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12-4


     × × ×     


 ライブハウスの出口から、対面の和風の門を抜けると、大きな鳥居が見えてくる。提灯で照らされた赤い両足をくぐりぬければ、そこは神社だった。

 厳かな境内には人の姿はまばらで、ライトアップされた拝殿を見に来ている外国人が多少いるくらい。


 そんな空間に、パーカーの少女が徒歩で入り込む。

 追いかけながら白衣とヒゲメガネを外していた僕と五郎さんに対して、彼は己のマスクとキャップを外そうともしなかった。

 パーカーのポケットに手を入れたまま、あくまで背中だけで僕たちと対峙しようとしている。

 あれだけ毎日会っていたのに、気づけば10日ぶりだった。


「おい。こっち向けよ」


 五郎さんが耐えきれずに声をかけた。


 すると、伏原くんは――明らかに従前のそれとは異なる声色で「すみません」と返してくる。

 やはり己の姿を変えていたらしい。よくよく見れば身長も少しばかり高くなっている。元々がすごく低かったからね。中学生までは女子のほうが成長が早いというデータを取り入れているのかもしれない。


 隣に目を向ければ、五郎さんはわかりやすく悲しそうな目をしていた。


「なあ。別に『それ』をするぐらいでオレたちの前から消えなくてもいいだろ……」

「すみません」

「オレたちはたぶん地球上の誰よりもその件に理解があるつもりだぞ」


 五郎さんは「同志じゃねえか」とかすれた声をもらす。

 思えば、彼のほうが同志になるのは早かったわけで、なおかつ進学する学校も同志の存在で決めたくらいの人なのだ。

 女装・反女装などでケンカすることはあっても、五郎さんが伏原くんのことを弟のように気にかけているのはみんなわかっていた。

 もちろん伏原くんもわかっていたはずだ。


 当の彼は……いや彼女は、境内の中心で立ち止まったまま、つまりこちらには背中を向けたまま、マスク越しに「すぅ」と息を吸い込む。


「――その同志だからですよ」


 伏原くんは間をおいてから「同志だからジャマだったんです」と呟いた。


 えーと……この子はいったい何を言っているんだろう。マスクのせいで酸素欠乏症にでもなったんだろうか。


「わかりませんか。わかってくださいませんか。なら、センパイたちも自分のこととして考えてみてください。センパイたちが小生のような道を歩んだと仮定してください」


 彼女はポケットからスマホを取り出すと、おもむろに物語を語り始める。


 あるところに特に取り柄のない少年がいた。

 ある日、彼は不慮の事故で命を失ってしまった。それを憐れんだ神により彼には新しい人生を与えられた。

 目が覚めると女子高生になっていた彼は、全くの別人の人生を歩んでいくことになる。

 初めてのブラジャーに、初めてのお風呂に、初めてのスカートに、初めての登校に、初めての交友関係に、初めての視線に、初めての恋に――ビックリさせられることばかりだったが、彼女の後ろには常に「同志」の目があった。


 ブラジャーどうだった?

 お風呂どうだった?

 スカートはスースーした?

 学校はどうだった? お友達はできた?

 男の子から変な目で見られなかった?

 あの子が好きになったの?


 かつては同じくTSFを好んでいた少年は、かつてのように「同志」として絡んでくる彼らを厄介だと思い始めた。

 どうして彼らに自分の感じたものを説明せねばならないのか。どこで萌えただのそんな話をしなければならないのか。あまつさえ、こうしたほうが萌えたのではないかと意見されねばならないのか。

 彼らと会わない時であっても、彼らが訳知り顔で近くにいることが腹立たしくてたまらなかった。

 少年は「同志としての自分」よりも「本来の自分」として今を味わいたかったのだ。


「だから小生はこうしたんです」


 伏原くんはスマホをポケットに入れた。

 さらに「ゲームと同じです。ドキドキワクワクを楽しみたいのに、上級者から口出しされたらたまったもんじゃない」と付け加える。


 彼女の語った物語に、僕と五郎さんは返す言葉を失っていた。

 残念ながら――伏原くんの言い分には、異論を差し挟む余地がまるでなかった。

 自分だって新しい人生を送るとするなら、その世界の中に同志の存在を含めるとは到底思えないし、彼女の言うように「TSするとこうなる」をわかっている奴らに自分の反応を見られ続けるのは耐えがたいはずだ。

 自分だけの特別な体験にしたい。その気持ちも痛いほどにわかる。

 彼女にいらないもの扱いされたのも「それなら仕方がない」と思えてしまう。心の同志だからこそ、心の同志ゆえに。


 伏原くんは「センパイたちがいたら小生はTSFを楽しめないんです」と呟く。

 それは同志として、もっとも辛い一言だった。


「……わかった」


 五郎さんは短くそう言うと、ライブハウスのほうに戻り始める。

 去り際に肩を叩かれたのは何なのか。「もう行くぞ」なのか、あるいは。


 どちらにせよ、僕としてはこんな形で伏原くんとお別れになるのはイヤだ。

 いらないもの扱いされたのは仕方ない。

 でも、だからといって、今までの積み重ねを無かったことにするのはおかしい。


 この子のおかげで「同志」になって、色んなことがあって、色んな人に出会えて、僕は本当に楽しかったんだから。たくさんの本を教えてもらい、TSについて語り合い――そんな時間をくれたことには感謝しかない。恨みなんてあるはずない。

 僕は小さく頭を下げた。


「伏原くん。今までありがとう」

「……センパイも五郎さんも、本当に良い人ですね」


 彼女は「いっそキライになってくれてもいいのに」と肩を落とす。


「キライになんてならないよ」

「小生も別にセンパイたちがキライになったわけではないんです」

「わかってるさ」

「…………本当にわかってんのかな」


 おもむろに拝殿へ近づいていく伏原くん。

 追い越さないように追いかけてみると、拝殿の入り口には仕切りが設けられていた。夜には入れないらしい。

 ここの神様は女性だから、プライバシーを気にしているのかな。

 もしくは単に防犯上の理由なのか。

 そういえば、恋愛成就の神様なんだっけ。


「……以前、センパイはこんなことを言いましたよね」

「こんなこと?」

「一つだけ小生の言うことを訊いてくれるとか、なんとか」


 彼女は「おそらく終業式の日だったと思います」と続ける。

 たしかにそんなことを言ったような。


「あれを今叶えてもらいましょうかね」

「え、でも、あの時は……」

「あの時はお断りしましたよ――センパイには叶えられないことですから。そうお断りしました。でも心の広いセンパイのことですから、別に今でも良いですよね?」


 伏原くんはなぜか笑い出した。

 僕はその小さな背中から伝わるものをどうにかして類推しようとする。

 自分には叶えられないことを叶えてほしい。


「そんなのムリじゃないか」

「つまりはそういうことです。ムリなものはムリ。ですから、小生のことは放っておいてください。それでいいんです」


 わけのわからないことを呟いてから、彼女が向かう先は大鳥居。境内から市街地につながる参道だった。

 追っているうちにだんだんと喧騒が近づいてくる。あそこに行けば、まちがいなく彼女を捕まえられない。なんとなくそんな気がしてならなかった。


 今この時に、おそらく最後のチャンスに、彼に何を告げるべきか。

 行ってらっしゃいなんて、キザすぎるし本心じゃない。

 あえて、自らを棚に上げて言うべきは、


「伏原くんがいないと寂しいよ」


 この一点に尽きた。


 対して、伏原くんは目をパチクリさせて、つまりこちらを向いて、

 それからまた一呼吸おいて、


「……小生がセンパイたちの記憶を消さなかった理由がわかりますか」

「わからないけど、何かあるのはわかってる」

「センパイたちにだけは忘れられたくなかったんです」


 彼女は自らの、前より少しだけ長くなった指先を見つめて、「そこを消したら本当に戻れなくなる気がしたから」とにぎりしめた。

 この子なりに自分を消すことに怖さがあったということか。


 思えば『自分が女性として生まれた世界』に作り替えなかったのも……僕たちも彼女のことを生粋の女性だと認識している設定にしなかったのも、いずれ元に戻る時の縁を残しておきたかったからなのかもしれない。

 彼女は帽子のつばで目元を隠していた。


「センパイ。いつか必ず、小生は戻ってきます」

「……いつくらいになるのかな」

「わかりません。3年後かもしれませんし、みんなが大人になってからかもしれません。小生なりにたしかめたいことがありますから、多めに時間は欲しいんです」


 何をたしかめたいのか、彼女は名言しない。

 だが、不思議と追及してはいけない気がしたので、あえて口は出さなかった。


「でも、きっと戻ってきます。ですから、その時まで……あのセンパイの隣の席は、空けておいてくださいね」


 自分の脳内に『第2保管室』の椅子が浮かんでくる。


「わかった。約束するよ」


 そう告げた時、彼女はまるで元からいなかったように消えた。

 しきりにスマホをチェックしていたから、あらかじめ姿を消す時間を決めていたのかもしれない。ただ「石室」に未来を変える力はないはずなんだよね。となると、今この時に「あそこ」には――ともあれ。


 寂しいのは本音であって、行ってほしくなかったのも本音なので、僕は少しだけ泣かせてもらった。

 全く人に取り入るのが上手すぎるよ、伏原くん。



     × × ×     



 ライブハウスに戻ると、もうイベントは完全に終わってしまっていた。

 楽器を外に運んでいる人たちに紛れる形で客席に入ってみれば、お祭りの終わったような空気に満ちあふれていた。

 しばらくして、メイクを落とした仲田さんから「打ち上げに行こう」と誘われた。

 どうやらペーペーシャの面々と同志だけで飲みに行きたいらしく、当然お酒は飲めないので断ったんだけど「なら、食べるだけならOKなんだね」と拉致されてしまった。なんて強引な人だ。


 別れ際、鳥谷部さんと平尾さんにはコーラスのグダグダっぷりをけなされ、河尻さんたちにはビデオカメラの映像を見せつけられた。

 後者は黒歴史必至だったので、五郎さんと二人がかりでデータを消すようにお願いするはめになった。もちろん、ワガママな河尻さんが僕たちの言うことを訊いてくれるわけなかったけど。


 なお、五郎さんは妹たちを送るとかで早々に逃げ出してしまい――居酒屋の座敷席に着いた時点で残っていた未成年は小山内一二三だけとなっていた。


「おい、わかってんだろうな小山内、良子に手を出したらアレだかんな!」

「小山内くんがどうであろうと、成本とは付き合わないよ」


 ビールだけでベロベロのギターさん(成本というらしい)を右手で退ける仲田さん。


 ギターさんは「なんでだよ良子!」と唸っていたが、どうも他のメンバーに手を出そうとしてダメだったから仲田さんに来ているみたいで、当のベースさんやドラムさんからは「あんなヘタレないわ」と失笑されていた。


 それでも同じバンドにいるあたり、もしかするとギターさんはみんなの愛されキャラなのかもしれない。なんか色々とチョロそうだもんなあ。


「……で、どうだったんだい」


 完全に酔いつぶれたギターさんに代わって、仲田さんが右の座布団にやってくる。右手には氷の入ったグラス。水分は大人の証である。

 僕も与えられたカルピスで見た目的に応戦しつつ、


「3年後くらいに戻ってくるみたいです」

「えらく先だね。でも、一応戻ってくるつもりなんだ」

「そうみたいですね」


 仲田さんは「ふーん」とグラスに口をつけた。

 まるでその件にあまり関心がないかのような態度である。


 ちなみに五郎さんに伝えた時には「そうか」と心底悲しそうな返事が返ってきた。

 その上で「3年くらい一緒に待ってやるか」と笑っていたけど。すぐに割り切れてしまえるあたり、やはり強い人だと思った。


「それで、小山内くんはどうするんだい?」


 彼女がどこか上気しているように見えるのはピエロのメイクを落としているから。曰く血統的にお酒は強いほうらしい。

 空っぽになったグラスを机に置こうとして、微妙に床に落としかけていたのは……彼女が本当は下戸だからか、あるいは。


「どうするのって……何をですか」

「決まってるじゃないか。明佳がいなくなった同志をどうまとめるのか。五郎くんだけじゃ寂しいだろう」

「そりゃ寂しいですけど……」


 今までは3人だったからにぎやかだったけど、2人になれば静かになるのはまちがいない。

 五郎さん自身、絵を描き始めると極端に口数が減ってしまう人だから、これからマンガを作る路線が続けば、『第2保管室』はまるでマンガの制作プロダクションみたいになってしまうかもしれない。

 ひたすらTS作品を作り続ける二人組……それはそれで悪くない気がするのは、2人だけなら五郎さんの作品に口出ししやすいからかな。あの絵で自分好みの作品を作ってもらえたら鼻血が止まらないだろうな。


「そこでボクから小山内くんに新しい同志を捕まえるように命じます」

「え、新しい同志ですか」

「そうさ。新しい風を入れることでボクたちにも新しい扉が開くかもしれないよ。百合カップルが片方オスになってしまうのとか」

「さすがに男体化はちょっと……」

「その偏見だって、名作に出会えば変わるかもしれない。たまに行くつもりのボクをビックリさせるような作品を君たちには探してほしいね」


 仲田さんはにんまり笑うと「そうしていれば、あの子も羨ましくなって戻ってくるかもしれないでしょ」とポテトフライをこちらの口に入れてきた。

 まさか初めての「あーん」まで仲田さんに取られてしまうとは。キスだけでもやっておいてよかった。


 それにしても、新しい同志か。

 伏原くんはマンガで釣っていたけど、あんなので他にも釣れるものかな。


11話から12話までに出てくる作品をまとめてみました。

元ネタがわからない時にご覧くださいませ。

http://ncode.syosetu.com/n8042ck/20/


次回・本編最終回「くもりのちゆき」。

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