14-2
× × ×
初めて訪れた東京は、ビルばかりだった。
空を突き抜けるほどの超高層建築が軒を連ねており、地上からでは街の全貌を臨むことすら難しい。
この感じを一言で表現するなら、
「梅田みたいです」
「僕たちの街から来た人は、大体そう言うみたいだね」
仲田さんはキャリーバックをくいっと引いて「あっちだよ」と新宿駅を指差した。
東京にも山手線という環状線があるようで、地元同様に主要な街を巡っているらしい。
彼女に連れられるまま乗り込み、何駅か過ぎたあたりで降りる。今度は私鉄に乗り換えて七分で降りる。
たどり着いたのは天王寺みたいな雑多な街だった。
「この雑居ビルの四階に出版社があるんだ」
「大手ではなさそうですね」
「去年出来たネット小説専門の出版社らしいよ」
仲田さんはビルの看板にある『ウェブから世界へ。野村出版』という表札を指差した。
ネット専門。去年出来た。
怪しさしか感じない情報だけど、この出版不況の時代にあえて会社を立ち上げて挑戦する勇気は買うべきだと思う。
敬愛する大和路先生も本の中で言っていた。踏み出す勇気が少年の心を少女に変えるのだ。その美しさに我々は心を奪われた。チャレンジを恐れてはならない。だから私はいつまでも諦めないのだ。
仲田さんと共に、いかがわしいチラシの貼られた階段を上っていく。
昼間なのに薄暗いのは蛍光灯が交換されていないから。まともなビルとは言いがたい。大丈夫かなあ。
「あ! 仲田良弘先生でございますね!」
四階まで上がったところで、若い女の人に出迎えられた。律儀に廊下で待っていてくださったらしい。
目がぱっちりしていて、容貌も整っており、何よりレディーススーツの下で白い足が光っているにも関わらず、いまいち垢抜けない印象なのは、本人が田舎のおばちゃんみたいな穏やかな笑みを浮かべているからだろうか。
細い首からは俗に「首輪」と呼ばれる社員証のホールダーをぶら下げていた。
「初めまして。野村出版の今成涼子と言います」
「涼子? 自分も良子ですよ」
「ほんとですか? やだ、すごい偶然!」
キャッと手を合わせる、今成さんと仲田さん。
さしづめ「ダブルりょうこ」といったところか。
「そして、こちらが弟の仲田良弘です」
「……どうも仲田です」
仲田さんに促される形で、僕は作家・仲田良弘として挨拶をする。本物であるところの仲田さんは従姉の仲田良子さんということになっている。なぜ素直に姉にしなかったのか訊ねてみたら、本人は「うふふ」と笑みを浮かべるばかりだった。
「え、ほええ……?」
僕の自己紹介に、今成さんはなぜか怪訝そうに目を細めていた。
「あの、僕、変なことを言いました?」
「あ……いえ。以前お電話させていただいた時は声が高かったので、てっきり先生は女性なのだと思い込んでおりまして!」
男性だったんですね。まあ作品からも男の目線が滲み出ていますしね。
今成さんは一人で納得したようにうなづくと、事務所のドアを開いて僕たちを中に招き入れてくれた。
「……仲田さんって、ちょっと抜けてますよね」
「失礼な。忘れっぽいのはボクの一番良いところだよ」
仲田さんは「それより男の目線ってのが気になるなあ」と呟いて、今成さんから宛がわれたソファーに腰を据える。
僕も隣に座らせてもらったタイミングで、今成さんがアルミ缶のお茶を二つほど持ってきてくれた。業務用スーパーで売られていそうなブランド不明の品だ。特徴は安いことで、それ以外に言及すべきところはない。
「改めまして。今日は遠方からわざわざお越しいただきありがとうございます。では、さっそく先生の作品の件なのですが……」
今成さんは対面のソファーに座ると、大き目のクリップでまとめられた紙束を僕たちに手渡してきた。
紙束の表紙には『スキンスワップ』とある。
仲田さんが僕や伏原くんのアイデアを元に作り上げた皮モノ作品だ。女の子たちと男の娘がキャッキャウフフとお互いの皮で入れ替わる中に、時として謎の第三者が入り込んでくるお話である。
「私、久しぶりにすごい作品に出会ったと思いました」
「本当ですか!」
今成さんの褒め言葉に、仲田さんは満面の笑みで喰らいつく。やはり本職の人に褒められたら嬉しいものらしい。すっかり腰が浮いている。
「ええもう。特に2章後半の娘の皮をかぶった父親がなぜか皮を脱げなくなって、逆に娘が父親になり替わることで全てを穏便に済ませようとするシーンの描写はすごかったです。互いに思い合う親子の心が、ダイレクトに伝わってきました!」
「えへへ、えへへ」
「後で皮を脱げなかった理由が夕飯の食べ過ぎだとわかって、どうにか元の生活に戻れたわけですが、その直後には恐ろしい殺人犯が彼女たちの中に紛れ込んでくるという怒涛の展開。いったい誰が犯人なのか! 本当にピリピリ来ましたよ!」
「あはははは!」
おそらくこれを世間では褒め殺しと呼ぶんだろう。
僕は褒められすぎてニヤけが止まらない仲田さんと、なぜ従姉の良子さんが喜んでいるのだろうと怪訝そうにしている今成さんの姿を眺めつつ、犯人がメインキャラの男の娘を女の子だと勘違いしていたために正体を見破られるという作品のオチを思い浮かべた。
スカートの中のおちんちんを見つけて、思わず絶叫したところをお巡りさんたちに取り押さえられるみたいな終わりだったはずだ。
「ぼくのイチモツはワールドクラスだからねっ! ――この決めセリフは1章の1話につながっているんですよね!」
「そうなんです、わかっていただけますか!」
「わかっちゃいますよ、ファンですから。何を隠そう、先生の作品をぜひ本にしようと上司に伝えたのは私なんです!」
「きゃー! ありがとうございます!」
「いえいえ。ていうか、お姉さんすごい喜ばれますね」
今成さんのひと言に、仲田さんはやっと自分が役を忘れていることに気づいたらしい。
彼女は「か、可愛い従弟の小説ですから」とバツが悪そうにソファにもたれかかった。
それにしても、仲田さんの作品にこんなすごいファンがいたなんてなあ。何だか、少し遠い存在に見えてきてしまう。
「……さて先生。ここからは本の話になりますが」
「あ、はい」
「先ほども申しましたとおり、たしかに私は仲田先生のファンです。ただ上司はそうではありません。むしろ流行のジャンルではない作品の書籍化には二の足を踏んでいる状況でして、説得するのも大変でした」
そう言いながら、今成さんは少しばかり気まずそうな笑みを見せてくる。
何だろう。ほんのりイヤな予感がした。
「……それでその、どうにか説得はできたんですが、いくらか条件を出されてしまいまして」
「条件ですか?」
「はい。次の3点になります……」
こちらの問いに、彼女はメモ帳のコピーを机に置いた。
そこには3つの条件が書かれていた。
『一つ。作品の舞台を現代日本から中世欧州風の世界に変更すること』
『二つ。皮を用いるのは気持ち悪いので精神の入れ替わりに修正すること』
『三つ。登場人物は全て女性にすること。※人間でなくてもいい』
おおう……もはや作品が別物になりかねない条件だ。
特に三つ目なんて遵守すればTS作品の前提が崩れてしまう。先ほどの推理のオチも決まらなくなる。
「すみません。先生が呑めるはずないとは思います」
「はあ……」
「ただその、ウチはまだチャレンジできるだけの体力がないというか、そんな事情はあるにはあるんです。だから出来るだけ売れ筋に合わせたいみたいで」
今成さんはパーテーションに吊るされたポスターに目をやった。
何となく会社自体が狙っている「ライン」が見えてくる作品が並んでいる。中世から近世の欧州、妙な気持ち悪さのない王道っぽいお話、モンスター娘たちの百合(これだけTS並に業を抱えてそうなのは気のせいかしら)。
「ぶっちゃけファンとしては、先生には今回の件を蹴っていただいて、他の会社からのオファーを待ってもらいたいんです」
「………………」
「『スキンスワップ』はそれだけの期待を持てる作品だと思ってます。だからその、あんまり気を落とさないで……」
今成さん、途中から僕ではなく従姉の良子さんの手を握っていた。
それが本当の作者に気づいたからか、はたまた単に仲田さんが真っ白になるほど意気消沈していたからなのかはともかくとして、今回の件が完全にお流れになってしまったのは僕にも伝わってきた。
「出版……スマッシュヒット……3巻でドラマCD化……コミカライズ……アニメ化決定からの6巻あたりで心を打つようなシリアス……ふへへ……」
現実から目を背けて、己の思い浮かべていた未来を口頭で再生する仲田さんに、今成さんは申し訳なさそうに交通費の入った封筒を差し出す。
凄まじい執念で現実を捻じ曲げ、肉体の女性化まで果たした彼女でも、どうにもならないことはあるらしい。
逆に言えば、このような残念な展開は今回の件が「石室」を使わずに実力で手に入れたチャンスだったという証でもあって――僕は、
「仲田さんはすごいと思いますよ」
彼女にそう耳打ちしておいた。