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 翌日――7月27日。

 仲田さんに「石室」を調べてもらったところ、やはり伏原くんは自分の存在を消してしまっていることが判明した。

 まるで初めから生まれていなかったかのように、彼に関する記憶や情報が何もかも消されていたらしい。


 新しく作られたはずの存在――今の彼については、一度に書き換えられたデータが多すぎるために追いきれないとのことだった。


「明佳に関わる全てが消されちゃってるからねえ。さすがのボクでも捌けないし、もうクタクタだよ」


 仲田さんは疲れた様子で壁にもたれかかっていた。

 石室に入ってから一時間くらいずっと石棺に触れていたからなあ。背中を突いても気づかなかったほどだから、よほど集中していたんだろう。

 ちなみに僕が「石室」のコントロールが石棺に触れる形で行われると知ったのは、何を隠そうこの時だったりする。なんやかんやで、実際に力を発動させるところを見たのは初めてだったのだ。


「なら、代わりにオレがやってやろうか」


 体力には自信があるのか、はたまた伏原くんの安否が気になっていたのか、あるいは未知の代物に触れてみたかったのか。石棺に近づこうとする五郎さん。

 仲田さんはそんな彼を「ムダだよ」と呼び止めた。


「あんなに大量に書き換えるだけの執念があれば……いっそ自力で変身能力を習得できそうなほどなんだからね」

「根性なら多少なりともあるつもりですが」

「五郎くんは今からウィキペディアのページを50万ページくらい読破できるのかい」


 彼女は「それより別の方向を探ったほうがいいんじゃないかな」と、なぜか五郎さんではなくこちらに話しかけてきた。

 その目には妙に迫力があり、僕は思わず身構えてしまう。自然と返す言葉は見つからなくなり、紡ぎ出すのに数秒かかった。


「えーと……別の方向って何ですか」

「推理小説なら定番のやり方だよ。なぜあの子は自分を殺したのか。3人がかりで彼の動機を探ってみようじゃないか」


 仲田さんは落ちていたペンキの缶を拾ってくると、石室の中央に3つ並べた。

 それだけで僕と五郎さんには彼女のやりたいことがわかってしまう。


「おいおい。仲田さん、こんな時に正気ですか」

「こんな時だからだよ、五郎くん」


 仲田さんは「ボクたちは常に同志らしくあるべきだ。なにせ明佳のメッセージは他ならぬ同志であるボクたちに向けられているんだからね!」と己の胸に手を当てた。

 この日のピエロの服は上半身がブラックのベストになっていた。ネクタイや帽子の黒色と合わせていたみたいだ。メッセージより日光が集まりそうだったが、あいにく地下なのでその心配はない。


 対して、僕の同級生は、彼女から目を逸らす。


「……あいつ、オレたちにメッセージなんて残してねえでしょ。みんな消してしまいやがったんですよ」

「そうかな。少なくとも『ボクたちだけ彼のことを覚えている』のは、十分にあの子からのメッセージと呼べるはずだよ」


 彼女は「そこには何らかの理由があるはずさ」としめる。

 小説家の卵らしいというか……探求心には定評のある彼女らしく、筋の通った言い分で五郎さんを抑えてみせた仲田さん。


 かくして、奇妙なことに「石室」において大会が行われる運びとなった。


「今回はもっとも明佳の気持ちに近い答えを出した人がトップだよ。本人がいないからあくまで想像になるけど、納得がいけばそれでいいさ」

「判定は缶に石を入れる形ですか?」

「他に入れるものがないから、それでいこっか」


 彼女から「ステキなアイデアをありがとう、小山内くん」と頭を撫でられる。普段は撫でる側だったので変な感じがした。イヤではなかったけど。


「ちなみに、ドベだった人にはボクとただならぬ関係になってもらうからね」

「仲田さんがドベだったらどうするんですか……」

「その時はボク自身がめちゃくちゃに乱れるだけだよ!」

「生々しいからやめてください!」


 僕は仲田さんから一歩引いた。

 当然、話し方からして冗談なのはわかっていたけど……その脈絡のなさとヒネリのなさには妙なわざとらしさがあった。

 いつもの彼女のノリではあるのだが、ほんの少しだけぎこちなかったのだ。

 ごまかしているような、あえて仲田さんらしくしているような「違和感」。場の空気を換えるためにやってくれたのだろうか。それとも他に何か思うところがあったのか。


 ともあれ大会である。

 今回は伏原くんが行動を起こした理由……彼の気持ちを当てるわけだから、勝者には『ハルカマイスター』の称号が与えられることになる。いらない。


「じゃあ、オレから行くぞ」


 栄えあるトップバッターには、五郎さんが手を挙げた。

 司会役の仲田さんが、近くに落ちていた石を彼に持たせる。


「はい。せっかちな五郎くんからどうぞ」

「せっかちって……まあいいや。まず伏原の動機ですけど、女の子になりたかった以外にねえでしょ」


 五郎さんは吐き捨てるように答えた。

 さらに荒々しい口ぶりで「きっと自分を消して別の女の子の人生を歩むつもりなんですよ。こんなのオレたちみんなが持っている夢です」と続ける。

 たしかに、僕たちに共通する夢の一つではあった。


「なるほどね。まあ、ボクも似たようなことしているしね……でも、五郎くんと小山内くんは同じことをしていないよね」


 仲田さんは「どうして?」と伏原くんと僕たちを比較する。

 僕が女の子にならなかったのは、自分からではなく他力によって女性化を強いられたかったからだ。


 五郎さんの言い分は、


「オレは別に今じゃなくても良かっただけですよ」

「そっか。なら、逆にあの子が今を選んだのはどうしてだろうね。わざわざ自分たちのマンガが完成しそうな時に失踪するかな?」

「……なるほど。よほどの理由があったってことか」


 彼は仲田さんにマンガを例に出されると、すぐに納得した。

 考えてみれば、あの子があれだけ力を入れていたマンガの件から目を背けたのは奇妙だった。すでにネームも完成して、あとは五郎さんに描いてもらうだけだというのに、いったい何を考えているのやら。

 同志的には女の子になれる環境があるにも関わらず、未だならないほうがおかしいのかもしれないけど、それはともかく。


 ここで、僕は手を挙げた。


「今を選んだのは……今が夏休みだからじゃないですか」

「小山内くんはそう思うんだね」

「だって、学生がいちばん自由に過ごせる時期ですし」

「その一方で学校のイベントを楽しめない時期でもあるよ。ボクなら9月から転校生として過ごしてみたいな」


 彼女は「そして文化祭を通じてかつての親友と仲良くなるんだよ。彼はこちらの正体を知らないからえへへ……」と(おそらく本気で)妄想を振りまいてから、ゴホンとわざとらしく咳をしてみせた。

 ピエロのメイクが手についてしまっているのに気づいて、五郎さんのハンカチでそれを拭った彼女は、


「とにかく、新しい人生を楽しむなら1人きりになりがちな夏休みより新学期を選ぶはずさ。ボクの知ってる明佳ならそうするね!」

「今から、その新学期の準備をしてるんじゃねえの?」


 五郎さんがハンカチを回収しながら、彼女の意見にツッコミを入れる。

 さらに「来月あたり小山内のクラスに転入生が来たりしてな」とこちらに訝しげな目を向けてきた。


「いや、そんなの僕にはバレバレじゃないか」

「そうか……たしかに、普通ならお前の記憶も消しておくよな。そうすりゃまともにラブコメできるし」

「そもそも、僕と伏原くんの組み合わせを前提にするのはおかしい気がするんだけど」

「そりゃそうだが」


 いつぞや、五郎さんに言われた台詞がリフレインする。

 あれに他意はないはずだけど、やたらと慕われていたのは本当なので、完全に除外して考えるのは難しい。

 そういえば、どうしてあの子は初めからあんなにも仲良くしてくれたんだろうか。カウンターでニコニコ笑っていた彼の姿が思い出される。


「……3番手はボクだね。2人ともドベにしてあげるよ」

「二股宣言とかビッチみたいだな、仲田さん」

「TSイチャイチャ逆ハーレムはボクの至高の一つだからね!」


 仲田さんは五郎さんに、女性化したいじめられっ子がいじめっ子たちに性的な可愛がりを受けつつ、彼らの独占欲を引きつける役割となる作品の名前を告げてから、その大きめのおしりを石棺の上に乗せてみせた。

 仮にも過去の偉い人の棺なのに、大丈夫なんだろうか。呪われたりしないかな。

 ある意味、今の仲田さんの状態は呪いをかけられたようなものかもしれないけど。

「――まさか、あの子がここまでやるとは思っていなかったんだけどね、実は以前、ボクはあの子にこれの使い方を教えたことがあるんだよ」


 彼女は石棺を利き手で撫でる。

 石棺の使い方を伏原くんに教えていた。それはつまり仲田さんが伏原くんの「行動の方向性」に気づいていたということでもある。

 わざわざ彼女のところに訊きに来たんだから、彼女が気づかないはずがない。


「だからこそ……いや、それに同じ石棺を用いた者としての勘を足してもいいんだけどさ。たぶん今のあの子は悩んでいるんだと思うんだ」

「伏原が悩んでいるって、何にです」


 五郎さんが訊ねた。全くわからないといった表情だった。


「さあね。ただ、少なくとも自分の容姿についてではないはずだよ。ボクや小山内くんみたいな劣等感はあの子にないから」


 彼女は目を伏せる。

 さりげなく自分も容姿に自信にない組に入れられていて、それが当たりであるからこそムッときていた僕だったが、たしかに伏原くんが女性になりたい理由には思い当たる点がないと気づかされた。彼はすでに整った容姿の持ち主なのだ。


 必ずしも己の容姿に対する引け目から誘発された『変身願望』だけが女性化趣味の萌芽ではない……と、大和路先生は語っていたが、彼の著書の中にはその他の原因について述べられた部分が極めて少ない。

 おそらく先生自身が劣等感からTSに入ったクチだからだろう、というのが今のところの定説である。

 それは別に良いとしても、少なくともこの日においては、先生の言説を参考にすることはできそうになかった。


 ならば、伏原明佳の動機はどこにあるのか。


 彼我が好んでいる女性化作品から「女性になる理由」を類推してみるなら、例えば「男の人が好きになった」というシチュエーションがある。

 同性愛者という自認はないが、特定の個人を好きになってしまったパターンだ。その人は相手と結ばれる目的のために女性化という選択をする。


 あとは単純に可愛い女の子になりたいパターン。こちらは僕や五郎さんの思考に近い。作品名を挙げるなら『女子小学生になっちゃいました』など。


 別の目的を果たすために女性化せざるをえなかったパターンも考えられる。自分から消極的に選んだ形だ。望まぬ変身ゆえに心の女性化や初めての体験を描きやすいのでTS的には美味しいシチュエーションといえる。心の女性化はないけど『妄想紀行』はこのパターン。


「……なあ。今さらなんだけどよ」


 マッチョな巨体が僕たちの間に割り込んでくる。

 ちなみに彼、あまりにもガタイが大きいものだから、石室に入る際に羨道で詰まりそうになっていたりする。

 その際には「古代人は身体が小さいからね」とフォローしていた仲田さんが、「どうぞ」と彼に手番を回した。

 一応、大会は一巡した形になる。


 五郎さんは「仲田さんに訊ねたいんだが」と前置きしてから、


「この石室って、委員がいないと入れないんだよな」

「ん? まあそうだね」

「今日だって仲田さんがいるから入れてるけど、オレたちだけじゃムリなんだろ」

「でないと一般生徒に使われちゃうからねえ」

「だったら、伏原はどうやってここに入ったんだ?」


 ガランガラン――ペンキの空き缶に石が投げ込まれた。

 あの子を手引きした奴がいる! それは大きすぎるヒントだった。


 しかしながら「あー。でも鳥谷部たちも記憶が消されてるんだっけか」と五郎さんが呟いたとおり、当の委員の記憶もまた「石室」に消されてしまっていた。

 これでは手引きした奴から話を訊くことができない。伏原くんに何を頼まれたのか。なぜ彼を「石室」に入れたのか。


「……いっそ、石室の力で伏原くんをここに呼んでしまえばいいんじゃ」

「それだと同じことが繰り返されるだけさ。それに本人がどこにいるかわからない以上、ムリに呼び出したりしたら明佳が2人に増えちゃうかもしれないよ」


 僕の呟きを仲田さんに拾われてしまう。

 彼女は続けて「それより手引きした人の件だけど……もう1回だけ石棺を調べてもいいかな」とあざとく首をかしげてみせた。

「気になることでもあるんですか」と訊ねてみると、


「うん。実はちょっと記憶の消され方が気になる子がいてね。あと多分だけど、その子はボクと同じで、石棺から何かを得ているみたいなんだ」


 そう言って、仲田さんは再び石棺に手を触れる。

 目をつぶっているピエロ姿の女性。

 なんだか作為的な光景に見えて、そもそも彼女の大会の回し方がまるで一方向に向けられているような――わざと「今」に持ってきたような感じもあり、僕はなんだか変な気分にさせられた。

 今思えば、仮に全てをわかっていたならば、わざわざこのタイミングで石棺を調べなおす必要なんてなかっただろうけどね。

 いずれにせよ、彼女が弟子である伏原くんの件で、僕たちに話し合いをさせたかったのは事実だろう。

 結局、残念ながら伏原くんの理由には辿りつけなかったけど。


 ともあれ、そのままでは自分がドベになりそうだったので、僕は彼女が目をつぶっているうちに自分の缶にも石を入れておいた。五郎さんには「女子大生とただならぬ関係になれるチャンスだぞ」と笑われてしまう。

 人名で「仲田さん」ならあまり欲が沸かないのに「女子大生」と呼ばれると少し心が揺らいでしまうあたり、自分も男の子だなあ。


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