全くないボクに訊いても何も答えられないよ!」


 仲田さんは両手でこちらを押しのけようとしてくる。近づいてきたり押しのけてきたり忙しい人だ。


「というか、仲田さん、かなり元気ですね」

「元気じゃないさ! あの件で傷ついているよ! ガラスのハートがブロークンだよ! だから慰められたらすぐ落ちるよ! 即落ちだよ!」

「そんな傷ついている人が、他人を気に掛けたりできるもんですか?」

「それはあれさ! この件はボク自身よりも大切なことだからね!」


 彼女は妙に恥ずかしそうにしながら、ベッドから立ち上がった。その足が向かうのは先ほどの冷蔵庫。中にはお酒が入っていた。


「傷ついたぶんだけお酒で埋める。これが大人のやること、大人だからやれることだよ」

「アル中になりますよ」

「ならない。なったらなったで「石室」で治すから」


 プシュッとプルタブを引いて、彼女は缶ビールを口に流し込む。

 お風呂上りに呑んだらアルコールがすぐに回ってしまいそうだけど、本人は酔いたいみたいだからそれでいいんだろうな。


「さあ。夜はまだ早いよ。小山内くんには鳥谷部さんを選んだ理由をたっぷり教えてもらいたいところだね」

「だから別に選んだわけでは」

「じゃあ、君は彼女に落とされたわけだ」

「そういうことでもなくて……」


 いや、まあ、ぶっちゃけあんな可愛い子に好意を寄せられたら、もう逃げ場なんてなかったんだけどさ。

 口先でごまかしつつ、僕は仲田さんが持ってきてくれた缶入りのカルピスウォーターをいただくことにした。

 自分で作る時よりも若干味がマイルドなのはむしろ長所だ。ほのかに甘くて心地よい。冷たいのがすばらしい。


「へへへ。ボクが酔いつぶれるまで逃がさないよ。むしろ朝までコースだよ」

「なら、どうして二部屋も予約したんですか」

「小山内くんって、たまに考え方がいやらしいよね」

「もういいです」


 自称「お酒に強い」くせにすでにお酒が回りつつある彼女をあしらいつつ、僕は先ほどから少し気になっていた「ボク自身より大切」という台詞について考えることにする。

 仲田さんにとって自分より大切なものって何なんだろう。



     × × ×     



 翌日。秋葉原や浅草といった定番ルートを回ることにした僕は、二日酔いでダメになっている仲田さんを引きずりながら歩く形で東京の街を満喫させてもらった。

 夜には予定通り『ペーペーシャ』が地元のライブに参加。

 仲間と合流した仲田さんはようやく正気を取り戻し、例によってステージ上で古いアニソンばかり歌っていた。お客さんが盛り上がってくれたのは幸いだったけど、たぶん仲田さんの歌よりベースさんの色っぽいMCスキルが理由だろう。


 そんな感じで、何だかんだで東京での一泊二日は終わってしまい、僕と仲田さんはまたもや夜行バスに乗り込むことになった。

 他のメンバーたちはみんな新幹線らしい。

 仲田さんだけバスなのはイジメとかではなく、たぶん僕の分のお金も出しているからだ。


「ふへへ……3巻で打ち切り……コミカライズは全1巻……まさかのアニメ化決定からの続報出ず……次の企画が通らない……やったー……」


 バスの中で仲田さんはとても楽しそうな夢を見ていた。

 はたして彼女が見ているのはどんな内容の夢なのかな。

 僕は隣の席から「今回はありがとうございました」とお礼を述べつつ、己のおでこの汗をぬぐった。またしても座席がエンジンルームに近いのはなぜだ。


 次回は鳥谷部さんと入れ替わりデート回です。

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